第3話:天狼族
『闇の部分……?』
静かに告げられた不穏な言葉。
シーがテメラリアの言葉を反芻すると、『……あァ』と返事が返って来る。
『シー。テメェ、天狼族は当然覚えてるよな?』
『当り前だろ? ベオが天狼族だったんだ……忘れる訳がない』
——天狼族。彼らはこの世で最も戦闘に優れた獣人種の英雄的民族だ。
彼らの祖先が生きていたヴァン大陸は、過酷な環境が日常茶飯事だった事で知られており、多くの獣人種が暮らしている場所でもあったと伝えられている。
そのヴァン大陸で最も栄えていた獣人種の一つであった
それこそが、天狼族である。
彼らは、その強靭な戦闘能力をもって、シーの相棒であったベオウルフを始めとし、不逆の二つ名で呼ばれた狂戦士マルクスや、四大神の一角であるオティヌスを
彼ら三人だけではない。
天狼族から排出された戦士や英雄の数は、それこそ歴史書の五分の一は埋めてしまうじゃないかという位に多かった。正しく
シーにとっては相棒を育んだ偉大な同胞たちであり、何より相棒が愛した掛け替えの無いもの——共に邪神ウルとの決戦の地を駆けた戦友のような存在だ。
『……』
『……おいっ、何か言えよテメラリア! 天狼族がどうしたってんだよ!』
意味深に口を
静かに告げたテメラリアが地上へと降りて行き、シーもその後ろを付いて行く。そのまま彼が向かったのは、メディストス大峡谷——この都市を西区と東区に分断するように、その谷底を流れるミール川だった。
ミール川の両岸にはそれぞれ川を通じて運ばれて来る交易品を街の上に引き上げる為の
テメラリアが向かったのは、その幾つもある内の一つ……赤茶けた崖壁を少しづつ削って作られたと思われる洞窟——まるで何かを隠すように深く掘られたその中に、ひっそりと
『ここだ』
『……何だよ、ここ?』
おそらくはあの奥に街へと荷を上げる為の階段か設備があるのだろう。
波止場の桟橋が伸びた先——落盤を防ぐ為に木材で補強された入り口は、大型魔獣でも丸々すっぽりと入ってしまう程に巨大である。
「おいっ、急げ! 早くしねぇと客が騒ぎ出すぞ!」
「分かってるっての! 全員が分かってる事ペラペラ喋んじゃねぇよ!」
中へとズンズン入って行くと、やはり中は倉庫を兼ねた荷下ろし場だった。石材や木材で整備された洞窟内では、何をそんなに急いでいるのか……慌ただしい様子でガタイの良い作業員達が走り回っている。
彼らを尻目に奥へと進んで行くと、シーの視線にあるモノが映った。
『……っ。おいっ、テメラリア……ここは一体なんの施設だ……? 荷下ろし用の倉庫か何かじゃないのか……? 何で
おそらくは眠り毒か何かで眠らされているのだろう。
岩壁を削り出して造られた檻の中に、魔獣——進化の過程で通常の動植物から枝分かれし、突出した特性を持って変化した危険生物——が、スヤスヤと寝息をたてて眠っている。
四本足の大型魔獣だ。でっぷりと太った腹と寸胴な全身を覆うようにビッシリと生えた鱗。大きな顎はワニを思わせるがシルエットとしては蛙である。だが、蛙にしては長い胴体と幾つもの尖った背ビレが蛙の弱々しいイメージを打ち消していた。
間違いない。シーの記憶が正しければ、アレは湿地に多く生息しているはずの大型肉食魔獣ギュスターヴだ。本来は南方などの高気温で湿気の強い地域にしか生息していないはずの危険生物である。
……そんな魔獣がどうしてこんな所に?
