第4話‐邪神の呪い

 『……っ——、っ……な、な……んで……?』


 視線の先にある光景が信じられない。言葉を失うとは正にこの事だろう。

 それもそのはずだ。

 ただでさえ天狼族がこんな場所にいること自体が信じられないというのに、今現在オレの視線の先にある少女の姿が、記憶の中にあるあの雄々しかった天狼族の姿と似ても似つかなかったのだから——。


 天狼族特有の緋色の髪も、瞳も、見る影の一つも無い。

 オレの双眸に映る少女は、まるで死に逝く老人のそれに似た病的な白さの長髪と、末期の白底翳しろそこひのように白く濁った瞳をしている。

 粗悪な麻の服とボロボロの闘剣グラディウス大盾スクトゥムだけを身に着けた彼女からは、まるで生気というものが感じられず一目で分かる程に憔悴しょうすいしきっていた。


 『……霊体アニマが、黒い……?』


 だが、それ以上にオレの目を釘付けにしたのは、少女の霊体アニマの色だった。


 ——普通、霊体アニマの色は例外なく青である。

 だというのに、まるで呪いでも受けた様に真っ黒に染まった少女の霊体アニマは、色だけでなく、大きさもか細い。今にも事切れてしまいそうな程に小さなその黒い光は、マッチの火くらいの大きさにしか光を灯していなかった。


 「子供だからと侮るんじゃないぞ! あの子供は天狼族だ! 邪神の呪い・・・・・を受け髪と瞳から血の色が失せてなおっ、血に飢えた伝説の戦闘民族……。その栄光にあやかりたい奴は金貨を持って券売所へ急ぐといいぜ! まだ間に合うぞ!」

 『邪神の……呪い……?』


 司会の男がもっと掛け金を上乗せさせようと観客達を煽り立てる言葉の中に、聞き慣れない言葉が一つあった。あまりの衝撃で呆然とするオレは、その言葉——『邪神の呪い』というワードを譫言うわごとのように反芻はんすうする。


 『千年前……お前達が邪神を討ち倒した後のことだ——』


 すると。

 どこか罪の告解をする宗教者のような空気感で、滔々とうとうとテメラリアは語り始めた。

 ——五大英雄と呼ばれた彼らの内、オレ以外の四人にまつわる……迫害の歴史を。


 『——人間たちは……大英雄達を・・・・・裏切ったのさ・・・・・・




 開拓暦一四八年。邪神が討ち倒されたその後。

 世界では五大英雄と呼ばれた大英雄達の関係者たちへの迫害が始まったらしい。


 大魔道士アベルを輩出したカインの末裔たち。

 鍛冶師ボグの生まれ故郷ドロワールのドワーフたち。

 そして——大英雄ベオウルフを輩出した英雄の一族である天狼族たち。


 邪神との戦いで特に功績を残した大英雄たちの活躍を世界は最初こそ賞賛していたものの、徐々に賞賛は嫉妬や羨望に、疑念へと形を変え、最後に恐怖へと変貌していったという。


 心から、恐れてしまったのだそうだ。

 アレだけ恐ろしかった邪神を討ち倒した大英雄たち——彼らの力が自分達に・・・・・・・・・向いてしまったら・・・・・・・・自分達はどうなって・・・・・・・・・しまうのだろうか・・・・・・・・? と。


 “もともと民族同士や国同士の戦争が絶えない時代でもあった事、そして邪神ウルの進行による発生した大量の難民問題が後押ししたのだろう”、と。

 人間たちを擁護する心ばかりの言葉もあったが、テメラリア自身、それを抜きにしても邪神討伐後の人間たちの凶行は胸糞の悪いものであったらしい。


 カインの末裔——『魔女』の異名を持つ彼らに対して行われたのは、異端審問という名目で行われる私刑であったらしい。

 彼らが最後に歴史に現れたのは既に何百年も前の話……集団リンチと何ら変わらない暴力を恐れたカインの末裔は、もしかしたら既に根絶やしされた可能性すらあるかもしれないとの事だ。


