第34話

 少女と大洋は、その場にアルドの亡骸を埋め、そのまま傍らで一夜を過ごした。

 単なる余裕の無さからパウラには一切注意を向けなかったが、再び刃を向けられることもなく、うつらうつらとしながら夜を明かし、気づいた時にはその姿は周囲から消えていた。どこに行ったのか、また襲われはしないか、少し考えたがそれ以上に頭が回らない。本当はもっと気にかけておくべきだと思う。しかし森を抜けた辺りから断続的におこる小さな頭痛は治まることなく今もなお大洋を苛んで、身の安全に割けるゆとりがない。とは言え動けないほどではなく、これしきのことでまた青白い顔をしている少女に助けを求めるのも気がとがめる。

 まるで自分の身の内がすっぽりと抜け落ち、外側だけの人間になってしまったかのような、ひどい喪失感だった。アルドも、そしてパウラにしても、あまりに唐突な隔絶だった。起こったことをその目で見て、その手で触れておきながら、どう現実として受け入れれば良いのか分からない。受け入れたくないから、頭痛も相まって思考が停止してしまっているのかもしれない。

 まるきり自失してしまった大洋と対照的に、少女は淡々としていた。体調は万全でなくとも表情に気落ちや哀しみや、ましてや怒りなどはまったくうかがえない。座り込む大洋に行きましょうと促し、それまでと変わりなく歩き出した。

 彼女は、自分が守らなければ。

 己に課した義務感だけが、大洋の足を動かしていた。


 吐く息が白くなるほど、寒い。まだ暑い時期であるはずなのにこの寒さなのは、標高の高さ故に間違いないだろう。もしかしたら頂上には溶けない雪すら残っているかもしれない。森を抜けた時に森林限界を意識した通り、辺りの緑は一歩登るごとに乏しくなって、いつしか低木すら見かけなくなった。ぽつぽつと白い岩肌に緑のインクを落としたようにシダや苔らしきものが張りついているのみ。空気も薄くなって、足を持ち上げるのも辛い。時に強い風が吹き下ろし、身体が流されそうになる。大洋より小柄な少女には尚更で、歩き始めた時は少女が先導していたがせめて風よけにと入れ替わった。飛ばされそうになる手を掴みながら、岩肌にしがみつくようにして進む。過酷さに、思考力は削ぎ落とされていく。

 途中霧雨のようなものに包み込まれ身を湿らせたが、あれはもしかして雲そのものだったかと気づいたのは足元に白い海を見てからだった。登山の経験も、大洋にはろくにない。子どもの頃の山登り程度では雲を抜ける標高をいくことなどまずなかった。そしてそれは少女も同じなのだろう。初めて見る雲海に、二人はしばし時を忘れ見入っていた。

 頭上と眼下は白い雲で挟まれ、その間に薄い青がずっと広がっている。晴れていれば今まで歩いてきた道も見えただろうか。

 不意にそんな思いが浮かんで、胸の潰れるような思いがした。その道を一緒に歩いてきた人がもういないという事実を改めて突きつけられ、逃れられない痛みがのしかかってくる。急速に足から力が抜けて立っていられず、大洋は地面に膝をついた。頭が、痛い。


「大丈夫ですか」


 そっと、背に少女の手がかけられた。隣に寄り添う気配がして少しだけ顔を上げる。少女自身も顔色は良くないし癒しの力は使っていないだろうに、不思議とそれだけでスッと息がしやすくなった気がした。空と同じ色をした少女の瞳と目が合う。

 ぼんやりとしたまま、君は、と大洋は問いかけた。


「君は、大丈夫なの」


 風が吹きつけ、その強さにまとめていた長い髪が煽られ輝いた。頭上、雲の隙間から降り注ぐ陽の光はそう強いものでもないのに、そのすべてが少女の元へ集められているかのような錯覚に陥る。

 大洋の問いに少女はなんということもなく、はいとうなずいた。思わず眉根が寄る。


「どうして?」

「……どうして、とは」

「アルドさんは、死んだんだ。僕を庇って」


 背から少女の手が離れたことがわかった。だがその表情は特に変わらない。僕のせいで、と続いた言葉に大洋自身の涙腺が耐えきれなくなっても、少女のまとうものは何ひとつ変化しなかった。温かくもなければ、反対に冷たくもない声で、少女は応える。


「彼自身が、選択したことです」

「そんな言い方、」

「事実です」


 祈りの旅路に出ることも、大洋の盾となり命を落とすことも、最初から最後までアルドが自ら選んだことだと少女は静かに、大洋に説いた。


「……分かってる。君が言うことは正しい。でも、僕が原因なのも事実だ。僕が原因で、アルドさんは死んだ。……パウラさんだって」


 吐き捨てるような大洋の言葉に今度は少し考えるように間をおいて、それから少女はそうですね、とだけ言ってまたうなずく。かぁ、と頭に血が上るのがわかった。片隅に残った理性はいけない、と声を上げていたが、勝る衝動のまま、大洋は喚いた。


「君はどうして、そんな……、悲しくないのか? アルドさんも、パウラさんも、ずっと一緒だったのに。僕よりずっと長く一緒にいたんだろう? それなのに、どうしてそんなに普通なんだ!?」


 喚いてなお行き場のない衝動に、振り上げた拳で己の足を殴りつける。

 この足がもっと速く動いていれば。この拳がもっと固ければ。アルドがその身を挺することはなかっただろう。それよりもっと以前、パウラが不要と断ずることすらなかっただろう。


「どうして……僕の、所為なのに」


 どうして責めてくれないのか、とは、すんでの所で止めたが、ほとんど言ったも同然だった。衝動がそのまま、今度は後悔となって寄せ返してくる。受け止めきれず大洋は頭を抱え、うずくまった。


「……ごめん。こんなこと、一番、言っちゃ駄目だった」


 幾重にも重ねた失態に少女がどんな顔をしているのか、怖くて顔をあげられない。抱え込んだ頭の上をびょうびょうと風が通り過ぎていく。


「……確かに」


 強い風に雲が流され、陽の光が差したりかげったりを幾度か繰り返したあと、ぽつりと少女が口を開いた。


「確かに二人とは、長く共にいました。アルドは護衛として、パウラは侍女として」


 恐る恐る少女を見上げる。大洋を正面から見ながら、少女の目はどこか虚ろでもあった。記憶に思いを馳せているという風でもない。天上から釣り上げられるようにすっくと立ち上がり、少女は続ける。


「だからこそ、二人がいなくとも、私は行かねばなりません。最後まで」


 立ち上がった少女が大洋へ手を伸ばす。大洋は無意識のまま、その手を取った。引き上げる力はごく弱いのに、導かれるように抵抗なく立ち上がる。


「大丈夫です。そう決められているのです。だから、大丈夫」

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