第28話




 ◆ ◆ ◆



 真っ白な月が、天高く上る。

 エゼキエルは二重にローブを羽織り、半ば無理やり寝袋に入り込んだ状態で、焚き火の側に寝転がっていた。

 ベリカから荷台の中で眠るよう促されたが、どこか従う気になれず、冴えた目で夜空を見上げる。

 荷車の中ではサプタと共に、シェハとベリカが眠りに落ちていた。


「穏やかな夜ですねぇ」


 ローブの裾から袋に入ったマシュマロを出現させ、枝に刺して焚き火の前に並べていたエカが、同じく夜空を見上げる。エゼキエルのすぐ脇に座っているカスティが、僅かに目蓋を開けた。


「ええ、そうですね。カスティが盗賊を撃退してくれたおかげだ」


 上目に彼女を見れば、カスティは返答をせず笑みを溢したきり、沈黙する。

 夕刻と夜の境目で見せた冷酷さとは打って変わり、灯火が当たり橙色に色付く相貌は影を落としていた。

 盗賊が逃げ出したあと、他の商人達から感謝の意を受け取ったが、皆、一様に怯えた顔をしているのが見てとれた。

 痛みを感じないカスティの戦い方は、旅の途中で出会った獣人、騎士団長ネロの指摘通り、自分の傷を顧みない。炎がまとわりついても顔色ひとつ変えず、蹄が食い込み腕が陥没しても、驚く素振りも見せなかった。商人達にはそれが、人智を超え恐ろしく感じたのだろう。

 人間は己が御しきれない存在を、絶えず畏怖する生き物だ。結果的に安全を守る行為であっても、いつか自分たちに降りかかるのではと考えることを、エゼキエルも否定は出来なかった。


「ロガモール様はお強いのですね。あっという間に退治してしまいました」


 焼けたマシュマロが刺さる枝を持ち、エカが陽気に声をかける。焦げ目のついたマシュマロは、繊維状になって空気に溶けていった。


「……化け物ですからね」


 自嘲気味に返答したカスティに、エゼキエルは目を細める。エカは一呼吸ほど間を空けた後、汚れた枝を焚き火の中へ放り込んだ。


「王子様。王子様はロガモール様の事がお好きですか?」

「……え?」


 突然話を振られ、エゼキエルは咄嗟に声を出し損ねた。隣でカスティも同じく、間の抜けた顔でエカを見つめる。


「好き、にも様々な感情がありましょう。どのような好きでもよろしいのです。家族愛、友愛、親愛、恋愛、肉体的、精神的。どうでしょう王子様。ロガモール様の事はお好きですか?」


 意図が掴めず暫し返答に窮し、エゼキエルは上体を起こしながら思わずカスティを見た。彼女は数秒硬直した後、八の字に眉を下げ、視線を右往左往させながら口を引き結ぶ。

 エゼキエルは思案した後、慎重に口を開いた。


「それは、勿論好きです。旅の仲間ですから」

「そうですか、それは良き事です!」


 はつらつと笑ったエカは、上機嫌で再びマシュマロの枝を取った。

 カスティと顔を見合わせていると、エカは二つ目のマシュマロを巻き上げながら、枝の先端で砂をなぞる。描かれた猫の絵は、炎に照らされて柔らかく揺らめいた。


「さて、私は今から盛大に惚気ますので、少々お耳を拝借いたします」


 今度こ呆気に取られて閉口する二人に、構う事なくエカは砂上に猫を増やしていく。


「私の愛する人は、それはそれは美しい人形でしてね。ですが表情筋がありませんから、感情の変化が乏しいですし、声帯がないので声も出せません。指先は球体関節になっておりますが、筆談できるほど器用というワケには参りません」


 エゼキエルの脳裏では砂漠へ入る前、エカの側に寄り添っていた、ローブを被った姿が浮かぶ。時折エカが、心底愛おしそうにローブの内側を撫でていたことを、それとなく覚えていた。

 ロガモール種と同じく、類い稀なる力をもった術者によって生み出される種族、マリオネイト。誰からも愛される容姿が特徴的で、術者が代々調整することで半永久的な命を持つ特異種族である。

 しかし同時に、様々な制約が付きまとう種族だと、聞いた事があった。


「……私が、この星に生まれ落ちて初めて、生涯の愛を誓った、伴侶です」


 エカの声音は、子守唄のように優しい。

 エゼキエルは解けた合わせ目を両手で引き寄せ、しっかりローブに包まると、寝袋の上に座って体の正面を向けた。

 エカは、幼子の落書きに似た猫の絵を量産し、満足げに眺めてから、枝を焚き火にくべて己の手を引き寄せる。


「美しい人です。優しく、温かな目をした人です。名を呼ばれた事はありません。体温を分け合った事もありません。……それでも確かに、私の心は彼女が持っている」


 エカの両手が自身の胸に触れた。まるでそこにある心を、生涯と捧げた命を、愛しむかの如く撫でさする。

 あのローブの内側を垣間見たエゼキエルには、エカの方がよほど、この世のことわりから外側にいると思えた。そんなエカでも自分たちと同じように、誰かを愛し、誰かに愛される喜びを知っていることに、胸の奥が暖かく鼓動する。

 無意識に片手を伸ばし、カスティの手に重ね、握りしめた。彼女は驚いた顔をしたが、振り払うことはせず、視線を二つ分の手へ落として呼吸を震わせる。


「ですので私は、自らを卑下し、最初から愛など無いものだと、悲しい振る舞いは致しません。それは私に生涯を下さった、彼女への冒涜になるからです」


 カスティの片手が小さく跳ねる。砂で出来た髪が影を作り俯いた。対するエゼキエルは強く彼女の手を握り、深く息を吸い込み顎を上げる。


「私の伴侶がもし、自らを貶めたら。それはそれは悲しい事です。私は惨めに思うでしょう。彼女の心はここにあるのですから。私はきっと彼女以上に傷つき、苦しむのです」


 アリクイの剥製で表情の機微が分からなくても、言葉の端々から希う心情が伝わってくる。

 それは自分がどのように生き、悩み、進む道筋を、心の在り処ありかたを知っている声だった。







 

 

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