『ここの荷下ろし場を所有しているエドモンド商会は裏で黒い事もやっててな……。こうして凶暴な魔獣を集めて、この先にある
シーの脳裏に浮かんだその疑問は、テメラリアの答えによってすぐに解消された。
『魔獣をか? でも危険だろ……街中にこんな凶暴な奴を入れるなんて……』
『……金になるらしいぜ? 見世物小屋として珍しい魔獣を戦わせる興行は。オマケにここは賭博場も兼ねてるらしいからな……客の熱狂ぶりも半端じゃねぇ。負けた魔獣の素材でももう一儲け出来る位だ……商会は笑いが止まらねぇだろうぜ』
『……身勝手な話だな』
よくよく見てみるとギュスターヴ以外にも、シーが初めて見るような狼型の魔獣など、数多くの魔獣が、眠らされた状態でそこらかしこの檻に入れられている。
中には一度暴れ出せば手の付けられないような魔獣もおり、この荷下ろし場の所有者であるエドモンド商会が、本当に自分達の事しか考えていない事が伺えた。
『——ここだ』
魔獣の檻が並ぶ通路を抜けると、五千を超えそうな観客席が備え付けられた円形の闘技場が目に入った。観客を守る為だろう。中央の闘技場をドーム状に取り囲む鉄柵は一目で強靭な素材で作られている事が理解できた。
そんな闘技場の観客席は満員御礼。
二本の後ろ脚と、前脚と一体化した両翼。幼い竜種に見られる逆鱗が生えている所を見るに、おそらくはまだ幼竜だろう。
亜竜の一種といえど、竜種に属する魔獣にしては小さい五メートル程の体躯は、溶岩地帯に住む
他の魔獣と同じように眠り毒が効いているのか、どこか寝起きの子供に似た
『
『……ケケッ、まぁな。暴れ出したら対処できんのかねェ、ここの人間たちは? ——
『……?』
一瞬おどけたように笑ったテメラリア。何かに気付いたように表情を一変させた彼と一緒に、シーは奥側にある扉——闘技場に備え付けられた鉄格子の扉へと視線を移す。
「さぁ、本日の
闘技場の中央に立つ司会の男が会場を煽り立てるように声を張り上げる。
煽り文句に呼応して沸き立つ闘技場内。最高潮にまで盛り上がったボルテージに満足したのか、薄っすらと口角を吊り上げた司会の男が合図をした。すると、鉄格子の扉が不快な音を立てながら開き出す。
そして——。
「その
『……は?』
——
『……っ——、っ……な、な……んで……?』
視線の先にある光景が信じられない。言葉を失うとは正にこの事だろう。
それもそのはずだ。
ただでさえ天狼族がこんな場所にいること自体が信じられないというのに、いま現在オレの視線の先にある少女の姿が、記憶の中にあるあの雄々しかった天狼族の姿と似ても似つかなかったのだから——。
天狼族特有の緋色の髪も、瞳も、見る影の一つも無い。
オレの双眸に映る少女は、まるで死に逝く老人のそれに似た病的な白さの長髪と、末期の
粗悪な麻の服とボロボロの
『……黒い、
だが、それ以上にシーの目を釘付けにしたのは、少女の
——普通、
だというのに、まるで炭でも被ったように真っ黒に染まった少女の
「子供だからと侮るんじゃないぞ! あの子供は天狼族だ!
『邪神の……呪い……?』
司会の男がもっと掛け金を上乗せさせようと観客達を煽り立てる言葉の中に、聞き慣れない言葉が一つあった。あまりの衝撃で呆然とするシーは、その言葉——『邪神の呪い』というワードを
『千年前……テメェらが邪神ウルを討ち倒した後のことだ——』
すると。
どこか罪の告解をする宗教者のような空気感で、
——四大英雄と呼ばれた彼らにまつわる……迫害の歴史を。
『——人間たちは……
開拓暦一四八年。邪神が討ち倒されたその後に起こった裏の歴史。
今でこそ三大英雄と讃えられていると大英雄達だが、邪神が討伐されたすぐ後は寧ろ、大英雄という言葉へのイメージは最悪で、その言葉に関係する者達——三大英雄を輩出したカインの末裔と、ドワーフ達と、そして天狼族へ酷い迫害が起きた程だったらしい。
邪神との戦いで特に功績を残した大英雄たちの活躍を世界は最初こそ賞賛していたものの、徐々に賞賛は嫉妬や羨望に、疑念へと形を変え、最後に恐怖へと変貌していったという。
——心から……恐れてしまったのだそうだ。
アレだけ恐ろしかった邪神を討ち倒した大英雄たち——
