第8話 天使の力
おじさんの口から放たれた衝撃的な事実に言葉を失ってしまった。このいかにも優しくて人当たりの良さそうな人がなんらかの罪を働いているとは思えなかった。
唖然としていると、おじさんは手を下ろしてうつむき、そのまま肩をプルプル震わし始めた。今度は何が来るのかととっさに身構える。しかし、その警戒とは裏腹に聞こえてきたのは「ぷっ」と小さく吹き出す音だった。
「あっっはっは!」
おじさんは体を思いっきりのけぞらせて笑い始めた。先ほどまでとの温度差に困惑していると、リュノがおじさんの肩をポンと叩いた。
「おい、またもてあそんだのか?」
「もてあそぶとは人聞きが悪いな。少しばかりからかってるだけだ」
「まったく……。あと、これの会計を頼む」
涙を手で拭いながら納得のいかない言い訳をするおじさんに呆れながら、リュノは手に持った布の束と研磨された木の棒を見せてお金を渡した。教科書とかでしか見たことのないような、古めかしい小銭を受け取ったおじさんは「釣り銭あったかな」とぶつぶつ呟きながら店の奥に行ってしまった。
「そういえば、なんで地獄にいた人がここにいるの?」
「ああ。あいつの犯した罪は冥界の中では比較的軽い方だったんだ。そういう奴らは懲罰が終わった後、この煉獄で過ごしながら輪廻転生の時を待つんだ」
種明かしが終わると同時に、釣り銭を持ったおじさんが店の奥から現れた。
「はい、釣りだ」
「手間かけさせたな」
「気にすんな。まいどあり!」
店を出ると、リュノは懐から取り出した小袋の口に買った物を近づけた。すると、それらは小袋の中へするっと吸い込まれていってしまった。
「え!?今、何したの!?」
「買ったもんをしまっただけだ」
「いやしまっただけって!?」
「いちいち驚いてたら、心が持たないぞ」
素っ気ない返答にムッとし、そっぽを向いた。
相変わらず元気な子どもたちがそばを走って行き、店番をする大人たちがそれを微笑ましく見守る。よく見れば、翼がない人たちもそれなりにいることに気づいた。
平和な光景、とはこのことなのだろうか。昨夜、リュノが話していた「世界の均衡が崩れる」というのがどういう意味なのかは分からない。でも、この光景がなくなってしまうのだとしたら、それはとても嫌だ。
「ぼさっとしてるとはぐれるぞ」
冷たい言い草だが、なんだかんだで心配してくれる。それは昔と変わらない。けど、親しき仲にも礼儀ありと言うじゃないか。
ここはひとつ、ズバッと文句でも言ってやろうかと思い立ったその時、ズドン!という爆発にも似た音が響き渡った。
「なんだ!?」
「きゃー!」
地面がミシミシと揺れ、立っているのもやっとという状態だ。
足下がもつれ、体がよろける。背中から倒れ込み、視界が空へと上向く。すんでのところでリュノが支えてくれなかったら、頭ごとうちつけていたところだ。
「ケガはないか?」
「う、うん。大丈夫」
ゆっくり立たせてもらいながらお礼を伝えると、衝撃音がした方向から血相を変えた天使たちが飛んできた。
「おい、誰か来てくれ!」
「広場に、風見鶏が!」
肩で息をしながらそう叫ぶと、周りにいた人たちはみな驚愕の色を隠せずにいた。その後、口々に不安の声を漏らしながらも、次々と村の奥へと向かい出し始めた。
「俺たちも行ってみよう」
「うん!」
人の波に沿って風見鶏がいるという所へと向かうと、そこにはエメラルド色に輝く巨大な鳥が倒れ込んでいた。
「これが、風見鶏!?」
想像していたのとはまるで異なるその姿は宝石のように美しかった。子どもの頃に絵本で見た不死鳥を彷彿とさせるような神々しさだった。だが、だからこそ、身体に刻まれた傷跡とあちこちから滴る赤い血が余計に痛々しく映っていた。
大勢の天使が淡い光を帯びる手を傷口にかざし、翼のない大人たちは緑色の薬を一生懸命塗り込んでいた。
「おい、そこのあんた」
「え、わ、私?」
「あんたも治すのを手伝ってくれ!」
「え、えと、その」
どういうことか分からずにあたふたしていると、リュノに背中をポンと押された。
「大丈夫。そんな難しいことじゃない」
と優しくささやかれ、そのまま風見鶏の近くへと誘導される。
「他の人と同じように手をかざすんだ」
「えっと、こう?」
見よう見まねで手をかざすと、自分の手の周りが白く光り始めた。思わず、反射的に手を引っ込める。その手首をリュノが優しく掴み、そのまま傷口のそばまで持って行く。もう一度手をかざすと、再び白い光が手の周りを包み始めた。すると、痛々しい傷口がみるみる塞がっていってしまった。
「す、すごい。なに、これ?」
「これが天使の持つ、癒しの力だ。そしてユイ、君の持つその力はやはり優れている」
「そ、そうかな?」
リュノに褒められてなんだか嬉しいような恥ずかしいような、とてもむず痒い気持ちになった。
「ああ、そうだとも。ユイはそのまま傷口を塞いでいってくれ。俺はその傷跡に薬を塗っていく」
「分かった。任せて!」
こうして役割を分担し、風見鶏の手当てに取りかかった。誰もが懸命に手当てに励んだおかげもあり、ものの数分で目立った傷はあらかた塞ぐことができた。目を覚まさないのが少し心配ではあるが、幸いにも息はあるようだった。
「ふう」
「疲れたか」
「ちょっとね」
そう言って微笑んで見せたが、本当は少しだけ威勢を張っていた。実際、手をかざしていただけなのにもかかわらず、重だるい疲労感が全身にのしかかっていた。
「みんな!お疲れ様!冷たいお茶を淹れたから、1人1個ずつ取っていっておくれ!」
茶屋の娘の気が利く対応をありがたく思いながら他の人々に混じってコップを受け取り、乾いた喉を潤す。不思議なもので、お茶を飲んだだけなのに肩がどっと軽くなったように感じた。
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