ジャイアンと不倫するタワマン妻しずかの話

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第1話

源静香は25歳の節目を迎え、女としての限界を感じていた。

永遠に続くと思えた小学校生活を終え、それが最初から当たり前のようであったかのごとく中高大と進学した。

小学時代、いつも彼女の周りには男がいた。クラスのよくできる優等生、お金持ちのお調子者、メガネの冴えないいじめられっ子、巨体のいじめっ子。皆が彼女のことを好きだった。ものごころついたときから一心に受ける男たちからの寵愛で、彼女は自分の女としての価値を知り、自己肯定感を高めた。


それは中学に入学してからも変わらなかった。

職員室に行って先生に個別質問をすれば「ここ、テストに出るからね」と教えてもらえる。生徒会も立候補して当選。これも当たり前のように高い内申点を叩き出し、推薦で高偏差値の私大に行った。人は彼女のことを「才色兼備」と呼んだが、静香は、自分がどちらも手に入れているのではなく、色(顔かたち)が先行していることを理解していた。

すべてが想像できる範囲の世界だった。


大学に入学しても、美人であると騒がれた。

ただ、一部の、否、大部分の女性は彼女のことが嫌いだった。

ミスコン委員会に声をかけられたときは「私に投票してくれる人なんかいないわ」といって拒否した。それは、彼女の本心だった。

女性から阻害されればされるほど、彼女は男性を味方につけた。幸いにもいまだに日本は男性社会であるし、彼女が紅一点としての立ち振る舞いは最高だった。

彼女は就職活動をソツなくこなし、一流企業に入社した。インセンティブの大きい外資系IT企業のソリューション営業だったが、彼女の処世術からすれば簡単だった。これもまた女性からは「若いうちよ」と僻みの陰口も言われたが、彼女は自分の薄くてエレガントな顔は年をとっても「きれいなおばさん」になると思っていたし、「きれいなおばさん」は営業として成果を出すのだから問題ないと思っていた。

人生は何もかもが予定調和だった。彼女だけが、抜け駆けをしてラッキーを掴み取ることができる運勢のもとにあるのだ。

学生時代のエリートな彼氏と交際して結婚、武蔵小杉のタワーマンションを購入した。ダブルインカムなのと彼の両親が頭金を奮発してくれたから50代で返し終わるであろう。彼女はとても退屈だった。


***


もう一人語るべきなのは剛田武だ。あの小学校からの成功者はこの2名だと言っても過言ではない。

剛田武は外資系保険会社の営業をしていた。彼はオーダーメイドのスーツを着こなしながら、ホワイトニングをした歯を光らせながら、持ち前の強引さで成約を巻き取っていった。彼は入社してから2年で事業所の所長になり、すでに働かなくてもお金を稼ぐ仕組みができていた。年収は2000万円を下らなかった。20代にして中目黒のマンションを購入した。


マンションを購入してから、一人も女子を招いたことがなかった。

武は、ホモソーシャルの中では最頂点にいたが、女性と関わる中ではとても弱い存在だった。

女と会話することが苦手だった。彼は外見が優れているわけでもなく、真面目さや、人から愛される力を持っていない。

また、わかりやすい金と権力目当ての女は近づいてこなかった。なぜなら、キャバクラやホームパーティーに出向かず、常にクライアントとの連絡に時間を削いだため、金や権力目当てに近づく女とコミュニケーションを取る機会がなかったからだ。

なによりも、彼は賢い女の子のことが好きだった。男性社会の中の紅一点が理想だった。男子に対してピシャリと意見を言いながら、お母さんのような、お姉さんのような、おしゃまな振る舞いをする利発的な女性が好きだった。アイドルのような小動物系の女性を見て庇護したいという思いに駆られたことは一度もない。受付嬢から「すごおい」という声を聞いても彼の心は満たされなかった。


剛田武は20歳のとき、小学校の同窓会の帰りに童貞を捨てた。相手は源静香である。

あのワンナイトから、一度も誰とも体を重ねなかった。(この場合の体を重ねるとはセックスの隠喩ではなく、単純に手をつなぐ、キスをするということも含まれる)


5年前、昔を懐かしんだ静香にとって、二人がホテルに行くというのは当たり前だと思っていた。刺激中毒者の彼女にとっては、小学校時代の熊のようなクラスメイトの新たな一面を見るということはこれ以上ない興奮要因だった。静香にとってセックスは愛を確かめ合う行為ではなく、自身の優れた肉体を武器に、相手が堕ちていくのを見るショウタイムでしかなかった。

しかも、この日、クラスで唯一話を共有できると思ったのが剛だった。同窓会は皆が羊のように穏やかで愚鈍に思えた。出木杉においてもエリート大学にこそ進んだが父親の会社を次ぐという決められたルートに乗る中で、剛田だけが野心を持っているように感じた。

