第5話
次に目が覚めた時、周囲は明るくなっていた。窓から差し込む光がすっかり夜の明けたことを示している。正確な時間は分からないが、大洋がいつも起きる時間を少し過ぎたくらいだろうか。いつもこなす朝の準備が反射的に頭の中に思い浮かぶが、そんな状況ではなかったと眠りに落ちる前のことがゆるゆると蘇る。
ベッドの上に腰掛けぼんやり思考を巡らせていると、扉がノックされた。
「お目覚めでしょうか、守り人様」
驚きに飛び上がり、悲鳴のような返事を返す。扉が開いて、失礼いたしますと青年が顔を出した。昨夜話した青年、アルドだろう。
明るい中で改めて見たアルドはいかにも偉丈夫で、重そうな金属の胴衣も、腰の剣も、物語に登場する騎士のように様になっている。
「昨夜は眠れましたか?」
「えと、はい。……オカゲサマで?」
「であれば良かった。水場にご案内しましょう、朝食も用意させております」
睡眠が取れていれば、成長期の肉体はきちんと機能するらしい、気分は乗らなくとも空腹自体は感じられた。食べ物を目の前にすればいくらかでも口にすることはできるだろうし、多分その方がいい。
出された朝食は、それまでのベッドや便所などの生活様式から想像した通り、質素なものだった。ボソボソとした食感のパンらしきもの、多少の野菜と果物、そして水。用意してもらっておいて失礼だと分かっているが、粗末と言ってもいいかもしれない。少なくとも大洋が普段家で食べるものとは比べ物にならない。こうなってはじめて家のありがたみが分かるというものだろう。
それでも空腹が手を進める。すべてきれいに平らげたのを見計らって、昨夜のことですが、とアルドが口を開いた。
「聖女様と長老様方と、場を設けております。ご準備が出来たらお越し下さい、とのことです」
思わぬことに大洋はえっ、と声を上げた。
もちろん話す機会はほしかったし、食事が終わったらすぐにでも頼んでみようと思っていた。しかし自分が言い出す前に事が進んでいて驚いたのだ。アルドが話を通してくれていたに違いない。その仕事の早さに驚いたし、聖女たちを待たせているであろうことにも驚いた。
「今、行きますっ」
慌てて立ち上がる大洋を大丈夫だとアルドが制する。もとから時間を取るつもりであったから問題ないということだが、それでも人を待たせて良い気はしない。急がなくても良いというアルドをむしろ大洋が急かして、ようよう案内されたのは昨日の、教室くらいの広さの部屋だった。
「お休みのところお呼び立てし、申し訳ございません」
昨日と同じ寂しい白髪の、長老とやらが開口一番頭を下げる。その場にいたのもやはり、昨日と同じ顔ぶれだった。唯一、アルドが入り口近くに控えているのだけが異なる。
「僕の方こそ、待たせてしまってすいません」
言いながらちらりと視線をずらす。アルドが聖女と称した少女もまた、昨日とまったく同じ様子で長老の隣で静かに座っている。
それに構うこともなく、長老がアルドと同じように眠れたかと尋ね、大洋も同じくおかげさまでと返す。一日の間を置いたことはお互いにとって良かったのだろう。その場の空気も悪いものではないように大洋には思えた。
「あの。僕、元いた場所に帰りたいんですが」
緩んだ空気の中で早々、気合を入れて大洋はずばり切り込んだ。
天の世とか守り人様とか、世界を救うなどと大仰なことを言われても分からないし、説明されたところで理解できるとも思えない。ともかく自分にとって一番重要なことだけは、はっきりさせておきたかった。
周囲に少し、緊張が走る。
「帰れますよね」
暗にそっちが連れてきたんだから、と含めて繰り返す。しかし長老や他のメンバーは無言のまま。空気はますます硬くなっていく。アルドにも視線を送るが、彼は難しい表情を浮かべるのみで口を挟むどころか大洋を見遣る気配すらない。
「守り人様、」
大洋の緊張に根負けしたか、ついに長老が口を開いた。
「守り人様は、この天の世をお救いになられるために、ここにおられます」
「でも、だから、そんなこと僕は、」
昨日と同じまるで的外れな答えに思わず気色ばむが、落ち着くように、と大様に手を振り長老は続けた。
「言い伝えがあるのです。天の世と地の世は一対のもの。この世の穢れが溢れ滅びの危機に瀕する時、互いの世から渡る守り人たちが救いの祈りを捧げるであろう、と」
「一対の……。じゃあ地の世っていうのが、僕の元いたところってことですか?」
