第21話





「最初は、本当に知らなかったの」


 荷車の側でおこした焚き火を囲み、ベリカは砂に腰を下ろして話し始める。

 焚き火を囲むのは四人だけで、エカとサプタは荷車を挟んだ反対側で、二頭のラクダを休ませていた。

 ベリカは両膝を抱えて顎を乗せ、爆ぜる炎を見つめながら眉根を寄せる。

 一人前の商人になるべく、彼女は故郷を旅立ち放浪していた。立ち寄った街で郷土品を売って換金し、それを元手に新たな商品を仕入れながら、物流拠点国を中心に各国を飛び回っていたという。

 そんな中、とある小国で、城に勤務する宰相と謁見する機会を得たのだ。


「香油の商談を持ちかけたんです。その国では香油が珍しいって聞いて。そしたら宰相さんが、材料を見たいって言ってきて」


 ベリカは商談を成功させる機会だと思い、御守り代わりに持っていた香木を見せた。すると宰相の目の色が変わり、香油ではなくこの香木を買いたいと言ってきたのだ。

 だが持ち歩いて風化したそれは、かなり香りも薄まり売り物として不十分。そこで故郷で栽培している旨を伝えると、想像を遥かに超える大金で売買を打診されたのだ。

 詳しく聞けば、魔法薬の精製に使える、とても希少な枝だという。ベリカは飛び上がるほど喜んで承諾し、故郷から枝を取り寄せるに至った。


「それでその時、まずラクダを買って」


 ベリカの視線が荷車の向こうを示す。しかしすぐに肩を落とし、ローブを握りしめる指先が白く変色していた。

 潤沢な資金を手に入れ、ベリカはラクダに荷物を積んで小国を後にする。

 その時、取り寄せた枝を数本持っていき、次に訪れる大国へ売り込もうと画策していた。小国であれほど重宝されるなら、大国でも何かしら恩恵を受けられるはず。彼女の予想は大当たりし、大国でも目を見張るほど高値で取り引きされた。


「……それで次は、荷車を買って……、本当はその時、この国で出店したいと国のお偉いさんに、お願いしたんだけど……許可が出なかったんです」


 望まれるだけ調達することは不可能だが、香木も商品に加える。そう伝えても認可は下りなかった。加えて期間限定の露店すら、ベリカは出店を禁止されたのである。多くの商人が露店を構える大国であったに関わらずだ。

 その代わり彼女は王室と専属契約を結び、直接取り引きする権利を与えられた。


「……『空飛ぶ絨毯』には、一つ、重大な欠点があるのです」


 黙していたカスティが、口を開く。


「あの魔法薬は、耐性が付くのです」

「耐性……?」


 エゼキエルが聞き返せば、カスティは頷いてベリカを見やる。戸惑う様子も見受けられず、ベリカ自身も知っているのだろう。


「『空飛ぶ絨毯』の効力は絶大ですが、使用する香木の香りを常に嗅いでいると、効果が薄まるのです。……いえ、薄まるどころか、無くなると言ってもいいでしょう。……ベリカさんの出店を許さなかったのは、街に香りが出回るのを避けたかったからでしょう」


