第3話



◇ ◇ ◇


 山林で野盗に襲われた教訓を踏まえ、二人は次の街へ迂回して向かう事になった。やや険しい森を越えて直進すれば、造作もない距離なのだが、あまり治安が良くない噂だったのだ。

 迂回路は平坦で安全だが、距離が長く、途中で立ち寄れる集落がない為、馬を調達して食糧を買い、歩みを進める事になる。

 街を出る際に、エゼキエルが女性であるカスティをおもんぱかり、馬を引く役目を買って出てくれたが、ロガモール種であるカスティは殆ど疲れを感じない。

 よって渋るエゼキエルを言いくるめて乗馬させ、そのまま手綱を引いて出立した。

 国がないとはいえ、エゼキエルは立派な王族だ。本人に望まれたので気安い対応をしているが、流石に彼を歩かせて馬に乗れるほど、一介の女性騎士にすぎないカスティは愚鈍ではない。

 引かれるまま大人しく歩く、馬の手綱を指の腹で撫で、馬上で地図を睨むエゼキエルを盗み見る。

 一見すれば女性に間違えられそうな、容姿端麗な顔立ちだ。色素の薄い肌に、日光を反射する艶やかな髪。しかし時折見せる紳士的な仕草や顔つきが、彼が苦楽を乗り越えてきた青年であることを証明している。


「同じような道が続いていて、地図にも目印にできる建物がないな……、大丈夫だろうか……」

「平気ですよ、王子。地面を見てください」

「はい、……?」


 歩調を緩めながら地面を示せば、エゼキエルは身を屈めて見下ろした。


「少し分かりにくいですが、わだちの跡があります。おそらく貨物を載せた荷馬車でしょう。往復路についているようですから、これを辿れば少なくとも、どこかの街へは着きますよ」

「ああ、なるほど! カスティさんは博識ですね」

「いえいえ」


 瞳を輝かせてこちらを見つめる彼に、こそばゆさを感じながらも面食らい、カスティは笑みを返す。

 エゼキエルの反応は正直だ。自分が劣っていると感じれば、素直に吸収し、知識として蓄えていく性格らしい。今もペンを振って先端にインクを滲ませると、熱心に地図へ書き込んでいった。

 実際に行動を共にしてみれば、より一層、人となりが見えてくる。

 創造主にそう言われたが、なるほど、分かりやすく実直な人だ。ここまで無事に一人旅をしてこられたのが、いっそ不思議なほどである。


「カスティさんは旅の知識が豊富ですね。私では馬の選び方もままならない」

「いいえ……長く旅をしていて、身についた物です」

「素晴らしいな。私も見習わなくては。カスティさんはどれほど長く、旅をされているのですか?」


 馬の横腹に背負わせた荷物の中へ、地図を仕舞いつつ、エゼキエルが問いかけてくる。

 カスティは一度彼を見上げると、前へ向き直って連なる山を見つめた。


「そうですね……。旅を始め、幾つもの季節を見たように思います」

「それほど長く?」

「そうですね。……この体に生まれた瞬間から、王を探して彷徨っていたと言っても、いいかもしれません。……ああ、すみません、そうでしたね。伝えていませんでしたが、わたしには前世の記憶があるのです」


 やや不思議そうに首を傾けていたエゼキエルに、カスティが説明を加えると、彼は大きく目を見開いた。

 様々な種族がいるこの世界でも、前世の記憶を保持することは非常に稀だ。エゼキエルの反応も当然である。


「では、出会った時に言っていた、王というのは……」

「ええ。前世の記憶の中にいる王に、お会いしたいのです。……本当に、墓石でも良いのです。前世のわたしは、遠征中に命を落としました。ですから王にお会いして、帰還したことをご報告したいのです」


