第4話

 尾崎おざき先生がこの家に来て、3日が過ぎた。

 お父様は旧館の書斎しょさいこもり、食事の時間以外は姿を見せない。いまだに指示が与えられないので、先生は暇を持て余しているようだ。屋敷の方々ほうぼうで使用人たちをつかまえては、世間話で時間をつぶしていた。

 その日の夕食後、図書室で先生に遭遇そうぐうした。てっきり客間に戻ったものと思っていたので、僕は少し驚いてしまった。

 先生は頬杖ほおづえをついて何かを熱心に読んでいたが、こちらを見て顔をほころばせた。

「今度は何の本を持っているんだい?」

 僕は手に持っていたビアズレーの画集を差し出した。先生はあまり興味なさそうにパラパラとめくると僕に返した。

「ここの蔵書は見事だね。人文から社会、自然科学まで多岐に渡って集められている。しかもきちんと十進分類法にならって整理されているなんて、素晴らしいな」

「先生も本がお好きなんですね」

「最近は忙しくてなかなか読めないけど、昔は片っ端から濫読らんどくしたもんだよ。金が掛からない暇つぶしといったら、図書館通いにまさるものはないからね」

「ここにあるのはうちの蔵書ぞうしょのほんの一部なんです。旧館の図書室には、稀覯本きこうぼんなどもたくさんあるのですけれど」

「へえ、それは見てみたいなあ」

 僕は、書見台しょけんだいの上に伏せられている本を見た。赤い革張りにきんをあしらった装丁そうていには、見覚えがある。

「それ、おじい様の自伝ですね」

「あ、ごめん。読んじゃまずかったかな」

「大丈夫ですよ。ここはお客様にお使いいただくための図書室ですから、どの本でもご自由にご覧ください」

 僕は、先生の隣に座った。


「何か、興味を引かれるようなことはありましたか?」

「そうだね。まだ初めの方しか読んでないけど、これぞ湊家みなとけって感じだな」

「どの辺りがですか?」

 僕が首をかしげると、先生は本を広げてみせた。

「たとえば、これさ。先代の優次郎翁ゆうじろうおうには3つとしはなれた兄がいたけれど、おうの方がはるかに優秀であると見た先々代は、長男をあっさり分家へ養子に出し、次男に家督かとくを継がせている。長子相続ちょうしそうぞくが当たり前だった時代に、これはとても異例なことだよ。こんなところからも、徹底した実力主義がうかがえるね。ひょっとして、泰三たいぞう氏も他の兄弟をはじばして、当主になったのかな」

「おじい様には子どもが1人しか出来なかったんです」

「そうなんだ? でもまあ、たった1人の息子があれだけの傑物けつぶつなら、文句はなかっただろうな」

 先生は本を閉じて、僕を見た。

「その点、優真ゆうま君は幸運かもしれないな。君のように優しげな性格は、俺はとても好きだけれど、競争者を蹴散けちらすことには向いてなさそうだ」

「……実は、僕にも兄がいたんです。双子ですけど」

「えっ、本当?」

「はい……5歳の時に、亡くなったんです」

「ああ――ごめん。無神経なこと言ってしまったな」

「いいんです。昔のことですから」


 沈黙が流れた。先生はその場の空気を変えるように、両手で肘掛ひじかけを叩いた。

「いやあそれにしてもさ、俺は一体ここに何しに来たんだと思う? もう3日になるのに、相変わらず何の指示ももらえない。泰三たいぞう氏にたずねようとしても、まったく取り付く島がないんだからなあ!」

「もしかしたらお父様は、避暑を兼ねて先生にくつろいでいただこうとのお考えかもしれません」

「いやあ、泰三たいぞう氏はそんな甘いタマじゃないよ。ひょっとして屋敷中あらゆるところに隠しカメラが仕掛けられていて、俺の一挙手一投足いっきょしゅいっとうそくを監視してるんじゃないかとも思えてきた」

「まさか!」

 僕がき出すと、先生も一緒になって声を出して笑った。

「あーあ、あまりに暇だと探検でもしたくなるなあ! こんなに広い屋敷なら、地下室やら秘密の抜け穴やら、たくさんありそうだ。優真ゆうま君、宝の地図でも持ってないかい?」

「あはは。残念ながら地図は持っていませんけど、旧館には開かずの間があるらしいですよ」

「本当?」

「ええ。僕は入れないエリアなので、直接見たことはありませんけど」

「へえ、湊家みなとけ御曹司おんぞうしでも入れないところがあるのかい?」

「ええ。旧館は数寄屋風書院造すきやふうしょいんづくりの日本家屋なんですけど、西側への立ち入りはお父様から固く禁じられているので、どんな様子か僕は全然知らないんです」

「ふうん。そう聞くと、ますます気になってくるな。俺、昔から秘密基地や隠し部屋に弱いんだよねえ」

 その夜、僕と先生は、回転する壁だの寄木細工よせぎざいくの隠し部屋だの、思いつくままにいろいろと挙げながら、ひとしきり笑いあった。

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