第8話

「お父様、お静かに願います」

 僕の言葉に、馬鹿ばかわらいがぴたりと止まった。こちらを振り返る目は恐怖におののいている。僕がかたわらの棚から竹製の騎馬きばむちを取り上げると、お父様は両手を挙げて叫んだ。

「待ってくれ! 違うんだ、私はただ……」

少々しょうしょう無駄むだばなしが過ぎるようですね」

 僕が床を指し示すと、お父様は口をぱくぱくと動かしながらひざまずいた。その背中へ向かって、正確に30回むちを打ち下ろす。1つ打つごとに、ひいひいと悲鳴を上げ、見開いた両目で僕を見上げる。その卑屈ひくつ醜悪しゅうあくさまは〝あれ〟とうりふたつだ。浅ましいことこの上もない。

 30回を数え終えるやいなや、お父様は転がるようにして逃げて行った。

 地下牢ちかろうに、再び静寂せいじゃくが訪れる――。


 僕は格子こうしに近付いて、尾崎おざき先生と向かい合った。

「大変お騒がせしまして、申し訳ありませんでした」

「君……優真ゆうま君? どうしたんだ、その目――」

 爛々らんらんと輝く僕の双眸そうぼうを、先生は息を詰めて見ている。感情が高揚こうようしたときだけあらわれる光彩こうさいは、みなと脈々みゃくみゃくと流れる血のあかしだ。

「5日間断食だんじきされている割にはお元気そうですね。安心しました」

「5日? そんなになるのか……何がなんだかわからないが事情は後で聞くから、とにかくここを開けてくれよ」

「――尾崎おざき先生は、年下と見れば無差別に馴れ馴れしく振舞ふるまくせがあるのですね。しかし相手はきちんと見極みきわめなければいけません。貴方あなたと僕では、そもそもの立場が違うのだから」

 先生は、ぽかんと口を開けている。余りに間の抜けた表情に、僕はき出してしまった。

「なにを言って……どういう――君は、いったいなんなんだ?」

「やれやれ、あの化物ばけものが僕の兄であることを見抜き、大胆にも旧館へ忍び込むまでした先生が何をおっしゃるんです? 貴方あなたは暇さえあれば使用人たちと立ち話をしていたのに、彼らの語る『御当主様ごとうしゅさま』と『泰三たいぞうさま』が、それぞれ異なる人物をしていることに気付かなかったんですか?」

 先生の目に、恐怖の色が差した。

「そう――この僕が、みなと現当主げんとうしゅです」

「馬鹿な! 君はまだほんの子どもじゃないか。それにみなとグループのトップが泰三たいぞう氏であることは、世間にも知れ渡ってるだろう」

「それはただの方便ほうべんです。表向きにはその方が都合が良いですからね。実際には、父はいまだかつてただの一度も、当主とうしゅであったことはありません。だって、あれはただの婿養子むこようしですから」

婿養子むこようし? ……それじゃあ先代・優次郎ゆうじろうおう実子じっしというのは、美和みわ夫人のことなのか」

「そうです。僕はおじい様の子どもが男子であったとは、ひと言だって言ってませんよ。婆やが話した通り、昔はお母様もおじい様同様に、とても利発りはつな方だったのです」

「そんな――だってそれじゃあ、君のお兄さんのことは……」

「兄の幽閉ゆうへいは、僕がおじい様と相談して決めたことです」

「まさか! 当時君はまだたった5歳だろう」

「そうですね。でも僕が兄よりまさっていることは、既に歴然れきぜんとしてました。兄の排斥はいせきを申し出ると、おじい様はそれは嬉しそうに笑っていらっしゃいましたよ。『それでこそみなとあとりだ』と言ってね。おじい様もかつて実兄じっけいを追い出して、当主とうしゅおさまったかたですから」

「なぜそんなことを! 君にとっては、腹の中から共に育った兄弟じゃないか!」

「同じ顔なんて、ふたつとあっても邪魔なだけです。ちょうじてのち、災いの種にならぬとも限りませんしね。7年をて、なかなかいい姿になったでしょう? もうすっかり僕とは似ても似つかない、異形いぎょうに成り果てたんです」

 僕は声を出して笑った。

「ああなって初めて、僕は兄を愛するようになりました。時々放し飼いにしてやってけもののようにうろつき回る下卑げびた姿を見ていると、嬉しくて嬉しくて身体が震えてくるんです」