 人間同士の争いに巻き込まれる事を恐れたドワーフ達も同様である。

 危険な魔獣がウロウロしているにも関わらず、“人間たちよりはマシだ”と魔獣の大陸——魔大陸レムリアにまで逃げ、五百年以上に渡り国交を閉ざしていたらしい。


 そして、最も酷い迫害を受けたのが天狼族である。

 もともと民族同士の対立が激しかった獣人種という事もあり、皇帝でもあったベオウルフの治める多民族国家——『デネ帝国』内では、ベオウルフの死亡に伴って、新たなる獣皇の地位を狙う他の民族からの迫害が加速した。


 半ば国を逃げ出す形で全ての天狼族はデネ帝国を追い出されたのだという。

 国という寄る辺を失った彼らは他大陸を渡り歩き、第二の故郷を求めて、再び流浪の民として世界を放浪した。


 が、しかし。放浪した先でも待っていたのは地獄だった。

 天狼族の強力な霊体アニマの力を恐れた人間たちからの迫害に次ぐ迫害。

 何百年ものあいだ続けられた迫害によって瞬く間に天狼族はその数を減らし、この千年の間で滅亡が危惧される程の少数民族にまで地位を落としたのだ。


 しかしながら、ここで一つの疑問がある。

 強力な霊体アニマの力を持っていた天狼族が、何故そうまで一方的にやられっ放しだったのか? という点だ。

 オレのその疑問に、テメラリアは答えた。


 彼らが現代にまで続く酷い扱いを受けているのにはある一つの理由がある。

 ——それこそが、全ての天狼族に・・・・・・・かけられた・・・・・『邪神の呪い』だ、と。




 『……邪神に掛けられた呪い——その正体は、天狼族が持つ強力な霊体アニマの力の封印だったんだ。霊体アニマを封印された天狼族は全員、緋色の毛と瞳を失って……全員があんな廃人みたいになっちまったんだよ……』

 『……霊体アニマの力の……封印……?』

 『あぁ……そうだ。邪神が消えたあの日、奴は何か言ってなかったか?』

 『……。……っ! まさか……』


 ——“呪いあれ、災いあれ……その血脈の一切に・・・・・・・・非業あれ・・・・”、と。

 ふと、オレの脳裏に邪神との戦いの日の事が蘇る。

 灰となって消えて行った邪神が残した最後の言葉。あの時はベオの死に目に立ち会おうとして必死だった故に気にならなかったが……今思えば、アレがそうだったのかもしれない。


 『……何か思い当たる事があるって感じだな。多分それだぜ』

 『……』


 表に出ていたのだろう。オレの陰鬱いんうつな空気感を察してテメラリアが言う。


 『悪かったな……』


 言った後、数瞬の間を置いて。

 突然の事で、何を言えばいいか分からず黙ってしまったオレを気遣うように、何故かテメラリアが先に謝罪を口にした。


 『……何でオマエが謝るんだよ』

 『簡単さ……見てる事しか出来なかったからだ。本当に見てる事しか出来なかった……やろうと思えば、何かが出来たはずなんだがな……』

 『……』

 『……』

 『……。……オレは——』

 「——有り金は全部賭け終わったかい? なら、そろそろ始めようか! 待ちに待った本物の殺し合いを!!」


 オレ達の間に横たわる重苦しい沈黙を破ったのは司会の男の耳障りな声だった。


 準備が終わったのだろう。釣られて中央の闘技場へ視線を向けると、鳥竜種ワイバーンを拘束していた男達の内の一人が、懐から何かを取り出す。遠目で良く分からないがおそらくは気付け薬だ。

 司会の男の目配せに合わせて男が気付け薬を鳥竜種ワイバーンへと振り掛ける。


 『——ルォオっッ!? オォッ、オォォオオオォォォォ!!』


 ムリヤリ起こされた鳥竜種ワイバーンが怒り狂ったように暴れ回り始めた。

 すぐに少女以外の人間達が蜘蛛の子を散らすように闘技場の外へと走り出す。

 鳥竜種ワイバーンの桁違いの膂力りょりょくによって、次第に鎖が引き千切られて行くのに合わせて、天狼族の少女の拳に力が入ってゆくのが分かった。


 そして。

 興奮し切った亜竜種ワイバーンの血走った眼が彼女を捉えるのと同時。


 「——“黄金に感謝を! 死に逝く者達へ敬意を捧げよ!”」


 司会の男が剣闘試合の開始を告げる言葉を宣言し、それを合図に試合開始の銅鑼どらが高らかに打ち鳴らされた。

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