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第1話

ドアを開けて外に出た。ひんやりとしたベランダの床の冷たさは足の裏から身体の芯に伝わる。少し身震いしながら手すりに近づく。風がほてった頬を静かに撫でる。部屋から漏れ出した灯りが息を白く照らした。僕は空を見上げた。

友達が死んだ。

病死だった。だからいつくらいに死ぬかはわかっていた。知ったのは半年前。あの日はまだ陽がぎらぎら照っていた夏だった。担任の先生が帰りのホームルームで深刻そうな顔をして話した。僕は動揺した。正直なところ、君とは特別仲がいいという関係ではなかった。観ているドラマが被った時に話すくらいだった。しかし、いつもいると思っていた人がいなくなるのは案外、寂しくて、何故だか嫌に気味の悪い感じがした。僕は君と家が近かったこともあって、よく学校のプリントを持って行っていた。僕は君がもう死んでしまうものだと思っていたから、君が家から元気そうに出てきた時は思わず、何だ、そのくらいか、と言ってしまいそうだった。そのくらいいつも通りに見えた。君は僕を見ると笑った。上がって行けよ、そう言った。断ることなどできなかった。僕は君の後ろをついていった。君は部屋に着くと同時に、観てるか?、と聞いた。何のことかは容易に想像がついた。以前から話題になっていたドラマで、お互いに観たいと話していた。ああ、もちろん、僕は答えた。そこから僕らはそのドラマについて語り合った。あの俳優のキャスティングがどうの、BGMはどうか、あのセリフは合ってるのか。僕らの意見にほとんど相違はなかった。しかし、ひとつだけ解釈が違うシーンがあった。それは、主人公が自分の母親を殺した相手に向かって、どうして、と言ったシーンだった。僕は、どうして殺したのか、と相手に恨み言を言ったのだと言った。でも君は、違う、と言った。あれは相手だけじゃない、母親にも言ってるんだ、と。どういうことだい?僕は君に聞いた。君はしばらく僕が持ってきたプリントをじっと見て、そして、いや、やっぱり恨み言だよな、と微笑みながら言った。僕は何となくその言葉に色んなものが詰まっているような気がして何も言えなかった。それからも僕は君にプリントを渡しに行った。玄関で会って他愛もない話をすることはあったが、上がることは二度となかった。そのうち、僕のプリントはポストに入れられるようになった。そして、君が入院したことを知った。僕は色々考えた結果、ありきたりに手紙を書いた。そしてそれをプリントと一緒にポストに入れた。その三日後、君の親が君が僕からの手紙を嬉しがっていたことを教えてくれた。ありがとう、と言っていたことも。僕は、よかったです、こちらこそありがとうございます、と言った。言いながら何だかやらせなくて、涙がこぼれそうになった。帰り道に一回だけ拭った。それから数日後、君は死んだ。それと同時に僕が君の家に行くことはなくなった。先日、僕は久しぶりに君の家の前で歩みを止めた。いつの間にかそこには“売家”の札が貼られてあった。僕は、どうして、と思った。そしてほとんど衝動的に、あの日、君が言っていたことを思い出し、君が言っていたことがわかったような気がした。僕はこの思いを一生、消すことはできないのだと感じた。僕は札をじっと見ていた。きっと君はずっと、どうして、と思い続けたのだろう。そのことを考えるとあまりに苦しくなった。胸が痛かった。いや、まだ本当に痛いほうがマシだった。痛くないことが逆に悲しかった。僕は重い足取りで家に帰った。

僕は今、暗い夜空を見ている。今日は新月だ。月は太陽を見て、どうして、と思うのだろうか。“非”恒星は恒星を見て、どうして、と思うのだろうか。僕はふと、部屋を見た。机の上には二人分のプリントが置いてある。クリスマス会についてのプリント。君が死んだ日に配られたものだ。僕は冷たい空気を深く吸い込んだ。そして一度、止めて大きく吐き出した。部屋に戻り、プリントを手に取った。僕は丁寧に小さく四つ折りにして、引き出しの中にしまった。

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non @Kanon20051001

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