幕間‐神の残影

※前書き

今回は、シーではなく別視点です。

_____________________________________

 独立貿易都市ラッセルの、そのちょうど中心地点には『第三大橋』と呼ばれる巨大なアーチ状の石橋が架かっている。

 この橋を中心として西区と東区の両域に広がる中心街——俗にギルド街と呼ばれる街には、商人ギルドや職人ギルド、他にも公職ギルドや冒険者ギルドなどの拠点ロッジが数多く立ち並んでいる。


 そんなギルド街は現在、空が白み始めた早朝の時頃。

 未だ周囲は薄暗いと事もあってか、各拠点ロッジの玄関前に吊るされたランタンの明かりが頼りなく街道を照らしていた。


 「——号外っ、号外~~っ! 議会から直々のおたっしだ~! 貧乏人はよぉく見ておけ~! 捕まえた奴には賞金が出るぞ~!!」


 その明かりを道標にして、少年たちは慌ただしくビラをばら撒いていた。

 まだ朝の雲雀さえ鳴かぬ時間にも関わらず、大声を出して走り回る彼らに腹を立てたのだろう。「うるせぇぞ! 小僧ども!!」と、怒号を飛ばす職人や商人達が次々と街道に姿を現し始めた。


 しかし、どこ吹く風と少年たちは第三大橋を渡って西区へと走って行ってしまう。すぐに彼らの背中が見えなくなり、代わりとばかりにヒラヒラと舞うビラが職人や商人達の目に留まった。


 「……まったく。何だと言うのだ、こんな時間に……?」


 ちぃっ、と舌打ちを一つ。

 少年たちへの罵詈雑言が響き渡る中で一人の大男が呟いた。

 全身が獣の体毛に覆われた獣人種である。

 熊と狼の中間のような骨格と、体長二メートルは優に超える大柄な体躯が特徴的な種族——原獣種ベオルヘジンの大男だ。


 彼がビラの一枚を拾うと、そこには天狼族と思わしき耳と尻尾が特徴的な女の子の人相書きと、その見た目の詳細。

 そして。

 ——“捕まえた者にはスヴェリエ大金貨三枚の報酬金を出す”、という旨の触れ書きが記されている。


 ラッセルの自治権を持つ『議会』は『木槌と羽ペン』のエンブレムを掲げているが、その印章いんしょうが捺されているところを見るに、間違いなくこのビラは議会が直々に出した手配書である事は疑いようがないだろう。


 「……て、天狼族の小娘一人にスヴェリエ大金貨三枚……だと……っ? 何だこのバカげた手配書は……っ!」


 原獣種ベオルヘジンの大男が憤慨した様子で声を荒らげる。

 すると、大声を出す彼の様子を不思議に思ったのだろう。中肉中背の草臥れた見た目の優男やさおとこ拠点ロッジの一つから顔を出した。


 「どうしたんですかいギルマスー? でっけぇ声出して……これ以上エドモンド商会の連中に目つけられたら、もっと酷い目に合わされちゃいますよー?」

 「フンッ、来るなら来ればよいではないかッ! 何ならこっちから行ってやってもいい位だッ! ——いや、そうではなく。今はそれよりも、だ……見てみろ、これを。さっき、議会の使いっ走りらしき小僧どもがばら撒いていきおったものだ」

 「……?」


 差し出されたビラの内容を読んで、優男は大男と同じ感想を抱いた。


 「……、……何ですかい、これ……『緋色の髪に、緋色の瞳の天狼族』……? 見たことないですよ、そんなの……」

 「あぁ。しかもこの手配書……議会の印章がされてはいるが、議長のサインは書かれておらん。あの議長は馬鹿ではない……こんなムチャクチャな手配書に許可を出すとは思えん。おそらくは議長を通さずに発行された手配書であろう」


 相手は何かと有名なあの天狼族。

 確かに危険な連中ではあるが、邪神の呪いで弱体化している上に、手配書に書かれている通りならば相手はまだ成人すらしていないような女の子である。

 スヴェリエ大金貨三枚——一枚あれば半年は遊んで暮らせるような代物を三枚も出して来るとは、尋常な事態ではない。


 加えてこの手配書、内容があまりにも雑である。

 罪状は『エドモンド商会所有の倉庫に押し入り強盗殺人』などと書かれているが、ところどころの事件の経緯や整合性がムチャクチャである。

 まるで急造でこしらえたような雑な内容だ。

 数年前に就任した新米議長とはいえ、彼のサインが入っていないのも気になる。


 ビラと睨めっこをしながら訝し気に表情を曇らせた二人は、一度目を合わせて肩を竦める。“下らない”、とばかりに笑みを作り拠点ロッジの中へと戻って行く。


 「バカバカしい……キナ臭くて適わん。他の連中にも伝えておけ。『冒険者ギルド・・・・・・はこの下手人の捕縛に協力せん!』、とな……まぁ、言うまでもなく関わるバカはおらんと思うが……世の中には言わねば分からんバカもいる」