つまらない、という気持ちを、隣りにいた武も共有してくれると思い、二軒目に誘い、いくつか酒を煽った後自分から誘った。武の人生と自分の人生がとても近いのだと思った。彼の肉体が光った。


武にはあの日の甘美な時間は人生のピークのように何度も反芻した。


***


いつもは誰もいない中目黒の2LDKに、女がいた。

25歳の武は、静香を再び誘い出すことに成功したのだった。あの日、静香が逃げるように去って行ってから、5年もの時が経過したが、中目黒の駅前で少しコーヒーを飲むとすっかりとあの頃のように戻り、「あ、家に寄っていく?」というセリフを振り絞った。


静香は静香で、深いことは考えずに誘いに乗った。なにか理由を述べなければいけないなら、人の家にいくのが好きだった。元々武蔵小杉のタワマンを購入したときも10軒は内見に行ったくらいだ。大学時代には学校に近い家の男子の家を訪れては、空きコマの90分を有意義に過ごしたものだ。これを知る女性陣は「ビッチ」と聞こえるように言ってきたが、彼女にとっては知らない人の生活を見ることや恥部を見ることは優越感と興奮と罪悪感に濡れ、優れた小説の読後と同程度のエクスタシイを手に入れることができた。


「生活感がないわね」と静香は言った。

「でも、インテリアがまとまっているわ」

武の家は、本当にものがなかった。50m2ほどの家はコンクリート打ちっぱなしの壁に、ダクトが見えるような剥き出しの天井というようなおしゃれな造りだったが、リビングにはソファーと机が置かれてるだけで、寝室にはベッドが置かれているだけで、とても人が住んでいるように思えなかった。

しかし、そのソファーや机やカーテンはシンプルな配色でまとめられていた。


彼は何者かになりたいという陳腐な思いはなく、名の知られない強者でありたいという思いが強かった。すでに実力で様々なものを手に入れていたが、圧倒的に内省が足りていない。

結果、年収や家などわかりやすいステータスを手に入れても、幸せの形が何かは決してみえていなかったし、幸せというような抽象的な単語を掘り下げるようなことをしたことはなかった。

静香は彼の浅はかさを感じ、とてもかわいそうに思えた。そして、とても可愛らしいとすらも思った。可哀想と可愛らしいという感情は同じ痛点からじわじわと湧き出るものだ。


とりあえずソファーに座った静香に、とりあえず紅茶を入れる武。

無言の時間が気まずいから、静香は膝をポンポンと叩いた。武はお利口の犬のように膝枕をされるために横になる。

武の視点からは静香の口や鼻の穴がよく見えた。キスをしたいと思い、やや強引な姿勢で腹筋に力を入れてキスをした。やり取りは手間取らず、すんなりとディープキスへと進んだ。離陸許可が降りた。


「ベッドに行く?」

武は自分が行ったセリフがドラマの中のようで恥ずかしく思った。また、自分の家のベッドに連れていくとき、人はお姫様抱っこをするのだろうかと少し考えたが、静香がスタスタと寝室に向かって歩いてしまうので少し残念な気持ちもあった。


真っ白なシーツの上で武は静香と再びキスをした。

腰の薄い骨を撫でるようにし、肩甲骨を抱いた。武は久しぶりの感覚に歓喜した。

静香のトップスを脱がせようとしたが、静香はそれを拒んだ。

「シャワーを浴びたい」

「いいよ、このままで」

「汚いから……」

「汚くないよ」

「シャワー浴びる」

と、頑なだったので彼は一旦自分の興奮を押し留め、バスルームの明かりをつけてお湯を温め、バスタオルを準備することにした。

あの静香が自分の家でシャワーを浴びているという奇妙。一日前の自分は何をして過ごしていたかが記憶喪失のようになっているな、と思った。


シャワーを浴びた静香はバスタオル一枚で出てきた。よく引き締まった肉体は、5年前よりもほっそりしたように見える。

改めて、彼はキスをし、彼女の下に手を伸ばした。

「……あったかい」

我ながらつまらない感想を言っているなあと思った。

と同時に、彼女もお返しと言わんばかりに彼の性器を扱いた。

武はその快感と、今の幸福で頭が馬鹿になっていると感じた。彼は母親に自分の悪行を懺悔するかのごとく、今が5年ぶりの行為であること、すぐにイキそうであることを告白した。静香はああ、と納得し、手際よくゴムをつけて彼を招き入れた。


静香は美しい。白い陶器のような肌と、よく引き締まった肉体はヴィーナス像のようだった。初めて見た瞬間、彼女のことを大切にしたいという気持ちに駆られた。彼女の優しい目や、ほぼ初めても同然の自分を誘ってくれる様はまるで聖母のようで、彼女が5倍にも10倍にも大きく感じられ、ただただ彼女の肉体の温もりに埋もれて横になりたいという気持ちが起きた。彼はエリートとしての自分の人生が、「誰か」「一人」に選ばれることもなく、「誰か」「一人」と親密になったこともないことを気づいた。


