第27話



 それまでぐっすりと眠っていたエゼキエルが、飛び起きるのと同時に、荷台の車輪が動きを止める。


「微かに足音がする」


 脱いでいた上着を羽織りながら眉を顰める彼に、カスティは剣呑に双眸を細めて外を見つめた。

 太陽が地平線に落ちかけていて、辺りに闇が訪れようとしている。

 すぐ傍で音がして、エカが僅かに布の隙間を空けた。


「申し訳ありません。随分野営の準備が遅いと思っておりましたが、盗賊のねぐらに踏み入れてしまったようです」


 先導する商人らが急いで抜けようとしたが、遅かったようだ。矢筒を背負ったエゼキエルを片手で制し、カスティは二台から飛び降りると、自身よりさらに長身のエカを見上げる。


「ここは守って頂けますか?」


 杖で砂を軽く突き問い掛ければ、ソレは胸に片手を置いて優雅に一礼する。


「尽力致しましょう。……サプタ!」

「はい師匠!!」


 師の掛け声に合わせ、御者台に立ち上がったサプタが、両手を天高くかかげた。そのまま子供らしい、高く明瞭な声が響き渡り、天空から地面にかけて半球体状の魔法陣が出現し、一行を覆い尽くす。

 次いで、第一の魔法陣が完成した瞬間に、エカが人差し指で魔法陣の頂点を示し、そこから流星が四方へ流れていくのが見えた。その後すぐ流星は形を変え、無数の点と線で出来た玩具たちが、歌い踊るように蠢く魔法陣に変化する。

 瞬く間に出来上がった二重魔法障壁は、夜に向かう空を星の如く輝かせた。


「……腕が確かなのは本当だな」

「シェハ」


 傍に降り立った我が子を呼び、カスティは改めて周囲を見渡す。荷台の中から顔を出したエゼキエルが、唇を戦慄かせた。


「カスティ、私も行こう」

「王子はベリカさんをお守りください。あなた方を護るのが、わたしの務めです。……座長さま、この魔法障壁はどれほど持ちますか?」

「どんな攻撃も跳ね返しますが、生憎、継続時間は短いのです。四半刻ほどでしょう」

「結構です。ありがとうございます」


 カスティの聴覚も、蹄の音を捉えた。

 数は多くない。恐らくラクダが五頭。重量感のある音がしないので、二人乗りはしていないだろう。

 カスティは握りしめた杖で砂を掻き、シェハと視線を合わせて頷くと、ゆっくりと盗賊が現れた方角へ歩き出した。

 砂と土で出来たロガモールには、砂漠は自らの手足と等しい。たかが数人の盗賊など造作もなかった。


「砂で飛ばすか?」

「捉える必要もないから、そうしましょう」


 魔法障壁を擦り抜け荷車から十分な距離を取れば、ラクダを走らせる盗賊が視界に入った。馬も一頭いたらしい。

 両手で杖を構え直し、カスティは目蓋を細める。足元から緋色の閃光が、砂を裂いて天へ伸びた。

 その瞬間。


「っ……!」


 カスティの横を擦り抜けようとした何かを、咄嗟に片手で鷲塚む。手の平が赤く燃え上がった。黒ずんだそれを見れば、矢のようである。魔力によって生成された炎を纏っているようだった。


「カスティ、これは」


 再び飛んできた矢を砂で叩き落としたシェハが、眉を寄せて呻いた。どれほど消そうとしても、炎が消えないのである。カスティが即座に砂嵐を生成し、飛んでくる矢を巻き込めば、消えない炎がたちまち火柱となり空へ登った。

