第三章

第15話





 砂漠からの熱波が頬を撫でる。

 照りつける太陽から身を隠すように、路地へ入り込んだエゼキエルは、前を行くカスティの背を視界に入れつつ、空を振り仰いだ。鮮やかな青には雲一つなく、これからの旅路を暗示するかのようである。

 エゼキエルとカスティ、そしてシェハは、砂漠に隣接した都市に来ていた。

 噂や伝承頼りなため、たいした収穫は今のところない。ひとまず、この都市を越えた先に行くべく、砂漠をわたるための手段を模索していた。

 途中で宿を取れる小国があるというが、ラクダを買い、三人だけで彷徨うのは骨が折れる。それゆえ、先導して道を行く商人に同行を願うか、キャラバンに乗せてもらえないか、交渉できる相手を探していた。


「あちらでしょうか……」


 カスティが声をひそめつつ話しかけてくる。

 狭い路地と彼女の間から前方を覗き込むと、周囲の風景に不釣り合いな、彩度の高いサーカステントが建っていた。




 飲食店街から入った狭い路地の先に、魔法使いの一座が留まっている。

 宿の主がそんな情報をくれたのは、今朝のことだ。

 その一座は世界中を旅して回っていて、ある夜に突然現れては、暫く滞在した後に風の如く消えていくらしい。

 居なくなる前に接触し、上手く交渉すれば、泉の話を聞けるかもしれない。もしくは砂漠横断を手伝ってくれるかもしれない。

 そう願い、三人は現状に至る。

 エゼキエルは異様な気配に唾を飲み込みつつ、カスティの横を抜けて、テントに近寄る。背後では二人が固唾をのんで見守っていた。


「……すみません、どなたかいらっしゃいませんか」


 テントの入り口らしき隙間に向かって、声をかける。すると微かに煙草の香りがして、目を瞬かせた。


「……あ」


 天幕を片手で避けて、誰かが顔を出した。

 正確にはローブを身につけフードを被り、顔の大半は見えない。しかし血色の悪い灰色の口元を緩ませ、エゼキエルを見つめて動きを止める。


「少し、ご相談がありまして、不躾に申し訳ございません」


 エゼキエルは日除け用にかぶっていた帽子を外し、胸に当てて深く頭を下げた。

 相手は一度、首を傾けた後、パッとフードを後ろに避ける。髪の短い、顔に縫い目がある少女だ。彼女は四白眼を輝かせ、甲高い声を上げる。


「お客様!? ご用事!? ごめんなさい、今、責任者はいるけどいないの!」

「は? おい、何言ってんだ?」


 意味をとらえるにはやや不明な言動に、怪訝な顔で声を上げたシェハが、エゼキエルの後ろから声をかけた。

 すると相手の後方からも物音がして、小柄で恰幅のある影が現れる。


「パンチャ? どうしたの? ……わっ! お客様だ!」


 名前を呼ばれた少女の後ろから、三人を覗き込んできたのは、エゼキエルの胸元くらいまである身長の、可愛らしいパンダの獣人であった。


「わーっわーっ! ごめんなさい、お客様! あの、今は閉演時間でして」

「ああ、いえ、旅をしていると聞き、お話を伺いたくて」


 慌てた様子で前に出てきたパンダは、キョトンとした顔で首を傾ける。そして天幕の奥を一瞥してから、困ったように、眉根に当たる部分を寄せて、オロオロと周囲を見渡した。


「ええと、どうしよう、でも、副座長もいないし……」


 どうやら本当に責任者不在らしい。

 せっかく有益な情報を掴めそうだが、急がば回れと言うものだ。それに砂漠をわたる手段の交渉は、流石に責任者とすべきだろう。

 エゼキエルは目尻を下げて微笑むと、帽子を被り直して、少女のパンダに問いかけた。


「突然の来訪をご容赦ください。それではまた、時間を改めます。責任者様はいつ頃お戻りに……」

「待て」


 約束を交わそうとした瞬間、シェハが遮った。振り返ると彼は、腕を組んでパンダと少女を睨む。


「ソイツらは、気が付かないうちに居なくなるんだろ。悠長に約束事なんかして、答えを得られる確証がどこにある」

「しかし」

「アンタ、少しは相手を疑ったらどうだ? サーカスを生業にする魔法師団なんだぞ。人を騙すくらいわけもないだろ」

「なんてことを……!」


 棘のあるシェハの言葉に、エゼキエルは流石に声を上げて叱責した。