 「言っても分からんバカはどうするんですかい?」

 「決まっている。話が通じぬのであれば拳しかあるまいッ! ガッハッハ!」

 「へへっ、確かに。違いねぇでさ」


 そう軽口を叩き合うと、二人は拠点ロッジの中へと入って行く。

 カランコロン、と。扉の開閉を告げる小気味いいベルの音が鳴り終わると、木製の扉に彫られたギルドのエンブレムがランタンの明かりに照らされた。


 ——善悪を測る正義の天秤。

 『正義と民衆の女神ユースティア』の象徴であるその天秤のエンブレムは、その拠点ロッジが『冒険者ギルド』である事を示していた。


❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖


 同時刻。ギルド街西区の中央通りに居を構えるエドモンド商会の敷地内にて。


 そこにはルネサンス期に建てられたと思わしき荘厳な雰囲気を纏う神殿が建っていた。白い大理石で出来たそれを囲うように、幾つもの小さな塔が、まるで何かを守るようにそびえている。


 「あぁ……あぁぁぁあ……っ! 足りなぃ、黄金きんが足りないぃ……っ!!」


 その神殿内より、半狂乱に陥った男の嘆き声が響き渡っていた。

 痩せ細った白髪の男である。窪んだ眼窩がんかとこけた頬のせいで老人のようにも見えるが、よくよく見れば、彼がまだ歳若い青年のような見た目をしているのが分かる。


 何がそんなに苦しいのか——。

 全身を掻き抱きながら呻き声を上げる彼からは、青い霊力マナの光がポツポツと漏れて出ている。

 彼は不気味な祭壇の上で、その光が出るのを抑えるようにうずくまると、再び狂ったように大声で叫び散らした。


 「エドモンドぉぉ……ッ、何をしているぅぅ……ッ! 早く……早く金を捧げろぉぉ!!」

 「は、はい。申し訳ありません……ミーダス様。すぐに用意させます……っ」

 「急げぇ!!」


 半狂乱の男の指示に、近くで油汗を掻いていた恰幅の男は怯えながら答えた。


 恰幅の男——エドモンド商会の商会長であるエドモンド・オズワールが慌てて合図を出すと、彼の部下である数人が大量の金貨が入ったズタ袋を持って来る。

 蝋燭の火で怪し気に照らされた祭壇へとそれを置くと、恐る恐るといった風に部下たちがエドモンドの背後まで下がって行く。


 すると、彼から漏れ出ていた青い霊力マナの光が途絶え、僅かばかりではあるものの、半狂乱の男が楽になったように見えた。

 だが、その後。

 男は一切の反応を見せず、不気味な程の沈黙だけが神殿内に横たわった。


 「い、いかがしょうかミーダス様……! これだけの金があれば、その苦痛の一端程度であれば和らげられるかと……!」

 「……苦痛の……一端……だと?」


 その沈黙を嫌うようにエドモンドが口火を切るも、何が癇に障ったのか——。

 ユラリと顔を上げた半狂乱の男——黄金の・ミーダスは、その病的に歪んだ顔色を激怒の色に染め上げ、祭壇の金貨をぶちまける。

 そのままエドモンドへと詰め寄ると、彼の胸倉を力いっぱいに締め上げた。


 「エドモンドぉぉ……貴様のその節穴の眼には、この老人のような顔が見えていないのか……っ? この顔を見てっ! たとえ俺の苦痛の一端程度でも和らげられたと、本気でそう思うのかっ!?」