 厄介だ、とカスティは内心舌を打つ。

 魔力を帯びた矢は、魔力でしか対抗できない。シェハが己の魔力で砂を巻き上げ、雨のように降り注ぐが、炎の威力が上回っている。

 盗賊たちは一定の距離を保ちながら、次々と矢を放ってくる。一番後方にいる人間の口が、絶えず何かを呟いているのが見えた。あれが術者だろう。

 カスティが火柱をそのまま盗賊たちの方へ倒すと、炎はすぐに掻き消されたが、衝撃で砂が霧散する。多量の砂を被った盗賊たちが悲鳴を上げた。

 一番早い解決策は、足元を陥没させて飲み込むことだ。しかしその技を、エゼキエルの前で見せて良いのか。自問する脳内は答えを出せず、杖を握る指先へ力がこもる。

 その技は彼の故郷を滅ぼした力だ。砂に沈んだ情景を、否応にも思い出させてしまう。

 哀愁を抱える横顔を思い起こせば、カスティの唇が恐怖に震えた。


「ようは、あの術者を叩けば終わりだろ?」


 シェハは砂で槍を作り、切先を盗賊に向けて構える。カスティはぎょっとして我が子の肩を掴み、軽く後ろへ下がらせた。


「駄目よ、これは魔力の矢よ。あなたが敵陣に乗り込むなんて」

「ずっと一定の距離を取られたまま、防戦しているわけにもいかねぇだろ」

「短絡的になるのはやめなさい。いつも言ってるでしょう? わたしが行くから」


 シェハが持つ槍の形状を変え、細い刀身を持った剣に変化させる。カスティは杖を預けつつ剣を受け取り、砂漠を踏み締め走り出した。

 矢がマントに刺さって火が回るが、痛みを感じない体には意味がない。流石に怯んだ盗賊たちの足元がざわついた。

 カスティはそのまま腰を落とし、ラクダの胴付近にまで滑り込むと、騎乗する男が持っている槍を掴み、その柄で男の顎を突き飛ばす。すぐ傍で馬がいななき、前足を振り上げたのが視界に入り、片腕で蹄を受け止めそのまま、思い切り後方へ押し返した。体勢を崩された馬が、甲高い声を上げて横倒しになる。

 次いで弓を捨てて、別の男が腰から下げる弓形の剣に手を伸ばした。その剣を抜く前に、胸の防具へ切先を叩きつけて破壊し、後ろへひっくり返った体をラクダから引き摺り下ろす。そのまま砂へ片足を踏み込み、遠心力に任せて術者らしき男に向かって投げ付けた。

 二つ分の声が砂嵐の音に掻き消され、ラクダと共に砂の上へ倒れ込む。


「手を引きなさい」


 術者が倒れ、呆気なく消えた炎の痕跡を軽く払い、カスティは静かに口を開いた。なんの感情も伴わない瞳に見つめられ、盗賊たちは怯えた様子で後ずさる。化け物だ、と畏怖を乗せた声が、微かに聴覚を震わせた。

 我先にと逃げ出した男たちを眺め、息をついて剣を砂に戻す。軽い音を立てて砂漠と混ざったそれは、すぐに蹄に抉られた腕を修復し始めた。

 肩越しに振り返ると、歩いてきたシェハが杖を差し出す。


「短絡的なのはどっちだよ」

「あなたに怪我がないのが第一だわ。……行きましょう。も落ちたし、野営の準備を……」


 荷車へ歩き出そうとした刹那、視線を感じて足を止めた。エゼキエルとベリカが、安堵した様子で手を振る後ろで、他の商人たちがこちらを見つめている。

 彼らは皆一様に、怪物を見たと言わんばかりの形相をしていて、カスティと目が合えば、慌てて顔を逸らし背中を向けていった。


「なんだアイツら」


 忌ま忌ましげなシェハに、首を振ることも頷くことも出来ない。次第に口角は不自然に上がり、眉尻を下げて乾いた笑みを浮かべる。

 今の雇い主の傘下に入ってからは特に、幾度となく晒された視線だ。今更傷つく感傷など、カスティは持ち合わせていない。人智を超えた存在を前にする人間など、誰もがそんなものである。


「カスティ、シェハ。怪我はないか?」


 荷台へ戻ってきた二人へ布を捲り上げ、顔を出したエゼキエルが心配そうに声をかける。問題ないと首を振れば、伸びてきた腕にシェハ共々抱きしめられた。


「っ、お、おい、なんだよ」


 シェハが照れくさそうに声をあげ、もがいて離れようとするが、思う以上に強い力であったらしい。文句を言いながらも戸惑い、徐々に動きは小さくなっていく。


「…………火の矢が飛んできた時は、血の気が引いた。……怪我がなくて、よかった……」


 絞り出す声も、触れる腕も、間近にいるからこそ震えているのが分かった。咄嗟に返事ができずカスティは、息が詰まった動揺に視線を揺らがせる。

 エゼキエルは二人を腕から放し、双方の顔色を確かめる。そして修復されたカスティの腕に触れ、そっと両手で握りしめた。

 眉を寄せてカスティの手の甲を見つめる彼に、何も言えず口を閉ざす。

 彼の表情はまるで、心臓のないカスティでは感じない痛みを、代わりに引き受けているかのようだった。

 

 





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