 礼を失する行為を諭すと、カスティに片手で制され、驚いて彼女を見上げる。

 カスティは感情の読めない顔で、動揺する相手を見つめると、エゼキエルを自身の背後へ引き寄せながら口を開いた。


「……身内が失礼を。しかしわたしたちにも、急ぐべき理由があります。申し訳ありませんが、この場で待たせて頂きます」

「そ、そうですか? それなら中に……」

「いえ。そこまで不用心には参りません。テントの外で結構です」

「え!? こんな炎天下の中で、そんな……!」


 カスティの言い分に、パンダは素っ頓狂な声を上げる。

 空は相変わらずの快晴で、日陰があるとは言え地面に太陽光は照り返し、じりじりとした熱が身体に負荷をかけている。この中で待ちぼうけをしては、流石に身が持たないだろう。交渉前に判断力を失うのは、エゼキエルとしては避けたいところだった。


「カスティ、それは……」

「いいえ王子。シェハの言うことは一理あります。ここで逃しては、次はないかもしれない。それに」


 エゼキエルを一瞥することなく、発言を切り捨てたカスティは、片足で半歩後退し、二人を背後に下がらせた。そのままテントの隙間を睨み、目を細める。


「わたしたちに敵意もあるようですから」

「きゃあっ!? チャトヴァラ避けて!」


 警戒の色を濃くした彼女の声と同時に、少女が悲鳴を上げて飛び退き、パンダを突き飛ばす。次の瞬間には、外界目掛けて何かが飛び出し、パンダが少女と共に地面に転がった。

 カスティは自身の腕で飛来物を受け止めると、土と砂にめり込んで刺さった、古い銀製のナイフを見下ろす。


「カスティ!」

「心配には及びません、王子。お下がりください」


 突然の奇襲に瞠目し腕を伸ばしかけたエゼキエルを、カスティは抑揚の乏しい声音で制した。

 彼女はそのままマントの留め具を外し、エゼキエルとシェハを隠すように横へ広げる。


「あ、危ないよ、シャド……!」


 尻餅をついたままのパンダが、震える声で天幕の奥へ声をかけた。

 色鮮やかなそれが風で揺れ、内側に潜む何かの気配が伝わり、その異様さにエゼキエルは息をのむ。

 一触即発の状況に、嫌な沈黙が流れた束の間、歩み寄る音と話し声が聞こえ、咄嗟に振り返った。


「……あれ? どうしたの、お客様……?」


 ローブを身に纏った小柄で幼い少年と、両目を隠す仮面を身につけた中肉中背の男が、不思議そうな様子で立ち止まる。

 そしてカスティが腕から引き抜き、地面に投げ捨てたナイフに目を留めると、顔面蒼白で悲鳴を上げた。


「ぎゃーっ!? た、大変な失礼を!? おいこらシャド! お客様になんつーもん投げてんだ!!」

「だだだだ大丈夫ですか、すすすすぐ、てっ手当をっ」


 少年と男が慌てて近寄り、天幕を捲り上げた。そこにはローブを深く被り、輪郭の不明な人型の何かを守り、血走るような目をした兎の獣人が、エゼキエルたちを見つめている。


「座長!! あんた何を傍観キめこんでるんですか!! 止めてくださいよ!!」


 仮面をつけた男が怒号混じりに、誰もいない空間に唾を飛ばした。

 “座長”という単語に、エゼキエルたちは目を丸くして男を見る。

 エゼキエルの鼻先へ、先ほど一瞬だけ香った、煙草の紫煙が揺らめいた。


「いやぁ失敬。少し様子を見ていましたら、止める間もなくシャドが投げてしまいまして」

「投げてしまいまして、じゃねーでしょーが!?」


 どこからともなく声が聞こえたかと思えば、空間が歪に揺れ、一人の大男が姿を現す。

 それはカスティをゆうに超える、サーカステントの天井にまでつきそうな姿だ。次いで軽快な破裂音がしたかと思えば、大男の姿が消えて、しかしやはりヒョロリと背の高い、他団員と同じローブを羽織る男が姿を現す。

 はその顔を覆うように、剥製にしたアリクイの頭部を被り、異様な出で立ちで優雅に一礼した。そして軽やかなテノールの声で笑ってみせる。


「我が一座へようこそ、古き良き国の王子様。さて、お話を伺いましょう」

 






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