第2話「止まりゆく列車」

 ガタン!とひときわ大きく揺れた列車の音に、私は目を覚ました。目を擦りながら横になっていた体を起こして、周りを見渡してみる。


「……えぇ?」


 いつの間にやら、錆びた鉄の壁に囲まれていたこの空間は、年季の入った木製の部屋に変わっていた。眠っていたのは床なのに、私の体は高級そうな黒の皮で覆われたふかふかのソファーに乗っている。


 周りには本棚とか、これまた高級そうな木製のテーブルとか、観葉植物とかが置かれていて、ぎゅうぎゅう詰めに人が乗っていた場所だとは考えられないくらい広々として豪華な、言うなればファーストクラスじみた個室と化していた。


 この不思議な場所について、私には知らないことばかりだ。けど原因として考えられるのは。


「私が、こんなボロボロの列車なのが残念、って考えたから?」


 帰ってくる答えはない。代わりに、すごく遠くの方から汽笛が聞こえた。どうやら変わったのはこの部屋だけではないらしい。


 ……あまり興味は湧かないけど、他の車両があるのなら確認しないと。歓喜し、そのうえ眠っておいて今更かもしれないが、ここが安全な場所だとも限らないし。そう思ってソファーから立ち上がって、ふと閉じられたカーテンに目が留まった。


 随分と眠っていた気がする。この列車は今、どこを走っているのだろう。そんな軽い興味でカーテンを開ける。


「……わ」


 広がっていたのは、絵に描いたような―――いや、絵でなければあり得ないような大自然だった。高層ビルなんかが可愛く見えるくらいの、天を突くかの如く伸びる大樹が乱立し、その間を緩やかに流れる澄んだ水を湛えた川の周りには、爽やかな緑色の森と、見たこともない花が咲き乱れる草原。


 植物による芸術とも言える光景で―――けれど相変わらず、人も動物もいない。本で見ただけの知識と、部屋の隅に溜まった土に生えた雑草くらいしか緑というものを知らない私にとっての理想、あるいは幻想を再現したかの如く、余りにも完璧な『自然』だった。


 その魔力に惹かれてか、私は思わず『降りたい』と願ってしまっていたらしい。無垢な眼差しで窓の外の緑を見つめる自分に、窓に反射する己を見てようやく気が付いた。


「……ダメだよ、私」


 前触れもなく不思議な列車に乗っているという意味不明な状況だが、ようやく惨状が待つあの実験から逃げることができたんだ。くだらない願望で破綻するなんて御免だ。


 そう考えたのが後か先か。


 ゴォォォオン!と列車をビリビリと震わせる程の大きな鐘の音が響いた。


「っ!?」


 そして―――降りたくない、と願う私を嘲笑うかのように、列車が減速を始めた。


「やめて」


 私の言葉を無視して、列車は遅くなっていく。


「応えてよ」


 私が零した些細な不満さえ拾って、豪華な部屋に変えてくれたじゃないか。それともあれはただの偶然だったの? 列車が止まれば、またあの実験室に連れていかれる。もう嫌なんだ。あの地獄に戻るのは。


 極度の焦りか、心臓の音がうるさい。息も、汗も、命が心配なくらい激しくなってきた。いつもこうだ。何か悪いことが起こる前はいつもこう。決まって意識が遠のいていって、目が覚めればそこには地獄のような光景が広がっている。


 止まらないフラッシュバックに、ここが現実ではない可能性なんてとうに頭から抜け落ちてしまっていた。


 ふらっと壁に背を預けて、少しずつ緩やかになっていくガタン、ゴトンという音を聴きながら。


 視界が狭くなっていく。

 感覚が消えていく。

 意識が、

 薄らいでいく。

 眠りたくないのに。

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