第19話





 ラクダが引く荷車に揺られ、3台ほど列を成して進んでいく。

 前方には車両の他、ラクダに乗った男達が複数人護衛し、牽引の役割を果たしていた。

 キャラバンの最後尾についたエゼキエルたちは、砂塵が中に入らぬよう布を下げて、先ほどから始まったベリカの商談に面くらっている最中である。


「さすが王子さま! お目が高い! この敷物はあたしの故郷で織られた、少し特殊な植物を使用してましてね」


 エゼキエルは眼前に掲げられた、透かし模様の入った敷物を見つめる。エゼキエルの国には無い肌触りの品だ。少し麻に似ているが、皮膚に引っかかりがなく、光沢がある。

 興味深げに表裏をくまなく見ていると、隣ににじり寄ったベリカが、指先を動かし宙を弾いた。


「どうでしょう王子さま。今ならお安くしますよ。50ディハルでいかが?」

「高い」


 エゼキエルが答える前に、荷台の隅で胡座をかくシェハが、即座に切り捨てる。

 ムッと唇を尖らせ眉を寄せたベリカは、睨むようにシェハへ振り返った。


「なによあんた! 物の価値も分からない素人に言われたくないわ!」

「原材料とかいう植物は、バラの一種だ。別に珍しい物じゃない。系統種ならどこでも手に入る」

「そうなのか?」

「ざ、材料はそうかもしれないけど、技術価値があるのよ!」

「技術価値? そんなほつれた箇所から裂けそうな布にか? 物の価値が分からないのは、アンタの方じゃねぇの」

「なんですってぇ!?」


 鼻で笑うシェハに憤り、ベリカが立ち上がる。

 ガタン、と音を立てて揺れた荷車によろめき、隣で正座しているカスティに支えられ、エゼキエルは言い争う二人に笑うしかなかった。



 キャラバンが前国を出立し、三刻ほどになる。旅立つ仲間として、少しでも相互理解が深まった方が良いだろうと、自己紹介したのも束の間、エゼキエルが一国の王子だと分かった途端、ベリカの態度が一気に軟化したのである。それはいっそ天晴れなほど素早い、変わり身の速さであった。

 それまでの高飛車な態度を改め、謝罪し、エゼキエルが過ごしやすいように荷台の中を整え、自分が担いでいた荷物の中から、一番上質な絨毯を引っ張り出して献上したのである。

 気遣いは無用だと言ったのだが、結局押し切られて、今も尻の下に敷いてあった。少し毛の長いそれは、触れると丁度良い柔らかさで、品の良いムスクが漂ってくる。

 どこかで嗅いだような、と疑問に思いつつ、エゼキエルはベリカに声をかけた。


「ベリカさん、私は今、持ち合わせが無いので購入できませんが、機織りの技術には興味があります。国が再建した際は、ぜひご教授頂きたいですね」

「ほ、本当ですか!? さっすが王子さま! 器の大きな男だわ!」


 瞳を輝かせてエゼキエルの隣に戻ってきたベリカに、シェハは呆気に取られて口を半開きにし、そのまま閉口して顔を逸らした。

 ベリカは次の商品を見せようと、担ぎ込んだ荷物を漁り始めたところで、それまで黙していたカスティが口を開いた。


「……この荷台やラクダは、ベリカさんの持ち物だと言っていましたね」

「そうよ! 大金叩いて買ったの。素敵でしょ?」


 カスティに笑顔で返事をし、彼女は片手で車内を指し示す。

 先ほど自己紹介の時も言っていたが、ベリカは自分の店舗を持つ事が夢だという。その通過点として、滑車付きの荷台を購入したと話していた。

 確かにこれほど大きな荷台を持っていれば、行商するにも楽だろう。車体を覆う厚手の幕もほつれがなく、日差しの暑さや、夜の寒さをある程度遮る事ができる。

 カスティは指先で、エゼキエルが座る絨毯を撫で、目を細めた。


「ええ。良い車だとは思います。……失礼ですが、資金はどこから?」

「それはもちろん、仕入れたものを売ってに決まってるじゃない」


 エゼキエルは微かに眉を寄せ、訝しげにカスティを見やる。


「そうですか……。いえ、随分羽振が良いなと思いまして」

「……? どういう意味?」


 キョトンとしか顔でベリカが首を傾げる。しかしカスティは穏やかに笑い、緩やかに首を振って、話題を切り上げた。

 ベリカは不審そうに彼女を睨め付けるが、特に食い下がることもなく再び背中を向けて、骨董品を取り出そうと壺を持ち上げ、──ようとした。

 子供を思わせる甲高い叫び声と共に、壺から黒い何かが噴き出す。驚きにひっくり返ったベリカが悲鳴をあげ、咄嗟にカスティが己のローブの中にエゼキエルを押し込み、シェハが右手を突き出して目を見開いた。


「ちょ、っちょっと! 重いってば! 突然出てくるなっていつも言ってるでしょ!?」


 喚いて潰されているベリカの上で、蛇の形を模した黒い物体が、つぶらな瞳を瞬かせる。

 カスティの背中から這い出したエゼキエルは、目を丸くして呟いた。


「……これは……精霊の、子供……?」


 エゼキエルに目を向けた物体は、頭部にあたる部分を傾ける。新芽に似た若々しい花の香りが漂い、物体の輪郭をなぞるように僅かな光を帯びた。

 精霊は創造主に連なる神の末席だ。普段、世俗から隠れて過ごしている彼らは、多種族と交流した場合に限り、家族同然の親愛を向け、見守る役目を担う。おそらくこの子精霊もそうなのだろう。

 ベリカが子精霊を片手で引き剥がすと、子精霊は彼女に絡まり、一行に向けて頭部を下げた。


「そうよ! あたしを守ってくれてるの」


 ベリカに頬を擦り寄せるそれを、カスティが興味深げに眺める。腕を伸ばして頭部を撫でると、子精霊は蛇らしからぬ高い声で笑い、嬉しげに胴体を揺らした。


「……召喚したのは、アンタじゃないな」


 敵意がないことを確認したシェハが、再び壁際に腰を落ち着かせて問いかける。

 ベリカはカスティと同じく子精霊の頭部を撫で、それが飛び出してきたらしき壺を片手で引き寄せた。


「当たり前でしょ。あたしはただの商人だもの、できるわけないでしょ」

「精霊の子供なんて連れて、どうするんだ? まともな働き一つ出来ないだろ。どうせならもっと……っ!?」


 呆れた調子で片手を振ったシェハの頭上を、凄まじい速さで小石が飛んでいき、荷台の壁を貫通していった。

 思わず衝撃で咄嗟に体をずり下げたシェハに、カスティが小さく声をあげ、膝で床を擦り移動し背中に庇う。


「い、一体何を」

「次にそんなこと言ったら、承知しないわよ」


 震えるシェハの声に、ベリカの低い声が被さった。彼女は先ほどの爛漫な雰囲気を一変し、カスティに庇われるシェハを睨んで、苛烈に双眸を煌めかせる。


「あたしの大事な子よ。……悪く言うなんて、絶対に許さないんだから」


 気押され息をのむ二人と同じく、エゼキエルも瞠目してベリカを見た。

 彼女は不機嫌な表情を隠すように、子精霊に指示を出して、壺の中に戻らせる。その瞬間だけは、宝物を見るように優しげな横顔だったことを、エゼキエルの座る場所から見てとれた。


 



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