 「あ、あ、えぇ、あ……っ。い、いえ……」

 「そうだ! 何も変わってはおらぬ! この身は未だ朽ち果て続けているのだ!」

 「……は、はい。仰る通りで、ござい、ます……」


 顔面蒼白になったエドモンド。彼の胸倉を乱暴に放したミーダスは、激昂した事で体力を消費したのか、ヒュゥ、ヒュゥ、と喘鳴ぜんめいを起こしながらその場に蹲った。


 「分かったのならいい……早く金貨を稼いで来い! そして祭壇へ捧げろ! この愚図共めっ……早く恩を返せっ、信仰を捧げろっ!!」

 「は、はいぃ……っ! かしこまりましたミーダス様……っ!」


 部下と共にエドモンドは急いで外へと去って行く。

 神殿内に響く彼らの足音が完全に聞こえなくなったのを確認し、覚束ない足取りで立ち上がったミーダスは、散らばった金貨を蹴飛ばしながら再び祭壇の上へと登って行った。


 そして、ドサリ、と——。

 半ば転ぶようにして祭壇の最上部に寝転んだ彼は、「……くそっ」と地面に拳を叩きつける。衝撃でうっすらと血が流れた自身の手に目もくれず、呆然と天井を見上げた。


 「——苦しそうだな、ミーダス」


 不意に、ゾッと底冷えしてしまう程の不気味な声が響き渡った。


 「……。……何の用だ、ウル・・


 突如として耳朶を打った言葉ではあったが、ミーダスは然して驚いた様子も見せない。先程まで半狂乱していた激情家としての鳴りを潜め、一呼吸吐いた彼は、ゆっくりと立ち上がった。


 彼が声のした方向へと視線を向けると、そこには襤褸切ぼれきれれを羽織はおった黒い男——かつて、世界に狂気と混沌と破壊の限りを撒き散らした最悪の厄災たる邪神ウルが、薄っすらと笑みを湛えて立っていた。


 「用という程のものではない。かつての友と雑談を交わしに来た程度だよ。……勧誘・・を兼ねてはいるがね?」

 「——止めろっ……貴様は友ではない。何度ここに来ようが、俺は貴様の眷属になどならんぞ! こんな体たらくでもっ、私は善神だ! 腐っても邪神の眷属・・・・・にはならんっ……!」

 「ククク……強情な事だ。私の眼には、君はもう強がりを言っている場合では無いように見えるがね。そう遠くない未来に——君は消えてしまう・・・・・・・・だろう・・・

 「……っ」


 その一言にミーダスは思い出したように息を呑み、瞳孔を震わせ始める。

 何かに怯えているのか——。頭を抱えてその場に蹲り、カチカチと奥歯を鳴らした。


 「人間の祈りというのは儚いものだ。人はすぐに夢から覚めてしまう。我々のような神々とは違ってね。だが……そんな我々も、長い夢から醒める時が来たのだよミーダス」

 「黙れ……っ、黙ってくれ……っ」

 「あぁ、いいとも。かつての友人の頼みだ。これ以上は止そう」


 ミーダスの懇願を聞き入れたウルは唐突に手をかざした。

 すると、何もない空間から何かが飛び出して来る。棺桶だ。蓋には聖句の一つも書かれておらず、何の装飾もされていない。

 ただ漆黒に塗装されただけの不気味な棺桶が、祭壇の隣に現れた。


 「不快にさせたお詫びだ。私の眷属を一人、君に預けよう——」


 まるで棺桶と入れ替わるように、ウルの姿が消え始めた。


 「——この中に入っているのは、かつて私を最も追い詰めた男だ。自身を裏切った人間たちをそれでも見捨てずに守護し続け、死後、私の勧誘を抗い続けた大英雄・・・だよ」

 「……大、英雄……だと?」

 「あぁ。結局最後までフラれてしまったがね? そのまま捨て置くには惜しい手駒だったんだ。この男には悪いが、無理やり契約・・・・・・させてもらったよ。……おかげで霊体アニマは摩耗し、自我の無い人形になってしまったがね?」


 ウルはそう言葉を続けると姿を完全に消した。

 ククク、と。最後に喉の奥で邪悪な笑い声を響き渡らせながら、彼はミーダスへと再開の言葉を言い残す。


 「ミーダス。もし君がこれ以上ない程の絶望を味わった時は、その棺桶を開けたまえ。私はその時、もう一度だけ君を勧誘しよう。では——楽しみにしているよ、未来の友よ・・・・・


 息が詰まる程の静寂が再び神殿の中へと沈み始めた。

 自身の心臓の音と呼吸の音のみがやけに大きく感じる。ミーダスは見開いた瞳の奥に不気味な棺桶のみを映し、ぜになった負の感情に思わず唇を引き結んだ。


 「……」


 ユラユラと怪しく、ぼぅ、と揺れる蝋燭の明かりがミーダスを照らしていた。

 神殿内の床に映ったその影から、灰のように何かが漏れ出ている。


 ——それはまるで、魂が崩れていくかのようだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る