第16話

 女と、気を失っていた若い男は、駆けつけた役人に連れて行かれた。

 珍しい類の犯罪ではない。それは淡々と処理をする役人たちの態度で分かった。ただ瓦礫と化した家屋には顔をひきつらせていたが、それも少女の存在を知れば一変した。

 あの女の言ったように、守り人に関する言い伝えは広く知れ渡っているらしい。並外れた少女の容姿もあらゆる奇跡を納得させるに足る理由の一つだろう。年端も行かぬ少女に大の大人たちが大げさなほど恭しい対応で、全員がなにか追及されることもなかった。大洋に至っては明らかに地位の高そうな役人が直接謝意を表し、休息のため質の良い宿も提供するとまで申し出たが、これにはアルドとパウラが丁重に断りを入れた。代わりにと旅に必要なものを諸々譲り受け、四人は早々に街を出た。


「聖女様のことが広まれば厄介ですから」


 本心ではベッドで横になって休みたかったが、パウラの言葉は十分理解できたので大洋も反対はしなかった。もとよりこの事態を招いたのは己だという自責の念で、主張する気すらなかったが。本来は荷運びのためのロバもどきに今日ばかりは、と乗せてもらえただけで十分だろう。

 街からさほど離れていない今夜の野営地で、改めてパウラが大洋の傷を見分してくれた。頭からの出血以外にも打撲や細かい切り傷は多く、骨折など大きな怪我がないのは運が良かったとしか言いようがない。


「罪は、罪です」


 唐突なパウラの声は、いつも以上の鋭さがあった。


「罪人は罰せられなければなりません。他の善良な者のためにも」


 腕に包帯を巻く手つきは、見えない刃を大洋に突きつけながらも、流れるように正確で丁寧だった。


「……そうですね」


 聞きようによっては慰めているのかもしれない。しかしパウラの声の鋭さは叱責以外の何物でもなかった。あるいは呆れか、非難か。何にせよそれはきちんと大洋の心臓を刺した。


「売り飛ばされそうになっていたのですよ、どんな目に遭うところだったのか、分かっているのですか? 奴隷のようにこき使われるなら運が良い方です。売り飛ばされてその先で、邪教の生贄として殺され刻まれたとしても不思議ではありません」


 ザッと血の気の引く思いがした。これまでならただの脅し文句と流せたかもしれないパウラの言葉も、こうなった今では冗談だとは思えない。助けを求めるようにアルドを見るが、否定の声はなかった。


「そんな、生贄って……」

「穢れは人心をも蝕む。昨今ではそう珍しいことではありません」


 巻き終えた包帯をギュッときつく縛って、パウラの手が離れる。その顔を見られなくて、大洋は細かく震える自分の腕に視線を落とした。

 パチパチと小さく火の爆ぜる音が辺りを満たす中、パウラと交代するようにアルドが大洋の前に膝を折った。焚き火に照らされるアルドの姿は、初めて会った夜の廊下を思い出させる。


「……マサヒロ様が情け深い御方であることは、存じております。世界を救うのが守り人様の使命であるとしたら、それも道理であるのかもしれません。ですがどうか、その優しさは、享受するに相応しいものだけに振る舞うようにしてください」


 あの時と同じく腰に帯びたものを示しながら、子供に言い聞かせるような声で、アルドは続けた。


「この剣は、守り人様たるマサヒロ様の御身をお守りするためにあります。私というものも同じく。すべてはそのため。マサヒロ様がその使命を果たされる以外、すべては些事です」


 だから誰かを傷つけることも辞さない。あの女のように。

 アルドが暗に言わんとすることを悟って、大洋は咄嗟に叫んだ。


「違うッ!」


 頭の傷がずきりと痛んだ。深いものではなかったが、こめかみに近かったせいか、なかなか出血が止まらなかった。クラクラするのは、血が足りないからだけだろうか。


「違う、違う……。そんなこと、僕のせいで、僕のためになんかそんなこと……止めて下さい……」


 覚悟なんて決まってないのだ。アルドの大層な覚悟なんて聞かされても困る。そんなものを受け止める覚悟など、自分にはない。

 だってそれしか選択肢がなかったから、元の場所に戻るにはそれしかなかったから、だから旅を承諾しただけなのだ。自分が守り人様、世界を救う人だなんて、そんなこと本当は最初から今までずっと思ったこともない。自分がそんな特別な人間だなんて、根拠もないのにどうしてそんなことを思えるだろう。

 どうしてアルドたちは疑わないのか。


「……穢れのせい、なんですよね。穢れがひどいから、人の心も歪むって」


 ずくずくと痛む頭を抱えこむようにして、大洋は先ほどのパウラの言をそのまま拝借した。きっと彼女は不愉快そうに眉を寄せているだろうが、見えていないのだから知りようもない。


「穢れた世界を救うのが、僕の役目なんでしょう。だから、それなら、僕のせいで誰かを傷つけないで」


 なんの理屈も通らない。ただ癇癪を起こした子供が駄々をこねているだけだと、痛みと衝動で混乱する頭でも分かる。

 アルドは何も言わない。不甲斐なくて惨めな自分がますます浮き彫りになる。でも、誰にも何も言ってほしくなかった。

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