 遥か昔を思う、自然とそんな表情になっていたのだろう。

 エゼキエルが腕を伸ばし、手綱を握るカスティの手へ指先がそっと触れた。気がついて顔を上げると、彼は穏やかに微笑み小さく言葉をこぼす。


「……共に、生き抜きましょう」


 今度はカスティが息をのむ番だった。

 騎士と王族で、身分も生きる環境も異なってくる。彼からは予想外な返答が多かったが、ここまでとは。

 何か反応を返さなくてはと思うのに、体内の空洞から作り出される息が詰まって、言葉が続かない。徐々に顔は伏せ気味になり、手綱を引く馬が、ほんの僅かに寄り添ってくる。

 辛かったでしょう、苦しかったでしょう。そんな反応で同情されるのだろう。ぼんやりとそんな下世話を考えながら、口にした話だった。

 エゼキエルのような人間は、同情を誘えばし、。そんな目論見だったというのに。

 胸がザワザワと喚き出す、じゃり、と砂が頭から地面へ流れ落ちた。落ちぶれて無様な自分を、見せつけられたような気さえした。


「カスティさん……?」

「……いえ、……化け物相手に、そんな言葉をかけて頂けるなんて……、思わなかったもので。ありがとうございます」


 心配そうな声で我に返り、顔を上げ微笑んで取り繕う。しかし彼の表情は曇ったまま、こちらを窺っていた。


「カスティさんは度々、自分を化け物だと言いますね」

「事実ですから」

「それほど何か、胸の内が痛むことを、誰かに言われたのですか?」


 エゼキエルの問いかけに答えることが出来ず、カスティは前方に視線を戻す。美しい緑と、霞んだ青に彩られた山脈を眺め、左右に首を振った。

 手綱を握る指先に、意図せず力がこもる。

 押し黙ったカスティにエゼキエルが再び口を開いた時、複数の足音が聞こえて馬の足を止めた。

 ここは障害物がほとんどない、平坦な道だ。見通しが良いため目を凝らせば、遠方まで良く見える。

 様子を探っていると後方から土煙が見え、カスティは馬を路肩に寄せて、背に庇った。


「そのまま居てください、王子」


 馬から下りようとするエゼキエルを制し、朝焼けの瞳を細めて影を睨む。

 近づくにつれて輪郭がはっきりしてくれば、現れたのは黒豹の獣人を筆頭にした、騎士の一団だった。

 人と同じく二足歩行だが、体つきは獣のそれだ。揃いの黒い騎士団服を身にまとい、警戒を露わに馬場で剣を構えている。


何奴なにやつだ。この道をなんと心得る。この地は王の地であり、王の道ぞ」


 落ち着いた、けれども張りのある声でそういった黒豹は、切先をカスティに向ける。

 一瞬、意味が分からず目を瞬かせると、エゼキエルが慌てて地図を確認し始め、小さく声を上げた。

 やられた。カスティは内心、舌打ちして眉を顰める。

 街を出る際、ずいぶん安く馬を買えるなと思ったのだ。受け取った地図も、辺鄙な場所から入る迂回路だなと、引っかかったのだ。どうやら遠方から来て土地勘がないのをいいことに、悪徳業者から化かされたらしい。

 地面に描かれた轍も荷馬車ではなく、王族の馬車の物だったのだ。

 正規の迂回路はおそらく逆回りか、もしくは全く見当違いの場所か、だったのだろう。

 エゼキエルとカスティは王族の私有地へ、まんまと誘われたらしい。


「申し訳ありません。商人に騙されまして、私有地だとは知らなかったのです」


 馬に乗っていたエゼキエルが地面に降り立ち、頭の防具を外して胸に当てる。黒豹は片方の目を眇め、エゼキエルを上から下まで見ると、ふむ、と思案げにカスティを見つめた。


「……なるほど。……しかし、それを良しとするには、些か気にかかる」


 剣の切先が軽く宙を切る。


「そこの武人。今まで如何様いかように生きてきた」

「…………」

「その目は落ちた戦士の目だ。……騎士道を踏み外したな、ロガモールよ。その砂の体に巡る血は、罪なき誰の灯火だ」



 頭の中が真っ白に、霞んだ。



 大地を裂く緋色の閃光が周囲を貫いて、杖を振り上げ目の前の敵に襲いかかる。自身を取り巻く砂に混じり、エゼキエルの声が聞こえたが、確認する余裕など最早なかった。

 高く前足を上げいなないた馬から飛び降り、黒豹は剣を構え、鋭い眼光でこちらを睨む。その目が記憶と重なり、カスティは砂で出来た針で死角を埋めながら、嵐のように砂塵を巻き上げた。

 他の黒豹たちも馬を下りて剣を構える様子を、彼女は感情が抜け落ちた表情と相反し、苛烈に煌めく双眸で一瞥する。緩慢な動作で体を揺らせば、砂の針は一斉に騎士団へ降り注いだ。

 隊長格の黒豹は剣の刃で軽く受け流し、しなやかな動きで身をかわすと、体勢を低めてカスティの足元へ間合いを詰める。切先が宙を切り、マントと頬の一部を裂くが、大した衝撃もなく砂となり、空気を汚して広がった。

 瞠目した黒豹が、小さく呟く。


「……貴殿は……」


 続く言葉を待たず、カスティはその横腹を杖で叩き飛ばした。衝撃の強さに受け身と取れず地面へ転がった黒豹に、一瞬の間も無く砂針を仕向ける。

 他の騎士が飛びかかってきたが、剣が体に食い込むのも厭わず片手で襟首を掴むと、体を捻る遠心力に任せて近くの騎士にぶつけ、そのまま放り投げた。

 剣が抜けるのに合わせて体が抉られたが、取り巻く砂ですぐに再生する。

 カスティは杖の先で、かつんと地面を突く。そうすれば飛び交う砂が赤い光を帯び、不快な音が響き渡った。

 ざりざり、と空気を引っ掻くが如く鳴りながら、空中に巨大な砂の塊が渦巻いていく。


「……沈め」


 自分でも恐ろしいほど感情のない声で呟いた、その時。

 聞き覚えのある声が耳朶を震わせた。


「カスティさま! お待ちください、カスティさま!!」


 空を覆うほどの砂嵐が、風に流されて霧散する。

 カスティが目を瞬かせ、声がした方向に意識を向けると、見知った白猫の獣人が馬車から顔を出して、こちらに向かってくるのが見えた。


「…………ニーシャさま……?」

 









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