 言葉を失ったエゼキエルに代わり、ベリカが神妙に頷いた。表情は更に歪み、俯いて己の髪を掻き乱す。


「おかしいって、思ったんです。でも全然、深く考えてなくて。ここがダメなら、じゃあ次の国でって。……そうしたら……」


 荷車をラクダに引かせ、砂漠を渡っていた時だった。

 今回のように商工キャラバンを頼り、別の商人たちと談笑していた時、彼女は『空飛ぶ絨毯』の話を聞いたのである。

 小国が魔法薬を使用し、兵士を傀儡の如く操って、実り豊かな別国に攻め入ったと。

 ベリカは初め、絵空事のようにしか聞いていなかった。しかしその魔法薬の原材料を聞いた瞬間、背筋が凍りついたことを、今でも鮮明に思い出すという。

 大事な婚約者に贈った香りが、幼い時から慣れ親しんだ故郷の残り香が、自分が売り捌いた郷土品が、戦争の道具に使われた衝撃を。

 ベリカはただの商人だ。一度手が離れた商品を、彼女自身が止める事はできない。起きたことを嘆いても仕方がなかった。──けれども。


「…………そこで、止められなかった」


 ポツリと呟かれた声が、後悔に震える。

 ベリカは自身の行いがどのような物であったのか、その日、正しく理解した。

 しかしその後も不定期に、取り引きした両国に対してだけ、小枝を少量だけ販売していたのだ。

 彼女には店を持ちたい強い希望があり、たとえ戦争に乗じて発生した資金であっても、願望に見合うだけの資金が、喉から手が出るほど欲しかったのだ。


「そんな資金が、何になるというの」


 カスティを取り巻く空気が、動く。砂が僅かに浮かび上がり、眉間に深く皺を刻んで唇が戦慄いた。隣で静かに話を聞いていたシェハが、咄嗟に彼女の片手を握りしめた。


「落ち着けよカスティ」

「でもシェハ……!」

「こいつは商人なんだろ。話はムカつくが、商人に八つ当たりしたって仕方ねぇだろ」

「直接的ではないにせよ、彼女が持ち込まなければ、わたしたちが巻き込まれる事もなかったのよ!?」


 声を荒らげるカスティが砂漠に伏せていた杖を掴んで、先端でベリカを指し示す。

 悲鳴を上げたベリカは、砂に膝をついて飛び退き、真っ青な顔で首を左右に振った。


「ご、ごめんなさい、ごめんなさい! もうしない、もう絶対にしない、もう、関わらないから……!!」


 恐怖に体が小刻みに震え、声に涙が滲んでくる。ハッと我に返ったカスティはベリカを見上げ、シェハの片手を解いて立ち上がった。


「……っ、すみません、わたしは、……すみません、先に、休みます」


 表情を歪めたまま杖を強く握りしめ、カスティは背中を向けると、早足に荷車の中へ駆けていく。シェハが何事か言いかけたが、諦めた様子で口を閉ざし、再び焚き火に視線を戻した。

 エゼキエルも浮かしかけた腰を下ろすと、見えなくなったカスティの後ろ姿に想いを馳せ、ベリカに目を向ける。


「……二人は戦渦に巻き込まれ、私と行動を共にしているのです」

「…………そんな……」


 絶句するベリカの顔色は、目に見えて更に悪くなった。彼女は両手で口を多い、その場に座り込んで項垂れる。

 エゼキエルは俯く彼女の前に移動し、片膝を砂についた。


「ベリカさん。貴女の行いは決して、褒められたものではありません。これを機に、その商談からは一切、手を引いてください」

「もちろんです!」

「その代わり、私の国が再建したら、店を出してくれませんか?」

「……へ……?」


 ベリカにとって予想だにしない申し出だったのだろう。彼女は呆けた顔で瞳を瞬かせる。その度に透明な雫が散って、ローブへ新しいシミを作っていった。

 安心させるよう微笑むと、ベリカが答える前に、背後から盛大な溜め息が聞こえてくる。肩越しに一瞥すれば、胡座をかいた片膝に肘を乗せ、頬杖をついたシェハが呆れた様子でエゼキエルを睨め付けていた。


「アンタ、自分の立場、本当に分かっているのか? 泉に願ったその先をまだ願うのかよ」

「私の命はカスティの物だが、国の未来はある。……ベリカさんには、自分の店を持ちたい願いがある。それはどんな事をしてでも叶えたいと願ったことだ。……私はその気概を無碍にしたくない」


 日中、掻い摘んでエゼキエルの状況を聞いていたベリカが、心底困惑して二人を見る。そしてカスティが入っていった荷車を見やり、数秒ほど思案する。

 そして意を決した相貌で大きく息を吸い込むと、エゼキエルが制する前に、勢いよくその場で両膝をついた。


「お願いします! この恩は絶対に忘れません、本当に、本当に、っ……!」

「べ、ベリカさん、顔を上げてください。時間はかかりますが……」

「いいんです! 店を持てる希望が出来ただけでも、あたし……!」


 終いには深く頭を下げたまま泣き出した彼女に、エゼキエルは困り果てて両手を宙に泳がせた。

 どうしたものか焦る後ろから、立ち上がったシェハが近寄り、ベリカの襟首を掴むとそのまま上に引き上げる。首が絞まって潰れた声を上げつつ、ベリカが目を丸くして少年を見上げた。


「うるせぇ馬鹿女。だいたいどうしてそこまで、店を出すことにこだわる。理由を言え理由を」

「っ、け、結婚するためよ」

「結婚?」

「そう。……あたしには、婚約者がいるの。でも、本当はあたし、……彼のご両親に、認められてなくて」


 怪訝な顔で襟を離したシェハに、ベリカは苦笑して自身の左手を撫でた。

 エゼキエルが婚約関係を指摘した時もそうだが、彼女は婚約者の話題になると、自然の左手に触れる。おそらく恋人の故郷では、婚約指輪を贈るのが慣わしなのだろう。

 しかしベリカは愛する人から、それを受け取る事が出来ない現状にいる。


「一人前だって認めてもらえたら、結婚できるように、なるの」


 ベリカの恋人からは、生家から勘当されても彼女と共に生きると伝えられたが、ベリカがそれを許さなかった。

 仲が良い家族を、ベリカが引き裂いてはならない。ベリカさえ一人前になれば、共に居ることを許可してもらえる。それを支えに生き抜いてきたという。

 その為なら彼女はどんな困難にも立ち向かい、あらゆる狡猾を利用して、強かに振る舞ってみせた。愛する人と愛する時間を添い遂げる為に、どんなことにでも立ち向かってきた。


「……結局、独りよがりのやり方しか、出来なかったけれど、この気持ちだけは嘘じゃない。……あたしは一人前と認められたいの。あたしを待っててくれる、あの人のために」

 

 

 

 

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