静香の中で前後運動をしながら、ジャイアンは涙した。


彼は深夜に見たアニメーション、エヴァンゲリオンが好きだということを誰にも言えなかった。学校にいるエヴァンゲリオンが好きな人たちはたちまちオタクだとみなしてきたからだった。

彼は実家を継がずに映画のプロデューサーになりたいということを言えなかった。幼少期から自分にも他人にも厳しいお母さん、もう顔を思い出せないほどに家庭から遠ざかっているお父さんに認めてもらいたかった。彼は自分の人生を狂わせてくれるような女の子と出会いたかったし、父親から期待を受けて巨大な機体に「乗れ」と言われたかった。

中学になる頃から、周りと話が合わなくなっていった。本当は武田砂鉄のようになりたかった。彼にはその賢さはあったが、どうすればなればいいかわからなかった。ああ「もしもボックス」があれば彼は今すぐ商学部に行かずに2月12日の早稲田大学文化構想学部の入試に向かわせたのに!!


彼は1分ほど緩やかな前後運動をしながら、次第に息を速くした。

しずかに果てた。


彼が横になると、静香は彼の腕に頭を乗せた。セックスの後には腕枕ーーー静香が社会人としての当たり前の振る舞いができているのに、武はできていない。

静香は武の不恰好なフェイスラインを指でなぞった。彼のカバのような顔は、静香の小さな両手に余るほどで、あれほどに大きな存在だと感じた女体は実は捻り潰せてしまうほど繊細に作られているのだと思った。

武の頬は、全8回のメンズ脱毛のおかげでツルツルとしている。静香は彼の毛穴ひとつない肌をほめ、武はこの日のために痛みに耐えたと思った。陰毛の脱毛は痛みが強く1回で中断した事実は言わなかった。


***


彼女はとてもつまらなくなってしまった。猛々しく身体を貪ってくれるかと思いきや、大海の水面のような凪いで穏やかなセックスだった。


帰り道、一人で道路沿いを歩きながら五年前のことを思い出した。

武はあの日、行為をした後静香に「付き合おう」といったのだった。彼は初恋が結ばれたと勘違いをしていたのだった。静香は、武が思いの外遊んでこなかったのだとその瞬間気づいた。途端に、自身を恥じた。またやってしまった、これで何度目のことか。きっと武は今日のことを地元の仲間に言いふらすに違いないと感じ一貫の終わりを感じた。(しかし、武は言いふらさなかった。なぜなら彼にとっての初恋の終了は誰にも理解してほしくないと思ったからだ)


それに比べて今日の武は、彼女の身体も心も手に入れたいという気持ちはなく、色々と譲歩をした結果の身体的接触であった。それもそれでひどく中途半端に感じたし、つまらない。彼はエリートサラリーマンとして成功者のように見えたが、全く持って違うのだという収穫を得た。ただ単に自己内省が足りていない、馬鹿で性格も悪くて独りぼっちの憐れなおじさん予備軍だ。幼少期から人を出し抜こうと、同級生を蔑ろにしながら、カーストの上位を取り続ける野心家も、終には金しか持たずにつまらない人間だと思った。

彼女は彼と寝たことにより、自分のことがもっと好きになった。

スキップをした。

地面を蹴り出し、空を飛ぶ。

静香は元来の考えすぎな自分の性格は、人生を俯瞰して組み立てるという点からもらったギフトのような気がした。幸福を諦めず自己研鑽を重ね、自分にとって何もかもが「つまらない」と思うくらいにはぬるい38℃くらいの幸福に包まれながらより上を目指しているという自分が美しいと思った。孤独な怪物を一人の男性にし、それを癒したという慈善事業をしたという満足感もあった。

家に帰ったらヴァンクリーフアーペルのアルハンブラを買おう。きっと自分に似合う、と思った。スキップの力が強くなる。そろそろ駅だ。彼女は自己肯定感を高めるための比較対象としての没落した元いじめっ子を得た。自身の生活の価値を見つめ直すことは良い発見だと思った。夫にバレない程度に、来月も1回程度会おうと考えた。彼が再び自分の身体を貪る日まで、自分は彼を刺激中毒者への道へと引き摺り込もうと思った。彼の泣いている顔を見るならば、出来杉とも寝てみたいと思った。LINEをたどって連絡をしてみようと考えた。


と、僕、ドラえもんは一部始終を見て、空を見上げた。ポケットに手を忍ばせる。未来を変えられたらいいのに。否、不可逆であり彼女は再度同じ道を歩むに違いない。

傍らで観ていたが自分の役目を思い出し、僕はタイムマシンを取り出し、元ある未来へと歴史修正をし、この悲しくも主体性のある現代日本の女性をつまらない眼鏡の真面目が取り柄の男のものとし、昭和的な家庭の幸福へと戻そうと決めた。

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