第24話

 できるだけ物音をたてないように、そっと元いた部屋の扉を開ける。出たときと変わってパウラが横になり、代わりに起きていた少女と目が合う。外より幾分かはマシな空気に大洋はほっと息をつきながら先ほどと同じ部屋の片隅に戻ると、また無為に外を眺め始めた。

 レコはまた少し外に出て、戻ってきた時には両手に古い草籠を抱えていた。無造作に腰を下ろし、さっさと穴の空いた草籠の修理に取りかかる。次から次へと半ば呆れるほどの働きぶりに、本当に必要なのかじっとしていられない性分なだけか怪しいとも思う。

 ともあれ、その手の動きは素早く淀みない。あっという間にひとつが片付き、次の穴もみるみるうちに閉じられていく。その器用さに、大洋は半ば見入っていた。ずっと見てられるたぐいのそれについうずうずして、僕にも出来ませんか、とぽろりと出てしまった。

 あっ、と口に手をやったときは既に遅く、レコが手元から顔を上げる。少し大洋を眺めるのを居心地悪く耐えていると、意外なことにやってみるかと籠を差し出した。予想外のことに一瞬驚いたが、急いでそれを受け取る。

 アルドたちを起こさないように小声で教わりながら、実際にやってみると、はたで見ていたよりそれはずっと難しかった。不器用ではないが器用というわけでもない大洋は初めての経験に当然ながら苦戦したが、面白さも感じていた。田舎で祖父も似たようなことをしていた記憶がある。あの時は子供の手には危ないからと触らせてもらえなかったが。確かに思っていたより力がいる作業だが、冷えた身体には返ってそれもいいかもしれない。自分でも気づかぬうちに大洋は深く集中していた。

 だから、最初は気づかなかったのだ。少女の唐突な問いに。


「貴方は」


 また、気づかなくても当然かも知れなかった。なぜならそれは大洋ではなく、レコに向かって投げかけられた問いであったからだ。


「貴方はなにを、しているのですか」


 こんな所で。

 はっと大洋は顔を上げた。ある意味ではひどく不躾で、そして漠然とした少女の問いだが、レコを見つめる水色の目に遊びはなく、一途な気持ちの現れであると分かる。

 レコもまた手元から視線を外し、少女をじっと見て淡々と答えた。


「なにもしちゃいねぇ。ただ暮らしてるだけだ、ずっと前から」


 言い終え再び作業に戻ろうとするが、それを遮るように少女はまた質問を重ねた。


「ここで一人でいることを、貴方が選んだのですか」


 そばで聞いていた大洋は、思わず息をのんだ。うかがうようにそっと横目でレコを見たが、大洋の勝手に感じているような気まずさや苛立ちのようなものはない。昔は、と開いた口から漏れる声は低く嗄れて、それでいて少女とどこか似通った気配のある静かな声だった。


「一人じゃなかった。昔は」


 家族がいた、というその答えは大洋も半ば予想していた。レコの家は粗末ではあるが、そこかしこ、長く共に暮らしていた誰かの気配が残っていた。複数の食器、ベッド。淡い花模様の布製品、綻びた人形。


「元から何もねぇ所だが、多少人がいた頃もあった。それがいつの間にか荒れて、碌なもんがとれなくなって、飢えて死んだり病気になって死んだり、動けるやつは余所へ移ったりしていなくなった。それでも残った奴らでなんとかやってたが、厄介な流行病があって皆あっけなく逝っちまった」

「皆?」

「皆だ」

「貴方の家族も?」

「そうだ」


 憤りや悲しみや、あるいは喜びさえどこかに置き忘れたかのような、平坦な応酬だった。ふ、とひとつ息をついて、思い出したようにレコは作業に戻る。修理を終えた草籠を確かめる様子も淀みひとつなく、そこからはなにもうかがえない。レコにとっては過ぎ去った過去であり、最早なにも思うところはないということだろうか。


「……誰もいなくなったここに、一人で留まっているのは何故ですか」


 さすがに踏み込み過ぎだと思いながら、しかし少女を止めなかったのは、大洋自身も知りたいと思ってしまったからだ。きっと起きているなら、パウラや、アルドでさえ。

 けれどレコの返答はさてな、とだけ、素気すげないものだった。

 答える気がないのか、答え自体がないのか、それすらも静かな横顔からは読み取れない。拒絶の気配がなかっただけ、幸いだろうか。知らず詰めていた息を、大洋はそっと吐いた。

 少女は、それ以上問うのを止めた。大洋も少女に代わって話を続ける気にはなれない。元より静かだった家の中はより一層濃い沈黙が落ち、代わりとばかり強さを増した雨が屋根を叩いていた。火の音はかき消されそうなほど弱い。

 ここは静かで驚くほど穏やかな、他から隔絶されたかのような世界で、そして寂しい。レコ一人では、あまりに寂しい。そう大洋は思ったけれど、しかし同時に大洋の方も求められていないのだとも思った。

 大洋たち余所者を迎え入れ、それでいて一枚の薄い膜で拒絶するような、居心地の良さと悪さが同時にあった。唐突に、この世界に呼ばれた時大洋が初めて目覚めた場所を思い出す。聖国の祈りの間、といったか。

 レコの家には、あの静謐で物悲しい神聖さが満ちていた。

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