レイル・オブ・クレイドル

シュピール

始発前の黎明

第1話「乗車」

 今日も列車に揺られている。

 惨状が待つと知りながら。


 実験対象009。今や千を超える代替可能な消耗品として生き残りすぎてしまった私は、この列車が停まった先で『自由』になれるらしい。


 『自由』がろくでもない意味で使われているのは間違いない。おおかた、先に逝ったみんなに逢いに行けるとか、そういう意味での『自由』といったところだろうか?


 それならそれでいい。

 この苦しみが終わるのならば。


 いっそ清々しく感じて、閉じていた目を開ければ。



◇◆◇



 満員だった列車内から、いつの間にか人が消えていた。

 ガタン、ゴトンと列車が揺れる音の他には、もう何も聞こえない。


「……は?」


 思わず声が出た。

 ここは次の実験場に運ばれる私たち実験対象が乗る列車―――のはずなのだけれど、乗っていた他の十数人はどこに行ってしまったのか。


 錆びた鉄と、今にも朽ち果てそうな木でできた壁と床。何十年か屋外に放置されていたものを引っ張り出してきたと言われても信じるレベルでボロボロな列車の様子は変わっていない。


 取り外されたのか椅子もないので、人が居なくなると本当にがらんとしてしまう。

 広々としてしまったその景色に、私だけが立っていた。


「何が起こって……!?」


 真っ先に目に入ったのは、白に染まった列車の窓。

 地下にある実験施設どうしを繋ぐこの列車はトンネルしか走らない。だから外の暗闇を透して黒色の窓しか私は見たことがないのだけど。


 窓に顔を押し付けて、列車が向かう先を見ようとする。


「ははっ、……私もようやく狂えたのかな?」


 そこにあったのは真っ白な世界。濃淡も何もない、空虚を象徴するかのような白が一面に広がる空間だった。



◇◆◇



 時計がないから正確な時間は分からないが、それから二時間ほど経っただろうか。

 試してみたことをまとめる。


 まず他の車両に向かおうとしたが、扉が固く閉ざされていて移動することはできなかった。他にもこの状況に陥っている人がいるかもしれないし、何より先頭車両には実験施設側の人間がいるはずだと思ったのだが。


 次にここが現実なのかを確認しようとした。具体的には手のひらに傷をつけて、痛みや出血があるか確認しようとした。これは成功したと言えるだろう。劣化してささくれた木材の表面に思いっきり手を滑らせてみても、傷がつくことはなかった。


 少なくとも、私の知る現実ではなさそうだ。


 試すこともなくなり、待てば何か起こるかもと考えて薄汚れた列車の床に座っていても、とうとう何も起こらなかった。少し大変でも立って待つべきだったと、土埃で元々薄汚れていたスカートが錆で更に酷いことになってから思った。


 それからまたしばらく待って分かったのは、私はこの電車に揺られることしかできないということ。それと、半日経っても空腹を感じないことぐらい。


「ははっ」


 乾いた笑いだ。

 不安に思ったり、はたまた暇に殺されるような状況で、私は笑ってしまっていた。


 だってこれでもう、誰も、何も気にする必要はない。完全な自由の世界だから。こんな錆鉄の匂いが染み付いたボロボロの列車だっていうのが少し残念だけれど、それでも。


「あァ―――嬉しい、な」


 そう感じると同時に、ゆるやかに、けれど抗い難い眠気が襲ってきた。


 現実ではなさそうなのだから、ここは私が見ている幻想か夢で。

 眠ってしまったら、またあの実験場で目覚めて地獄を見るのかもしれない。


 そんな思考が一瞬浮かんだ。

 けれど今は、儚い期待と心地いい振動に身を委ねて、眠ってしまおう。


 願わくば、もう一度。


 この奇妙な列車の中で目覚めてくれますように。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る