第2話



 話を聞くと、カスティは”ロガモール”という種族にあたるらしい。強力な魔力を持つ術者が、砂と少量の清らかな水、己の魔力によって作り上げる、動く砂の化身であった。

 この世界は複数の種族が共存しているが、その中でも出生過程が非常に珍しい種族である。

 術者の行方を聞くと、共にいると力は倍増するが、同時に弱点にもなり得るため、今は別行動をしていると言う。


「……これは、すごい。砂とは思えないな……」


 片手の指先に触れた赤色のマントは、明らかに布の質感だ。確かに間近で彼女の長髪を見れば、流れる金砂のようにも見受けられるが、遠目で見れば少し長身なだけの女性である。

 カスティは目を細めて笑うと、自身の胸元を指先で撫でる。


「わたしの術者は、優秀な術者なのです。だからこのように、他の方々と変わらずに過ごせます」

「素晴らしい魔力と技術だ。ぜひ我が国が再建した時は、教えを乞いたいものです」


 エゼキエルが感心しきりでそう言えば、彼女は口元を緩ませ微笑んだ。



 暖かな太陽が日差しを強め、昼を告げようとしていた。街行く人々は活気に溢れていて、賑わいを見せている。

 エゼキエルとカスティは、次の街に向けて物資を調達しつつ、その様子を楽しんでいた。

 自国が退廃していなければ、今の時期、新しい装飾品や採れたての春野菜が市に溢れ、祝祭が行われる時期であっただろう。

 父と母と共に城内を駆け回り、国民の笑顔をため、仕事に精を出していたはずだ。

 こうして賑わう街に来るたびに、胸の奥がそっと苦しくなる。


「…………王子?」


 不意に黙って人々を眺めるエゼキエルを不審に思ったのか、カスティが控えめに声をかけてくる。ハッと我に返ると、こめかみを軽く掻いて苦く笑った。


「失礼。少し国を思い出していました」

「……エゼキエル王子が住まわれていた王国も、このような場所だったのですか?」


 辺りを見渡して問いかける彼女に、エゼキエルはゆっくりと頷いて、同じく視線を向ける。

 果物をどっさりと抱えて、晴れやかな笑顔で通り過ぎていく親子が、眩しかった。


「ええ。活気のある、美しい、国でした。……丁度、今頃の時期は春の祝祭があるんです」


 思わず言葉尻が震えるが、首を振って口角を上げる。背負った矢筒の位置を意味もなく直し、同じ速度で歩くカスティに笑いかけながら、亡国へ思いを馳せた。


「祝祭では、木の実と春野菜がふんだんに使われた料理を、各家庭で作るんです。母は料理が好きだったので、その時は使用人たちと共に厨房へ入って……。……私も父も、母の手料理が好きだった……」


 仲睦まじい親夫婦の、幸福な笑顔が脳裏を掠めていく。

 エプロンをして厨房に立つ、母の後ろ姿。つまみ食いをして給仕に怒られる父。賑やかな使用人たち。

 今はもう望めない、どこを探しても見つからない。エゼキエルにとって最上の幸福だった時間が、記憶の中にだけ流れていく。

 これから先、こんな穏やかな光景に出会う度、父も母も我が子へ面影だけを残して、エゼキエルは年を重ねていくのだ。


「…………犯人を捕まえたいとは、思わないのですか」


 昔語りをするエゼキエルの耳に、カスティの呟きが聞こえた。

 予想外の言葉に足を止めると、目を瞬かせて、長身の彼女を見上げる。

 長い杖で地面を鳴らしながら歩いていた彼女も、僅かに前方で足を止めて、彼を見下ろした。

 先ほどより深い色合いに変わった、朝焼けの瞳が、静かにこちらを見つめている。

 喧騒を眺めているうちに、いつ間にか大通りを外れたようだった。笑い声が遠ざかって聞こえ、一瞬、そちらに意識が逸れる。

 エゼキエルは嘆息し、僅かに眉尻を下げた。


「……もし、我が国の他に、被害を受けた国があるのなら、真っ先に犯人を探しに行くでしょう。おそらく父が生きていても、そうしている」


 エゼキエルも初めは、誰の仕打ちかと考えた。

 しかし以降、あのような不可解な攻め入られ方をした国はない。

 エゼキエルの国は、緑に囲まれた森の中にあった為、大量の砂に埋もれてしまったこと自体、通常の戦では考えられなかった。

 それに父王を手伝い、国政に携わっていた身として、他国から攻撃されるような外交はしていなかったはずだ。


「……だから私は、知らずに誰か個人的な恨みを買ってしまったのかと、そう思ったのです」


 国同士でないのなら、自国に恨みを持つ個人。もちろん外交の見落としは十分に考えられるが、エゼキエルはひとまず、その結論に辿り着いた。


「なら、なぜその相手を探さないのですか?」

「他に同様の被害がないからです。我が国は滅びましたが、きっとそれだけで、その者は満足を得られたのでしょう」

「王子はその者を赦された、と?」

「いいえ、赦しはしません」


 問いを重ねるカスティをまっすぐに見つめ、エゼキエルは首を振って否定する。


「決して赦しません。一生涯、赦すことはないでしょう。けれど、仇をとって何になるのです。私の父も母も国も、もう戻ってはこない」


 背負う矢筒を固定する、肩から斜めにかけたベルトを強く握りしめた。グローブ越しでも皮膚へ爪が食い込みそうなほど、革に深い皺が寄る。眉間に皺は刻まれ、絞り出した声には苦痛が混じって、噛み締める奥歯からは微かに血の味がした。

 赦せるか? そんなわけがない。何もかも奪われて赦せるほど、エゼキエルは聖人ではなかった。憎いと言う感情が、ふとした瞬間に溢れる時もある。

 けれども恨みを重ねて這いずり回り、仇を討ったとしても、やり直せる過去はない。もう戻ってこないモノに縋り付いても、自分は立ち直れないのだ。

 あの日、砂のように乾いた胸の内が、復讐で潤うことはないのだから。


「それよりも私には、新しい国を再建する義務があります」

「なぜ」

「信頼する臣下を持つ、王ですから」


 地面へ落ちていた顔を上げてカスティを見つめた。彼女は視線を受けて微かに微笑むと、ゆっくりと上体を低めて地面へ膝をつく。

 長い杖を立て、片手を胸に添えて、深く首を垂れて目蓋を閉じた。


「あなたはやはり、聞いていた通りの方です。わたしのような化け物が、共に行動できることを光栄に思います」

「化け物など」

「いいえ。わたしは化け物なのです。あなたも、そう遠くない未来に気づきましょう」

「え……?」


 何か含んだような言い回しに対し、問いかけようとすれば、彼女はマントをひるがえし立ち上がる。


「さぁ戻りましょう、エゼキエル王子。泉の情報を集めなくては」

「え? あ、ええ」


 歩き出したカスティを追いかけ、エゼキエルも急ぎ足についていく。

 彼女の双眸に影がさした気がしたが、確かめる術を持ち合わせていなかった。






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