第30話






「カスティさん、どうしたの?」


 荷車の隅で横になり、丸まっているカスティに、ベリカが心配そうに声をかけてくる。呻くように答えるが正直に言うと、半分も頭に入ってこなかった。

 積み込んでいた毛布を頭まで被り、暗闇の中で強く目蓋を閉じる。口元に引き寄せた指先が震えているのが、無性に情けなかった。

 エゼキエルの言葉が、脳にこびり付いて離れない。潔い死を受け入れられない己を赦してほしいと、苦しみ抜いて死にたいと口にした穏やかな表情が、頭から離れてくれないのだ。

 自分でも言い表せない理由に、憤慨する意識とは裏腹に、どうしようもない安堵が込み上げてくる。

 カスティは眉間に深く刻んだ皺に、手の甲を押し付け奥歯を噛み締める。

 赦されたいなど、懇願する声で言わないでほしかったのだ。


「おい、カスティ」


 シェハの呼び声がして、背中側に体温がのしかかる。


「王子とベリカが、経路の確認をしに行った」


 そこで初めて荷車が停車している事に気がつき、緩慢な動作で毛布から顔を出す。肩越しに振り返ると、二台の出入り口を見つめながら、こちらに背を向けているシェハが視界に入った。

 他に何の気配もない事に安堵し、再び壁へ目を向けて毛布を鼻先まで引き上げる。


「……何かあったか」


 カスティを一瞥もしないが、不安を滲ませた声音が届いた。


「……昨晩、座長様に言われたの。……自分を卑下することは、愛する人への冒涜だと」


 エゼキエルとの一件をそのまま伝えるのは憚られ、もう一方、突きつけられた感情を言葉に乗せる。顔にまとわりつく砂を指先で払い、首を傾けて床に頬を押し付けた。

 考えても見なかった。化け物だと自覚し蔑む方が、自ら犯した罪を忘れずに済む。許されない方が楽で、後ろ指をさされた方が気が休まって、それを反論すべきではないと思っていた。

 その行いが誰かを傷つけると、考えたこともなかったのだ。


「お前は、生まれたことを後悔した事はあるか」


 静かな問いかけに、一瞬内容を把握できず反応が遅れ、次いで驚いて飛び起きる。背を向けたままのシェハは、僅かに顔を傾けただけだった。

 沢山の後悔と無念を抱えていても、生まれなければと思ったことは、なかった。

 長い指、背の高い骨格、黄色みを帯びた肌。シェハが作り上げた精巧さは、人間と何一つ違う所がない。感情の機微すら、遜色なく生きていられる。


「オレはある」


 穏やかに言い切ったシェハは、カスティを振り返る事なく、顔を伏せる。


「この髪と、術者としての強すぎる力が嫌いで、きっとオレは化け物なんだと、思っていたことがある」


 抑揚に乏しい声から感情は読み取れない。カスティは激しい衝撃を受け、後ろから我が子を抱きしめる。彼は微動だにせず荷台の床を見つめたまま、尚も顔を伏せていた。

 初めて伝えられた告白に、動揺が収まらない。シェハに召喚されてから、一度もそんな事を聞いた事がなかった。

 シェハには両親が居なく、カスティと出会うまでは修道院で暮らしていた。共に旅に出る際、修道士から、まだ乳飲み児だった彼は、門前に捨てられていたのだと聞いている。修道院の中でシェハがどのように過ごしていたのか、興味はあったが彼は頑なに話を拒んでいた。

 指先で髪を撫でれば、シェハがようやく肩越しに振り返る。カスティと同じ色の瞳は、揺れる事なく透明にこちらを見つめていた。


「カスティは、オレの羨ましいの集合体だ」


 鉛色の髪は異端だと悲しみ、皆と同じものになりたかった。

 術者として力を発揮して、皆の力になりたくても、子供なのにと恐れられた。

 有ること無いこと噂され、指をさされて笑われて、それでも夜に眠れば一人を思い知らされ、朝起きれば日が昇る事実に打ちのめされる。

 皆と同じように、暖かな月の光を指でなぞり、穏やかな太陽を浴びて生まれたかった。

 カスティは口を閉ざし、シェハの肩を弱く掴む。彼は暫く無言で瞳を瞬かせた後、自嘲気味に笑って顔を逸らした。眉間に皺を寄せ、片手を口に当てて沈黙し、目蓋を伏せる。


「……でも、そう考えるのは、やめたんだよ」


 再びカスティを捉えた瞳が、何かを堪えるように微かに揺れた。抱きしめる為に伸ばした腕は軽く払われ、シェハは溜め息混じりに息を吐き、床に手をついて立ち上がる。その顔は先ほどあった憂いを払い、呆れを含んでカスティを見下ろしていた。


「少し安心した」

「安心……って?」

「カスティがあの王子を生かしているのを見て、もしかしたら生きることを、諦めたのかと思ったから」


 困惑する声に、シェハは肩をすくめて言葉を返す。息をのんだカスティは、無意識に視線が彷徨った。

 カスティの右目には種が埋め込まれ、いつどの様に発芽するか分からない。杖にも細工が施してある以上、エゼキエルが死んでいないことなど、雇い主には筒抜けだ。シェハはカスティが自暴自棄になったのでは無いかと、心配していたのだろう。

 エゼキエルの生存は、カスティとシェハが雇い主との契約を破棄した事と相違ない。それはカスティが今まで以上に、危険に晒されている事と同義だった。

 だが、と言葉を切って、シェハは緩く口角を上げる。


「……杞憂だったな」


 咄嗟に聞き返そうとするが、シェハは再び背を向けて歩き出し、荷車の布を捲り上げて飛び降り去っていった。

 残されたカスティは暫し呆然と、彼が座っていた場所を見つめていたが、指先で胸元をなぞり唇を噛み締める。何も無いはずの底が、四方から圧迫される息苦しさに眩暈がした。

 先日のベリカ然り、昨晩のエゼキエル然り。皆、よほど成熟しているように感じる。自分だけが置き去りにされているようだ。

 皆が一つずつ足りない物を探して、一人ずつ自分の弱さを知っている。

 握りしめたマントの内側が、酷く熱い。毛布に触れる指先は絶えず震えていた。

 これが惨めか、今は分からない。それでも息が詰まるのは、互いの間にある感情を、愛だと信じているからなのだろう。

 





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