第9話 疎まれる背中
コップを返し終わると、周りに人が集まっていることに気がついた。何事かと少々訝しんでいると、明らかに自分に向いているその目がキラキラと輝いていた。
「あんたすげぇな!あんな治癒力、そうそう見たことないぞ!」
「こりゃ逸材かもしれないわね!」
「君がいてくれたおかげで、致命傷になる前に助けることができたよ」
矢継ぎ早に飛んでくる褒め言葉が私の体にどんどん突き刺さっていく。それらはじんわりと体に染み渡り、赤く熱く火照らせていく。
「え、えへへ」
これだけ褒められたのは初めてだった。通常得られる高揚感を通り越して、頭がショートしてしまいそうになる。
リュノが間に入ってくれなければ、きっとあのまま褒め殺されていたと思う。
「失礼」
「お、ローブの兄ちゃん!あんたも手伝ってくれてありがとうな」
「礼には及ばん。皆の方が頑張っていた」
「ははっ、言ってくれるね。でも、どんなに小さいことでも、売られた礼は素直に買った方が良いぜ?」
「……気に留めておくよ。ユイ、行くぞ」
「ま、待ってよ~」
情けない声を出しながら、細身の背中を追いかける。冷たく静かな風が火照る顔を撫でるように吹いていった。
「それにしても、どうしてあんなにぼろぼろだったんだろう?」
「さあな。あのケガの仕方は、山肌にぶつかったっていうのとまた違うような気がするし、全くもって謎だ」
「そういえば、あの風見鶏はリュノの言ってた親玉なの?」
「いや、あれはごく普通の個体だ。だが、これはチャンスかもしれん。あいつが目を覚ましたら、風見鶏の親玉の場所を尋ねてみよう」
あの大きさでごく普通だと言われたことに少々おののいたが、それよりも気になったことがあった。
「尋ねて、って、私たちの言葉通じるの?」
「見た目通りだ。通じる訳がない」
「そっか。さすがにそうだよね~。――え?」
一瞬、納得しかけた自分に平手打ちでも食らわしてやりたかった。この堕天使、言っていることのつじつまが合っていないではないか。
とはいえ、この状況で嘘をつくとも思えないし、聞き間違えた可能性もある。念のため、もう一度尋ねてみることにした
「通じないの?」
「ああ」
「……どうすんの?」
「そこは、なんとかなるさ」
非常にあっけらかんとした答えばかりが返ってきた。しかも、それらを至極真面目な顔で口にするもんだから困る。
先行きの不透明さに顔をしかめながら、当の堕天使にじっと視線で訴えかける。そんなことしたところで、彼は訝しげに眉をひそめるだけだった。
呆れて空を見上げると、分厚い雲に覆われた鉄色の空に似つかわしくない、紫色の何かがパタパタとはためいていた。なんだろう?、と首をかしげていると一瞬、その小さな体がピカッと怪しく光った。
すると、今まで羽根ひとつ動かさなかった風見鶏がかっと目を見開き、そのエメラルド色の翼を大きく広げた。
「グウェェェェェェ!!!」
「な、なんだ!?」
耳をつんざくような奇声を上げた後、我を失ったようにところ構わず暴れ出し始めた。広場の木々をなぎ倒し、家屋を木っ端微塵に踏み潰すその姿は、まるで飢えた猛獣のようだった。
さきほどまで笑い合っていた人々が悲鳴を上げながら逃げ惑い、降りかかる厄災から必死に逃れようと足を動かす。
私たちも入り口への方へ全速力で向かっていった。
「ちっ、どうしたんだ急に……!?」
リュノも明らかに動揺の色を見せていた。
迫り来る恐怖から焦りが募る。地面がひび割れ、あちこちからは火の手が上がり始めていた。
あっさりと壊されていく村の悲鳴が背筋をなぞる。涙で前が霞み始めたその時、急に視界がガクンと落っこちた。地割れによってできた地面の凹凸に足を取られたのだと気づいた時には、鈍い痛みが全身に響いていた。
「ユイ!?」
「いったた……」
体を起こそうとした直後、頭上に暗い影が落ちた。とっさに後ろを向くと、風見鶏の長く鋭い爪が容赦なく振り下ろされきていた。今から立ち上がっても絶対に逃げられないという絶望感が全身を締め付けた。
「っ!」
「危ない!」
間一髪のところでとっさに体を掴まれると、そのまま近くの花畑に突っ込んだ。濡れた土のどろっとした匂いの合間から、一つの白い手が差し伸べられた。
「リュノ……」
「立てるか?」
「うん」
透き通るようにきれいなその手に触れると、そこからどす黒いもやがまとわりつくように腕を上り始めた。思わず手を引っ込めてリュノの方を見ると、さきほどまで見えていなかった一対の黒い翼が目に入った。裂けたローブがひらひらと風になびいている。
リュノも口を開いたまま言葉が出てこないようだった。
「グゥゥゥ」という弱々しい声に耳を引っ張られると、今まで散々暴れ回った風見鶏が固まったようにぴくりとも動かなかった。リュノに目を向けたまま、顔がみるみる青ざめていき、体がわなわなと震えていた。そして慌てて地面から飛び立つと、逃げ惑うように雲の中へと消えていった。
唖然としながら見送っていると、「きゃー!」という悲鳴がまたも聞こえてきた。そちらに目を向けると、村人たちが明らかに距離を取っているのが分かった。さらに、怒りと畏怖に満ちたその眼は明らかにリュノに向いていた。
「堕天使!?そうか、貴様が風見鶏を……!」
「そうだ!あいつに違いねえ!」
「この村から出て行け!」
「「出て行けー!」」
さきほどまで風見鶏を手当てした仲とはおよそ思えない、非難の応酬が次々に降り注いだ。「それは違う!」と口にしようとしたその時、バサッという音が背後から聞こえた。
森に向かって飛んでいくリュノの姿が、シトシトと降り始めた雨に紛れていく。村人たちからの心配する声を無視し、彼の背中を自分の足で必死に追いかけていった。
ぬかるんだ地面に何度も足を取られながら走り続ける。裾を汚しながら元来た道を必死に戻っていくと、ちょうど地面に舞い降りた黒翼の天使の姿を捉えた。
「リュノ!」
「……」
「ねえ、リュノ」
「近づくな。お前も蝕まれるぞ」
腹を突き刺すような低い声を前に、足がピタッと止まる。
リュノの周りだけ、草花が枯れて黒ずんでいた。その滅びた体を雨粒が容赦なく貫いていった。
「……堕天使は本来、輪廻の外側へと追放されるべき存在。この黒い翼はその象徴さ。俺は、疎まれて当然なんだ」
「っ……」
「はあ。そう悲しい顔するな。――もう慣れっこさ」
そうは言いつつも、家路につくその背中はどこか寂しそうに見えた。
そばに近づけないというもどかしさに苛まれ、手前に折りたたんだ翼をきゅっと握りしめる。冷たい雨粒が頬を伝うの感じながら、重い足をゆっくり進め始めた。
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