「恐らくは。この天の世は今、溢れかえる穢れのために誰もが窮しております。そして言い伝え通り、貴方様は地の世からお渡りになられた。この天の世の守り人様の呼びかけに応えて」
そう言って、長老は自身の隣に座る少女を示す。気配を察したのだろう、沈黙を貫いていた少女が、うっすらと目を開けた。薄い水色と視線がぶつかり、大きく大洋の心臓が鳴った。一番最初に思った通り、そしてアルドも言う通りの美しさに、一気に顔へ血が上るのが分かる。そもそも女子と話すことに慣れていない大洋は慌てて目を逸してしまった。
「ここ聖国より北、人も獣も寄りつかぬ山の頂きに、始まりの地と言われる我らが聖地がございます。その地で祈りを捧げるのが守り人様の使命、そして天の世を救う唯一の手立てなのです」
「祈りを捧げるって、それだけで?」
「守り人様の祈りには、我らには持ち得ぬ清めの力があるのです」
そんなこと、あるだろうか。
大洋に大した信心はない。盆暮れ正月、寺や神社や、時には教会などにも行ってまわりを見習いその真似事をしたものだが、別段、それこそ世界を救うような奇跡が起こった覚えなどない。受験の時くらいは真剣に祈って、結果的に第一志望の高校に受かったが、奇跡と言われるとやや心外である。あれは努力の結果に過ぎないと大洋は思う。
「祈りの作法などは聖女様が心得ております。どうかお二人揃って、聖地へ赴き下さい」
そういう長老こそが固く手を組み、大洋に向かって祈った。後ろに控える面々も倣うように視線を落とす。深く張り詰めた声が続く。
「確かに道中は気軽なものではないでしょう。この世の穢れは既にありとあらゆるものに及び、水、土、大気、獣や人心をも蝕み始めております。加えて聖地は地上より遥か高い山の上。身も心も疲弊することは恐らく、間違いありません。しかし我らにできる限りの備えをお約束します」
長老が後ろを振り返ると、アルドが一歩進み出た。
「護衛にはこのアルドがつきます。剣の腕は聖国随一、様々な術にも優れております。きっと守り人様を無事彼の地まで送り届けましょう」
「この身に代えても、必ずや」
アルドの強い眼差しが、大洋の胸を刺す。アルドだけではない。長老も、その後ろからも。切実で張り詰めた、真剣な眼差し。唯一の例外は少女だが、感情を乗せない真っ直ぐさがむしろ大洋の内側をより強く抉ってくる気がした。
「……祈りが終わったら、僕は元の場所に帰れますか?」
大洋の問いに長老が息を呑むのが分かった。真剣な眼差しのまま、眉間に深い皺が刻まれる。しかしそこは大洋も譲れない。互いの視線が交差し、少しの沈黙ののち、長老が苦い声を絞り出す。
「必ず、とは申し上げられません。守り人様に関しては古い言い伝えにあることがすべて。それによれば、救いの得られたのち守り人は世にかえる、とあります。しかしそれが元の世であるのかどうかは分かりません」
知るすべがないのです、と言ったきり長老は黙り込んだ。
再び沈黙が落ちる。それを破ったのは後ろに控えた者たちだった。守り人様、と悲痛な声が上がった。
「どうか、守り人様。守り人様はこの天の世に生きる全てのものの希望なのです」
「お救い下さい、我らをお見捨てにならないで下さい」
「何卒……、守り人様」
「僭越ながら私からも、どうか」
それまで黙っていたアルドすら加わり、とっさに大洋は目を閉じて逃げた。
今までの大洋の人生において、これほどまで真に誰かに頼られたことはない。自分が特別お人好しだとは思わないが、眼の前で困っているなら助けてあげたい。それくらいの人情はある。
「……世界を救うとかそんな凄いこと、やっぱり、僕にできるなんて思えないです」
口にしたのは偽らざる本音である。家族でも友達でも、誰か一人でも元の世界の知り合いがそばにいたなら、きっと力強く同意してくれることだろう。膝の上で握った拳に力がこもった。
特別な力や経験はない。自信もない。
更に言えば使命とやらを果たしたとしても、そののち無事帰れる保証もない。
「でも、」
ここに留まったとして、帰る方法がないことだけは確定している。
「それしかないんですよね」
最初から、選択肢などなかったのだ。
ようようの理解ののち、大洋は大きく肩を落とした。
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