隔絶、オシマイ、祈り

第32話

 青白く幽鬼のような、冷たく凍てついた表情は初めて見る。まるで知らない人のようだが、それでもそこにいるのは、パウラに間違いなかった。


「パウラ」

「どうして」


 少女と大洋の声が重なった。倒れたアルドとその横の大洋を見下ろし、パウラは詰めていた息を大きく吐いた。


「……アルド様、愚かな」


 忌々しそうに言い捨てアルドに歩み寄り、その身体に刺さったナイフに手をかける。


「ッ、やめ、」


 咄嗟に大洋は腕を伸ばしたが間に合わない。一切のためらいなくパウラがナイフを引き抜くと、声にならない悲鳴と共に鮮血がアルドの体から吹き出した。湯気でも立てそうなそれを浴び、パウラの両手は真っ赤に染め上がる。隣りにいた大洋も同じ程に赤く染まった。反射的に傷口を塞ごうとしたがそれは土台無理な話で、後から後から溢れ出るもので地面までが色を変えていった。


「パウラ」


 少女が少し先で立ち尽くしていた。呼びかけに応え、パウラはまっすぐに少女を見据える。両手の赤と白い顔の対比が大洋の目に焼き付いた。


「何故ですか」


 少女の声はか細く、震えている気がする。しかしそれは単に、山の頂上から強く吹き下ろす風の所為かもしれない。冷たい風が吹いているのに、傷口を押さえる大洋の両手だけは温かい。恐ろしい温かさだった。


「森を抜けましたから。最早不要でしょう」

「何が、不要だというのですか」

「この者です」


 そう言いながら、パウラはアルドの血が滴るナイフをまっすぐ大洋へと定めた。ドッドッ、と傷口から手のひらへ直に伝わる脈動は、いつの間にか大洋自身のそれと完全に一致している。手のひらは温かい。しかしそれ以外は凍えるほどに震えていた。


「アルド様こそ、何故このような愚かな真似を」


 やり切れぬと憐れむかのような表情だった。


「ですが致し方ありません。森も抜け、あとは希素の満ちる道を聖地まで行くのみ。魔獣の心配もいらぬとあれば、伴は私一人で十分事足りましょう」


 もうしばらくお待ち下さい、と言いながらパウラが大洋ににじり寄る。ナイフの切っ先が振れることはない。逃げなければ、と理性は訴えるが身体が動かない。アルドからも離れられない。


「どうして……、どうしてですか、パウラさん。どうして、こんなこと」


 みっともないほど声は震えて、ただ同じ言葉を繰り返すしか出来なかった。大洋の問いにパウラは一層眉をひそめる。


「黙りなさい。何もかも、聞くに堪えない」

「そんな、」

「黙れ!」


 それまで凶行に及びながらも一定の冷静さを保っているかのように見えたパウラだったが、怒鳴りつけたのを皮切りに怒りに目を血走らせ、今にも飛び掛からんばかりに叫んだ。


「貴様のような者が、守り人様などと! 妄言も甚だしい」


 ナイフが斜めに振り下ろされた。思わず目をつぶって身をかわす。稲妻が走ったかのように、かざした腕から全身に鋭い痛みが駆け抜ける。


「この天の世に来て、貴様は何をした。何を成した? 守り人様と持ち上げられて考え違いをして、ただ私達の後ろをついて歩いただけ。奇跡のひとつも起こせないどころか、下らないことを言っては聖女様の邪魔ばかり。何の為にいるのだ?」


 それはすべて真実には違いない。反論の余地もない。

 しかし受け入れ難かった。痛みで全身が心臓になったかのような中、興奮でおかしくなった頭が猛烈に反発していた。許しがたい、と。パウラの言葉をそのまま受け入れて倒れることだけは許しがたい。


「……僕は、……行くって決めたんだ。それで、一緒に、この世界を救うんだって」

「出来るものか! 奇跡を起こし救いの祈りを捧げるのは聖女様お一人のみ、貴様にそのような力はないのだ。今までで十分証明されている。貴様の存在などこれ以上は不要、」

「駄目だ!!」


 罵倒をなお上回る叫びに、パウラさえも一時気圧される。


「そんなの駄目だ、一緒にいなきゃ、駄目なんだ」

「なにを……」

「僕が本物かどうかなんて知るもんか。何にも出来ないのはその通りだけど、でも、だからって、一人でなんてさせられない」


 だって寂しいじゃないか、一人なんて。

 衝動のまま、大洋は叫んだ。結局パウラの言う通り今の今まで、この瞬間でさえ、何故自分がここにいるのかなどわからない。この世界の道理も、真理も。誰も大洋に確信を与えてくれなかったのだから。

 でもそれは元いた世界でも似たようなものだろう。自分のいる意味など、誰もが自分で見つけるしかない。だったら、と大洋は思った。


「一人でこんな寂しいところ、駄目だ」


 だったらあの子と一緒にいたい。この冷たい風の吹きつける世界で、祈ることしか知らないあの子に、大洋の知ることを全部教えてあげたい。そしてこれからのこの世界の事を、二人で知っていきたい。


「何にも出来なくたって一緒にいる。そう決めたんだ!!」

「――黙れッ!!」


 血に濡れた刀身が閃いた。近い。今度は避けきれない。そう確信があった。しかし眩しい炎が、それを退けた。

 いつか魔獣に掴みかかられた時と同じ、少女の祈りでもって、大洋とパウラの間に生まれた巨大な炎がパウラに襲いかかった。

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