 格子こうしを握る先生の両手がぶるぶると震えている。僕はますます心が浮き立つのを感じた。

「……俺をここへ閉じ込めたのも、君の計画のうちなのか?」

「もちろんです。父は最初から、全て僕の命令に従って動いていただけですから。先生が実に上手うまく僕のわなはまってくださって、嬉しいですよ」

「目的はいったいなんなんだ!」

「言うなれば適性検査てきせいけんさです。尾崎おざき先生が、僕の顧問弁護士こもんべんごしに向いているかいなか。みなとには今までにもこれからも、どんな泥仕事どろしごとであろうと進んでこなす弁護士が必要不可欠なのです。当主の命令とあらば人殺しをもいとわない――おじい様にとっての、新道しんどう弁護士のようなね」

「ふざけるな! 前にも言った通り、俺は下っ端だから新道しんどう先生の跡目あとめなどげないし、ぐつもりもない!」

「さて、それはどうでしょうね」

 僕は棚からファイルを取り出した。

「これは、この屋敷における先生の行動を記した評価表です。ご期待に添えなくて残念ですが、わざわざ監視カメラなど設置しなくとも、僕の目や耳となって動く人間が、ここには幾らでもいますのでね――まあ確かに、先生に対する使用人たちの評価はさほどかんばしくないようです。礼節れいせつ、情報収集能力、観察力、警戒心、いずれもCマイナスあるいはD。残念ながら、及第点きゅうだいてんとは言えませんね」

「そいつは助かった。どうやら俺は到底とうていお眼鏡にかなわないようだから、とっとと家に帰してくれ。これ以上ふざけた真似まねを続ける気なら、俺にも考えがあるぞ!」

 先生は必死で威嚇いかくしようと試みているが、残念ながら迫力にはいちじるしく欠けていた。

「ああ、ひとつ良い点もありますよ。僕は先生の前でずいぶんとおびえて見せたのですが、貴方あなたは最後まであの化物ばけものを見たとは言いませんでした。多少演技には覚束おぼつかない点もありましたが、じょうよりちゅうを重んじるのは臣下しんかとしてきわめて正しい姿勢です。ただし貴方あなたあるじは、初めからずっと僕だったわけですが」

「もういい! とにかく早くここから出してくれ、頼む!」

「まあ、これから経験を積めば、欠点もやがておぎなうことが出来るでしょう。貴方あなた誠心誠意せいしんせいい僕につかえる覚悟を持てば、必ず良くなります」

「だから嫌だと言ってるだろう! 俺は泥仕事どろしごとなんかしない。何だったら、弁護士なんて辞めてやる。いいから早く出せってば!」

 先生は地団駄じだんだを踏んだ。僕は鼻先が格子こうしに触れるほど、顔を近付けた。

「ねえ先生、こう言ってはなんですけれど、貴方あなたひとりを完全に消し去るくらい、僕にはたいして難しいことじゃないんですよ。それこそ新道しんどう先生がどうとでもしてくれます。すべて秘密裏ひみつりにね」

 尾崎おざき先生は格子こうしの間からつかみ掛かろうとした。僕が素早く身を引くと、その指は憎々にくにくしげにちゅういた。

「さあ尾崎おざき先生、一生涯いっしょうがいを僕にささげる覚悟は出来ましたか?」

「――嫌だ。俺はおどしになんて、絶対に屈しない!」

 その言葉に、僕は内心ないしんほくそ笑む。そうだ、この程度で簡単にひざまずくようでは面白くない。

まことにお気の毒ですが、僕の命令への回答に『いなや』は存在しないんですよ。先生も早くそう認識出来ると話が円滑えんかつに進むんですけどねえ……まあ、まだ元気が有り余っているようですし、もう少し考える時間を差し上げますよ。僕に従う気になったら、その水道のわきにあるボタンを押してください。2、3日に1度くらいは様子を見に来させますが、早く素直になった方がお互いのためですよ。それでは」

「待てよ、何処どこへ行くんだ!」

何処どこって、自分の部屋ですよ。明日も早いからもう寝ないと。先生と違って、僕は忙しいんです。何しろ貴方あなたのお相手を十日とおかつとめたから、会社の業務がすっかりとどこおってしまって」

 僕は、引き戸に手を掛けながら付け加えた。

「そうそう、40年前の新道しんどう先生は二月ふたつきも頑張ったそうですよ。さすがに戦争を生き抜いた人は違いますね。尾崎おざき先生がどれくらいのねばりを見せて下さるのか、今から楽しみです」

「まさか、新道しんどう先生もこんな目に――?」

 壁のスイッチを押した。たったひとつの赤電球あかでんきゅうが消え、地下牢ちかろうしんやみに包まれる。床を転げ回る音とけもののような咆哮ほうこうを聞きながら、僕は南京錠なんきんじょうを下ろした。

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