もともと民族同士や国同士の戦争が絶えない不安定な時代でもあった事、そして、邪神ウルが世界に残した様々な問題が後押ししたのだろう、と。
人間たちを擁護する言葉もあったが、テメラリア自身、それを抜きにしても邪神討伐後の人間たちの凶行は胸糞の悪いものであったらしく、その理不尽な凶行の矛先は邪神ウルとの戦いで死亡した
大魔導士アベルの同胞であるカインの末裔——『魔女』の異名を持つ彼らに対して行われたのは、異端審問という名目で行われる私刑であったらしい。
彼らが最後に歴史上に現れたのは既に何百年も前の話……集団リンチと何ら変わらない暴力を恐れたカインの末裔は、もしかしたら既に根絶やしされた可能性すらあるかもしれないとの事だ。
人間同士の争いに巻き込まれる事を恐れたドワーフ達も同様である。
死の職人ボグを育てた彼らドワーフに至っては、危険な魔獣がウロウロしているにも関わらず、『人間たちよりはマシだ』と、魔獣が跋扈する厄災の大陸——魔大陸レムリアにまで逃げ、五百年以上に渡り国交を閉ざしていたらしい。
最近でこそ国交を開いたものの、他国との仲は決して良くはなく、何時でも戦争が出来るようにと、日夜、国を挙げて兵器の開発に明け暮れているのだそうだ。
そして、最も酷い迫害を受けたのが天狼族である。
もともと民族同士の対立が激しかった獣人種という事もあり、皇帝でもあったベオウルフの治める多民族国家——デネ帝国の内部では、ベオウルフの死亡に伴って、新たなる獣皇の地位を狙う他の民族からの迫害が加速した。
半ば国を逃げ出す形で全ての天狼族はデネ帝国を追い出されたのだという。
国という寄る辺を失った彼らは各地を放浪し、何百年ものあいだ続けられた迫害によって数を激減させた挙句、この千年の間でかつての奴隷よりもなお低い扱いにまで、その地位を落としたのだそうだ。
……それこそ、魔獣と戦わされる剣奴として人々の見世物になるまで。
しかしながら、ここで疑問が一つ……強力な戦闘能力を持っていた天狼族が、何故そうまで一方的にやられっ放しだったのか? という点だ。
シーのその疑問に、テメラリアは答えた。
彼らが現代にまで続く酷い扱いを受けているのにはある一つの理由がある。
——それこそが、
『非業の呪いっていうらしくてな……全身が鉛のように重くなるだけじゃなく、呪われた者は必ず繁栄から遠ざかり、災いや非業な運命に見舞われれうようになるらしい。……そのせいで天狼族は今、全員があんな風に緋色の毛と瞳を失って廃人みたいになっちまってる』
『……非業の呪い……?』
『あァ……そうだ。邪神が消えたあの日、奴は何か言ってなかったか?』
『……。……っ! まさか……』
——“呪いあれ、災いあれ……
ふと、シーの脳裏に邪神との戦いの日の事が蘇る。
灰となって消えて行った邪神が残した最後の言葉。あの時はベオウルフの死に目に立ち会おうとして必死だった故に気にならなかったが……いま思えば、アレがそうだったのかもしれない。
『……何か思い当たる事があるって感じだな。多分それだぜ』
『……』
表に出ていたのだろう。シーの
『悪かったな……』
言った後、数瞬の間を置いて。
突然の事で、何を言えばいいか分からず黙ってしまったシーを気遣うように、何故かテメラリアが先に謝罪を口にした。
『……何でオマエが謝るんだよ』
『簡単さ……見てる事しか出来なかったからだ。この千年、本当に見てる事しか出来なかった……やろうと思えば、何かが出来たはずなんだがな……』
『……』
『……』
「——有り金は全部賭け終わったかい? なら、そろそろ始めようか! 待ちに待った本物の殺し合いを!!」
シー達の間に横たわる重苦しい沈黙を破ったのは司会の男の耳障りな声だった。
準備が終わったのだろう。釣られて中央の闘技場へ視線を向けると、
司会の男の目配せに合わせて男が気付け薬を
『——ルォオっッ!? オォッ、オォォオオオォォォォ!!』
ムリヤリ起こされた
すぐに少女以外の人間達が蜘蛛の子を散らすように闘技場の外へと走り出す。
そして。
興奮し切った
「——“黄金に感謝を! 死に逝く者達へ敬意を捧げよ!”」
司会の男が剣闘試合の開始を告げる言葉を宣言し、それを合図に試合開始の
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます