第27話

 次の朝、あからさまに悩みすぎて寝不足という表情をはりつけのっそり起き出した大洋をみとめると、既に身支度を整えていた少女が真っ先に近づいてきた。

 珍しさと寝起きで頭が回らず目をしばたかせる大洋を余所に、少女はあの、と第一声を発した後口をつぐむ。それから一拍おいて、ややためらいがちにまた口を開いた。


「もしかしたらです。すべては。祈りの場でなにが起きるかはわかりません。誰も知りません。すぐに貴方が元いた場所に戻るかどうかも。ですから、……」


 最後は尻すぼみになってしまったそれが昨日すっかり落ち込んでしまった大洋に対する少女なりの慰めであり励ましだと、寝ぼけた頭がゆっくり覚醒していくとともに、心臓が震えた。寒い朝のはずが、一気に良くなった血の巡りで暑いほどになる。

 どれくらいの時間、彼女はこの事を考えていたのだろう。拙いけれど彼女なりの言葉を準備して、大洋が起きたら真っ先に伝えようと待ち構えて。最後まで言い切れなかったとしてもすべて、今目にしたものも見えないものまで全部、何一つ取りこぼしたくないと大洋は思った。震えて掠れた声でなんとかありがとう、と返す。


「ありがとう。色々、たくさん考えてくれて」


 大洋の感謝に少女の肩が少しだけ動いた。何を考えているのか相変わらず表情では定かではないけれど、迷わず大洋はそのまま続けた。


「僕も考えたんだ。もしもその時、僕がすぐに戻ったら。そしたら、手紙を届けてもらえないかって」

「手紙?」

「レコさんに、せめて自分の言葉で伝えたいから」


 昨晩眠れぬ頭で思いついて、それでもすっきりと寝付けなかったのは問題がひとつ残るからだ。大洋は字が書けない。

 もちろん元いた場所の文字を忘れたわけではない。書けないのはこの世界の文字だ。識字率が低いのだろう、文字自体見かけることも少なく今まで大した不便も感じていなかったから、学ぼうという意欲も特に湧かなかった。旅の合間に聞きかじってはいたが、いまだ数字と自分の名前くらいしかわからない。


「それで、その……」


 一晩中夢に現に考えて、妙案と思いながらでもやっぱり、と悩んだ。でも今なら言っても良いんじゃないか。背を押してくれたのは、少女自身だ。


「字を教えてくれないかな」

「……文字を、貴方に? 私が?」

「そう。それで、どうか、その手紙を届けてほしい。レコさんに」


 脈が速くなる。見上げてきた少女と目があってつい逃げ出したくなる衝動に駆られるが腹に力を込めて堪える。


「すごく図々しいお願いだってことはわかってる。でも、」

「分かりました」

「どうしても……って、え?」


 どうかうなずいて欲しくて言葉を重ねようとするより先に返ってきた応えに、大洋は一瞬耳を疑ってしまった。なんてことのないように、少女は続ける。


「文字を教えます。手紙も、お預かりします」

「ほ、本当に?」

「嘘はつきません」


 つい尋ねた大洋に冷静な眼差しが返される。もしかして気分を害したのかもしれない。そんなことに思い至る前に大洋は飛び上がった。


「――ありがとう! よろしくお願いします!」


 手紙を書けることが嬉しい。レコに気持ちを伝えられそうで嬉しい。文字を教わることが嬉しい。なにより、少女が約束してくれたことが嬉しかった。

 きっと思っているより面倒で大変な作業だろう。ここでは筆記用具もろくにないし、時間もそうとれるかどうか分からない。大洋より少女の方がその難儀さもよく理解していることだろうに、それでもうなずいてくれた。


「お礼に僕も何か、できることがあれば良いんだけど……」


 ただ一方的に恩恵を享受する申し訳なさに眉を下げる大洋に、少女は構いません、と首を振った。


「貴方はそもそも、もっと私達に対して沢山を要求してよかったのです。私たちが祈ったから、私の祈りで、貴方はここに連れてこられ、そのうえこのような旅を強要された」


 まさかそれを悔いているなどと、少女は言わない。だが今までにない感情を抱き、大洋に向かって告白しようとしているのだと分かれば、耳触りの良い言葉でそれを無下にすることはできない。ただ真摯に、慎重に、大洋は口を開く。


「……良いんだ。自分で決めたんだから」

「誘導でした。戻るすべが旅の先にしかないと」

「そうかもしれないけど、でも嘘じゃないはずだ」


 少女もパウラたちも、聖国の長老たちも、おそらくすべてを大洋に明かしてはいないのだろう。それでも偽りの希望を与えたりはしないだろうと、今なら信じられる。

 ここに来たばかりの時は、大洋にもまったく余裕がなかった。色々なことを見落としていただろうし、無意識に見ぬふりをしてきたこともあるかもしれない。だがきっとそれは相応だった。逆に気づいてしまえば、疑念と失望でうずくまり、前へは進めなかっただろうとも思う。


「守れるんだよね、世界が」


 今はもう真実だけが、進む理由ではない。多分、旅は大洋に必要だった。


「祈りの儀式をやり遂げれば、世界は助かる。それは本当なんだろう?」


 まっすぐ、少女と大洋は見つめ合った。はい、と答えた少女の声が心なしか震えているような気がした。


「だから僕は決めたんだ。君と一緒に聖地に行くんだって。この世界も、レコさんたちも、……それから君も、守りたいから」


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