第13話
長身のカスティの頭部を頼りに、エゼキエルは人混みを掻き分けて進んでいた。
今日は氷の星が舞うと言われる日。湖へ続く道には、新たに設営された屋台と、人々で溢れ、見ているだけで疲労すら感じるほどだった。
「湖って、あれか」
エゼキエルの後ろからついてきたシェハが、拓けた場所を指差す。それに頷いて、三人は人々の目に留まらぬよう注意しながら、道を外れて森の中に入り込んだ。
夜の森は鬱蒼としているが気味の悪い気配はせず、その代わり灯りがない分、体に寒さが直に刺さる。
人々の活気を横目に見ながら湖の向こう側へ回り込み、丁度よく見える場所まで移動すると、エゼキエルは白くなりつつある息を吐き出した。
シェハはカスティの術者だ。彼がいれば彼女は、炎を召喚できると話していた。これならジマの手助けができると意気込んだエゼキエルは、シェハに協力して欲しいと願ったのである。
渋々承諾した少年であったが、カスティ同様、その表情は晴れない。
理由を尋ねると、自分やカスティより高位の存在を召喚するからだと、聞かせてくれた。
「カスティには、シェロールという名前の幽霊が憑いている。その人がカスティに力を貸すことで、炎の召喚魔法が使える。逆に言えば、あの人が貸してくれなければ、失敗に終わる」
「幽霊?」
「オレも詳しくは知らねぇが、創造主によって神格化した、元人間の霊体らしい。元々はカスティの心臓を守っていた人だ。……アンタの国の一件以降、呼びかけに一度も答えちゃくれねーけどな」
やや沈んだ表情でそう言ったシェハは、杖を握りしめて湖を見つめるカスティに近寄る。
シェハに気がつき手招いた彼女を背に、同じくシェハも湖を睨むと、カスティは後ろから杖を回して地面に突き立て、我が子を腕の中に抱き寄せた。
「……
「どうだろうな。……言っとくが、あの人を言いくるめる程、オレに力はないからな」
「……」
よほど呼び出すのが一苦労なのか、二人の表情は頼りない。まるで叱られる事が分かっている、悪戯をした幼い子供のようだ。
エゼキエルは僅かに目尻を下げ、胸の中で祈りつつ湖に視線を戻す。
「……っあれは」
思わず呟いた声に反応して、親子が俯き気味だった顔を上げた。
木々の間から見える湖の上空に浮かんだジマが、氷を剣呑に睨み据えている。
「何かいるのか?」
ジマと接触していないシェハには、その姿が捉えられないようだ。カスティが昨晩説明した冬の女神が、上空にいることを耳打ちする。
ジマの細く、たおやかな体が後方へ反ると、空中に白い霧のような何かが渦巻き始めた。
そしてそれは、女神が片手を振り下ろす動作に合わせ、一斉に氷の矢となって湖に降り注ぐ。
まるで空から流星が落ちてくるような、悲しいほど美しい軌道であった。
人々から大きな歓声が上がった。氷同士がぶつかり、表面を削って白い粒が幾重にも舞い上がる。
彼女の姿は誰にも見えない。
ただ空から降り注ぐ氷の流星と、表面だけが割れて氷が飛び散る湖の不思議さに、皆が拍手をして歓喜し、驚愕に指をさして笑っていた。
二つの乖離した現実が、エゼキエルたちの前に広がっている。
「壊れて……!」
悲痛なジマの声が、大きくなる歓声に掻き消された。
大切な存在と出会うまで、ジマはただ一人、この世界を浮遊していたのだろうか。誰とも上手い関わりを持てずにいたのかもしれない。女神であるが故に、地上界との感性が混じり合わなかったのかもしれない。
だから彼女は愛する存在が沈んだ後、誰にも頼れず一人、戦い続けていたのかもしれない。
一人は寂しいから抱きしめてくれたのだと、彼女は言った。
彼女が得た暖かな希望が、この凍てつく湖の底で眠っているのだ。
「っ壊れてよ……!!」
サンタマリアの瞳が、大きく揺れて涙を飛ばす。苦痛に歪むジマの口から、水に似た透明な雫が、血飛沫のように溢れて後方へ流れた。
それでも歯を食いしばり、次々と氷の矢を打ち込んでいく。
月の光を反射して輝くそれが、エゼキエルのいる場所まで飛んできた。
最後の矢が氷に突き刺さり砕けた瞬間、力尽きたジマが上空から崩れ落ちる。無情にも表層だけが削れた氷に肢体を打ちつけ、ざらついたそこに皮膚を傷つけながら横たわった。
力を使いすぎた彼女は、だらりと腕を投げ出し、虚な目で割れない氷を見つめている。
「…………っ…………て……」
ひくりと動いた喉が、空気を震わせた。
周囲は幻想的な光景が終わりを告げ、一年に一度の喜びに沸いている。
「…………壊れてよ……」
彼女の周りに、新しい氷がすでに出来始めた。氷の花が彼女の意識とは関係なく咲き、それすら観光客の目を楽しませている。
ジマは奥歯を食いしばり、指先で氷上を掻きむしった。
「……今度は、わたしが、助けるの……っ……わたしが迎えにいくって、約束、したのよ……!」
美しい瞳から幾重にも落ちる涙が、見えた。
視界の端で、金色の柱が天を貫く。身を翻したエゼキエルが見たのは、暁が燃えるように輝くカスティの瞳だった。
彼女はシェハと共に力強く杖を握りしめ、二人で揃えて声を張り上げる。
「その御心に鍵を開けよ、
足元に現れた魔法陣が、目を焼くほどの輝きを増した。
思わず片手で視界を覆うと、エゼキエルの鼻腔に炎の匂いが広がる。次いで老人のように
『よかろう、しかと受け取った。その願いを待っておったぞ、カスティ』
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