第25話

 降り続いた雨は明け方頃ようやく上がり、窓からは鋭い光が差し込んでいた。朝の空気はまた一層冷え込み起き上がるのにも苦労したが、しばらく天気はもつだろう。レコも大丈夫だと請け負う。


「本当に……、ありがとうございました」


 昨日までと打って変わってすっかりまともな顔色をしたアルドが深々と頭を下げるのにも、やっぱり反応は乏しい。どこか煩わしげでさえある。しかしそこに拒絶はないのだということも、大洋にはもう十分分かっていた。アルドたちもおそらく同感だろう。

 一昨日と昨日、たった二日かそこらで自分がすっかりレコを信頼しきっている自覚はあった。単純なことだと我ながら思うし、過去を思えば用心が足りないのではないかとも思う。祖父を思い出して親近感を持っただけかと考えると、子供っぽくて恥ずかしさすら覚える。

 自ら並べた理由はどれももっともで、否定できる材料もない。しかしそれでも、思うだけなら良いだろう、と大洋は自分の甘えを許すことにした。こめかみに未だ薄っすらと跡を残すことになった、あの時とは違う。今はアルドたちがそばにいるし、それにもう、これでお別れなのだから――。


「また、来てもいいですか。会いに」


 考えての発言ではなかった。最後だと思った瞬間、それは口をついて出ていた。

 レコの目がわずかばかり大きく開かれる。おそらく初めて見た、驚きの表情なのだろう。それにしたって乏しいが。

 こたえてくれないことに怯む気持ちはあるが、それよりは最後だから、ままよという気で大洋は続けた。


「やらなきゃいけないことがちゃんと終わったら。またここに」


 緊張で拳に力が入る。おそらく拒否はされまい、という目算はあった。それでも、出来れば許されたい。


「……好きにすりゃいい。お前さんの思う通り」


 予想から外れることなく、レコはそう答えてくれた。それから続けて、俺が生きてりゃな、と諧謔を交えた表情に驚きとともに喜びが沸き起こる。


「次はエルシの世話を任せる」


 その一言がどれくらい嬉しかったか、多分レコ本人は気づかないだろう。それで構わない。約束に大洋は大きくうなずいて、また頭を下げた。


 振り返ればもう遥か後方、丘の上の米粒よりも小さい影がレコであるような気がして、大洋は大きく手を降った。もちろん確信があったわけではなく、例えそうだったとしてもレコに己が見えるとも思わない。ただそうしたかっただけだ。アルドも、パウラも何も言わない。少しぼんやりとそれを眺めていた少女と目があった。

 あのさ、と大洋は勇気を出して少女に話しかけてみた。胸のうちには未だ、レコのくれた言葉が力強く脈打っている。それを絶やしたくない。それにきっと少女自身も、同意してくれるのではないかと期待して。


「君も、一緒に行かない?」

「……どこへ?」

「レコさんの所へ」


 水色の目はいつも美しい。瞬きが繰り返される度に輝きも増すような気さえした。


「もちろんちゃんと旅が終わったら、だけど」

「……」

「聖地に着いて、祈りが済んだら。一緒に」


 どうせ帰り道になるし、とできるだけ気楽に言ってみる。

 パウラもアルドも、自分たちを送り出した聖国の面々も、そして少女自身も、あまりにも気負いすぎている。

 今までの道のりが大変だったことは事実であるし、これからさらに厳しいものになることは間違いない。この天の世が穢れて疲弊していることも直にこの目で見て、身をもって理解した。のんびりとしている余裕はない。少しでも早く穢れを取り払わなければ、一層大地は荒れて魔獣が増え、人は傷つき、また傷つけあうだろう。それもわかっている。

 けれどレコの言うことも、間違いではないはずだ。とにかく最後までやってみる。もちろん全力で。それでも駄目だったら、また挑戦する。大洋にその力があると皆が言うのだからそうなのだろう。だったらやってみせる。やってみせるから、任せた方は黙って待ってろ。

 ただの開き直りにすぎないが、どうせここまで来ては最早誰も大洋の行動に文句をつけられない。ましてや気持ちは、もっと大洋の自由だ。少女だって、それでいいはずだ。


「……そうですね」


 うつむいてしまった少女のその答えが、肯定でも否定でもないことはきちんとわかった。それでも否定ではないだけ、十分だろう。

 今はそれで十分だ。

 大洋は心から、そう思った。

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