第26話



 ◇ ◇ ◇



 出立の時間が近づいてくる。街は強い風が吹いていた。

 前日にベリカが揃えていた、食料や防寒具等を荷台に詰め込み、日除けの布をロープで固定しつつ、カスティは周囲を見渡して眉尻を下げる。

 朝食の時は普段通り振る舞っていた、エゼキエルの姿がない。胸の内に焦りのような感情が浮かんではきたて、片手は胸を押さえて、聞こえない心音を探していた。


「ベリカさん。王子を探してきます。少し良いですか?」


 荷車の反対側で他商人と打ち合わせをしていた彼女は、気難しい顔で振り返った後、すぐに表情を緩めて片手を振る。


「ええもちろん! お願いしますね」


 傍でシェハが担いでいた杖を受け取り、足早にその場を後にする。

 遠くへは行っていないはずだが、いったい何処へ行ってしまったのか。もしや、と良からぬ想像が頭を過ったのも束の間、朝市の賑わいを通り過ぎてすぐ、カスティを目に留めたエゼキエルが軽く手を挙げた。


「カスティ」

「王子。如何されましたか」


 近寄ると彼の手には、数本の矢が収められている。加えてグローブも真新しかった。

 目を瞬かせつつ、すぐ脇にある店の看板を見上げれば、武器や防具に関する店のようだ。看板の上には美しい曲線を描く、模造刀らしき大剣が鎮座してある。


「少し装備の新調を。同行する商人の方から、この先は盗賊が出やすいと聞いて」

「そう、でしたか」

「カスティはどうした? 何か探し物を?」


 穏やかに問いかけるエゼキエルに閉口し、カスティは両手で杖を握りしめて顔を逸らす。


「……あなたが、見えなかったから」


 塞ぎ込んでいるのかと、そう思ったのだ。

 エゼキエルがエカから聞かされた事実は、彼に少なからず動揺を与えている。自分自身の出征が、前王妃の死に関わっているなど、この優しい王子にはよほど衝撃的だった事だろう。

 エゼキエルは軽く瞠目した後、僅かに自重気味に口角を上げた。


「……昨日は確かに驚いたが、大丈夫だ。……私には願いがあるからな」


 カスティの不安を感じ取ったのか、彼の声は明るい。それでも横目に見下ろした表情は、微かな陰を帯びている。

 憂いの双眸が左右に揺れて、エゼキエルは微笑んだまま口を閉ざすと、両手にはめた新しいグローブを握りしめた。





 再び商人の先導を受けながら、荷車は砂漠を進んでいく。

 エゼキエルが聞いた通り、この先は砂漠に飲まれた建造物が点々としていた、そこを根城にする盗賊集団が出没するらしい。

 砂嵐が比較的少なく、オアシスとの往来で頻繁に利用される道であるからだろうと、ベリカが苦々しく話していた。

 カスティは幕の隙間から外の様子を確認しつつ、座る両足の間に引き寄せていた杖を指で撫でる。硬い木の感触が、冷たい砂の皮膚を伝わってくる。

 時刻はそろそろ夕刻だ。野営の準備をするべく、一向の足取りも落ち着く時間帯に差し掛かる。そして同時に、世界が一番不明瞭になる時間だった。

 布の間から見える空に、西陽が陰っていく。カスティは静かに荷台の中へ視線を向け、奥に敷かれた絨毯の上で眠るエゼキエルを視界に入れた。


「……気になるの?」


 カスティの側で、外界の薄明かりを頼りに地図を見ていたベリカが、顔を上げて問いかけてくる。それに顎を引いて小さく頷き、ベリカの手元へ視線を移した。


「疲れてるんでしょうね。良く眠ってるわ」


 昼間、ベリカの提案を受け、それぞれの旅の話に花を咲かせた後、エゼキエルは糸が切れたように眠ってしまった。宿屋で同室だったシェハ曰く、昨晩はあまり眠れていなかったようだ。一人ベッドに腰を下ろし、ずっと弓矢を手に取って物思いにふけっていたと聞く。

 四人の空間で気が紛れたのか、慣れない砂漠の旅による疲労か、──それとも。


「カスティさんは、王子さまの事、好きなの?」

「………………えっ」


 丸まるエゼキエルの背中を眺めていたカスティの耳に、ベリカの疑問符が飛び込んでくる。意図が分からないまま思わず聞き返せば、彼女はきょとんとした顔で首を傾けた。


「え、あれ? ごめんなさい、あたし、てっきり」

「……へ? ……え、あ、……どう、かしら。……どちらかと言えば、嫌い、かしら」

「え、嫌いなの?」

「いろいろ事情もあるから」


 カスティの回答に笑顔を引き攣らせたベリカは、地図をたたむと、精霊の子供が顔を覗かせるツボの中に押し込む。そしてカスティの片腕に寄りかかった。

 顔にかかる前髪を指先ですいてやれば、ベリカの瞳が穏やかに細まってエゼキエルを見つめる。


「……なんかカスティさんから、嫌い、なんて単語を聞くと、面白いわね」

「面白くはないでしょ」

「面白いわよ? あたしには言わないのに」


 カスティの肩に頭を乗せてくる彼女の双眸は、いたって穏やかだ。カスティは杖で支えながら体勢を変え、胡座をかくとベリカの額を軽く指先で突く。


「嫌いだわ、あなたも」

「何よ面白くないわね! 取ってつけたように言わないでよ!」

「面倒くさい子ね」

「そーよ、乙女心は難しいのよ?」


 カラカラと笑うベリカが、次の口を開いた時だった。

 

 

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