第五章

第31話





 目的地に到着したキャラバンは、現地の人々に出迎えられた。エゼキエルは徒歩で移動していた時よりも、疲労が蓄積された身体を解しつつ、辺りを見渡して細い息を吐く。街を越えた向こう側へ森林のような場所が見え、グローブをはめた両手を握りしめる。

 あの場所に目的の物があるかは分からない。それでも今は、少しの希望でも逃してはならないのだ。


「王子様」


 ラクダを休ませたサプタとエカが、ゆっくりとした足音で近づいてくる。二人は片手を胸に当てると、深く頭を下げた。


「我々の役目はここまでです。……どうかこの先は、貴方の船でお進みください」

「……いろいろ、ありがとうございます。エカさん」

「いいえ! 神より賜った誉れでございます。……ご武運を!」


 ソレは再び一礼すると、弟子を片腕に抱き上げて踵を踏み鳴らす。破裂音がしたと思えばローブの内側から、無数のカラーテープと白いハトが飛び出した。驚いて眼前に両手を掲げ一瞬意識が反れてしまえば、ソレは跡形もなくその場から消え失せる。飛び散ったテープも、ハトの羽も残さず、まるで一時の夢であったかのように。

 暫し呆然とその場を見つめていたエゼキエルは、肩の力を抜いて口角を緩ませる。最後まで奇天烈な魔法使いだ。敵でも味方でもない不思議な存在である。

 エゼキエルの肩に体温が触れて振り返ると、カスティは双眸を細めてエカが消えた場所をみやり、すぐにエゼキエルへ視線を向けて頷く。

 迷うより先に、行かなくては。


「行こうカスティ、シェハ。……ベリカさん、この砂漠の旅は、本当にありがとうございました」


 真剣な表情で三人に近寄ってきたベリカに、エゼキエルは表情を和らげて頭を下げる。しかし彼女は数秒無言になった後、両手で自身の頬を叩いてから顎を上げた。


「何言ってるんですか、あたしも行きます!」

「は?」


 シェハが思わず声を上げれば、彼女はエゼキエルの前に立ち、両手を取って握りしめる。輝く瞳は曇りなく、真摯な感情を如実に表していた。


「王子さま、約束してくれましたよね、店を出して良いって」

「……もちろん」

「だからあたしは、商売の為についていきます。破談にされたら困りますから」


 そんな事は、と言いかけて、エゼキエルはベリカの顔を見つめ返す。

 彼女は一呼吸置いた後、自分がついていく利点を語りだした。ラクダから馬に鞍を変えれば、この先も荷台は使えるし、物資の調達に困れば、商人への口利きもする。精霊はまだ子供だが、何事か起こった時の盾になれる。


「ベリカさん、しかし、けして安全な旅ではないんです」


 カスティが眉尻を下げて、ベリカとエゼキエルの間に割って入った。彼女はカスティを見上げ、両手で彼女の片腕に縋り付く。


「もちろん! 分かってる! でも、あたしも、あたしも連れていってください!」


 唇が微かに震えたのが見えた。恐らく彼女の意図は、別のところにあるのだろう。カスティもそれに気が付いているのか、強引に振り払うようなことはせず、ベリカの肩に軽く手で触れた。


「……いいんじゃないか、連れていけば」


 エゼキエルが答えるより先に、シェハが進言する。目を見開いて肩越しにシェハを見ると、面倒そうな表情を隠しもせずに、両腕を組んで顔を逸らした。彼が誰よりも先に承諾するのは珍しい。

 同じくカスティもシェハを見つめ、次いで参ったと言わんばかりに息を吐き、エゼキエルに向き直る。その顔は憂いもなく穏やかだった。


「……共に行きましょう、ベリカさん」


 エゼキエルは片手を差し出し、ベリカの顔を改めて見つめる。彼女は呆けた顔でエゼキエルと片手を交互に見つめた後、喜びの声を上げて両手を伸ばした。

 

 


 

 街の宿屋に荷車を預け、ベリカの提案を受け、道行く人々や店頭で泉の事を聞いて回る事にした。

 泉について情報は得られなかったが、向こう側に見える森林について、不可思議な話を聞く事になる。

 あそこにある森は、何故か辿りつけないらしい。昔からそこにあったという住人も居れば、気がついたら出来上がっていたと話す行商人もいる。


「ガセネタとは言えないが……どうだろうな」


 シェハの呟きに頷いて、エゼキエルは片手の甲を額に当てて思案する。

 森林についての話題は、随分と会話する人物によって差があった。しかし、泉のことは皆そろって首を傾げるばかりだ。辿り着いた者が居ないのであれば、仕方がないことだろう。やはり実際に己の目で確かめるほかない。

 杖で軽く地面を叩いたカスティが、遠方に見える緑に眉を寄せた時だった。


「迷っているのか、大地の子よ」


 うっすらと笑みを纏わせた声音が耳朶を打ち、エゼキエルは空を仰ぎ見る。数回の羽ばたきに合わせ、太陽を背にした影が四人へ伸びた。

 軽い音を立てて舞い降りたそれは、頭から生えた髪と同化する翼をたたみ、見定めるように目を細めると口角を吊り上げる。

 シェハのすぐ傍にある塀の上に降り立った彼は、腕を組んで四人を見下ろした。派手な色合いを持つ、二枚の布を組み合わせた衣装は、鮮やかながらも厳かな印象を受ける。

 この世界で翼を持ち、地上を歩む者と同じ言語を操る存在は皆、須く創造主の御使いだ。もしやエカと同じように、創造主の頼みを受けて来たのだろうか。

 エゼキエルが緊張を帯びた双眸を向けると、鳥に似た万物の化身は、興味深そうに一同へ目を向けた。


「……なんだ、お前」


  警戒するシェハが、僅かに声を低めて彼を睨む。化身は少し考えるような仕草をした後、再び緩やかに微笑んだ。


「わたしはヘイルムだ。司るは風来の空。大地の子よ、お前、面白いことになっているな? その命は誰のモノだ?」


 膝をおり、目線を近づけるヘイルムに、シェハが眉を寄せたまま無言を返す。カスティが片手で我が子を引き寄せると、ヘイルムは喉の奥で笑い指先を顎にあてた。


「……ふぅん、親と子か。……困っておるようではないか。事と次第によっては、助けてやろう」


 不遜な態度で首を傾げるヘイルムを見上げ、エゼキエルは眉を顰める。この言い分からして、創造主の使いではないようだ。

 風の化身は気分屋が多い。敵意は無いが、害が無いとも言いづらかった。泉の場所を問いかけて、適当に遊び相手にされる可能性もある。

 きょとんとした顔で三人の様子を窺っていたベリカが、片目を眇めて声を上げた。


「助けてくれる人? あたし達、『願いの泉』を探してるんです、そういった話は知りませんか?」

「っお、おい……!」


 特に警戒もなく話しかけるベリカにぎょっとして、シェハが慌てて遮ろうとするが、大きく翼をはためいたヘイルムに動きを止める。化身は愉快気に目を見開いて口端を吊り上げ、しげしげと四人を見下ろした。


「ああ、……ああ、知っているぞ。気に入った。入り口まで連れて行ってやろう」

「! 本当ですか!?」


 ヘイルムの言葉にエゼキエルが反応を示せば、ヘイルムはますます笑みを深めて踵を返す。そよ風に揺られるように塀を片足で押し出せば、重力を感じない動作で浮き上がった。


「もちろんだとも、着いて来い。……歓迎しよう」





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