木耳のアルバイト 承


 私がこのぱっつん娘に尊い休日を不意にされるのはこれで何度目であろうか。

 とても数えられたものではないし、数えたくもない。貴重な人生の内、これほどの時間を無駄にされてしまったのかと絶望の淵から身投げしてしまう真っ暗で真っ黒な未来が既に見えてしまっているからだ。


 罫線に打たれたシミほどの数しかないバスを乗り継いで、到着したるは隣の隣の隣町のさる山奥。

 無断でアルバイト応募を出された私は無理矢理この木耳採取のアルバイトに付き合わされることになった。知り合いが勝手に書類を送っていたなんていうのはアイドルデビューの経緯話だけで十分だ。


「もうすぐで正午を迎えます。タイムリミットは日の入りまで。限られた時間の中で捕れる量は限られています。どれだけ速く、多く、効率よく、捕ることができるかが肝ですよ」

 訳知り顔で宣う全ての元凶。

 彼奴は、山道でも歩きやすいスニーカーを履き、鋭い枝葉から肌を守る手袋を填め、照り付ける日射を防ぐ鍔の広い麦藁帽子を被り、完全無欠の完全装備であった。

「どうしてそこまで準備万端なんだ」

「山に入るのですから当然でしょう。寧ろここまでしない方がおかしいのです。捕獲用の軍手とか、籠とか、持ってきていますか?」

 そんなものはない。何故なら全く行く気がなかったからだ。

 ぱっつん娘は私を見ると溜息混じりに右手のトングをカチカチと鳴らした。何のつもりだ。蜂の威嚇か。虫よけスプレーをこれでもかというくらい噴霧しておきながら、本人が虫の真似をするな。

「本来なら二手に分かれて作業しようと考えていたのですが、この有様では。仕方ありません、今回は一緒に行動することにしましょう」

 呆れ気味な口調に腹が立った・


 山道をずんずんと分け入りながら小娘は滔々と述べる。

「このアルバイトに従事するにあたり、大小様々な情報を片端から入手して来ました。なんでも、木耳は木の根元に巣を作るそうです。名前はこの習性から由縁しているのでしょうね。通常、何匹かの群れになっているとのことなので一つポイントを見つけてしまえばあとは一網打尽ですよ」

 合っているようで全てが間違っている知識を垂れ流し続けるぱっつん娘。

 木耳という名前がクラゲに由来しているのも、幾つかの個体が一箇所に集まっているというのも強ち間違いではないのが、相手の否定を殺す小癪な手腕だ。誰が言ったか、噓に真実を混ぜると露見しにくくなるという。


「くまなく目を凝らしてください。足下に生息しているので目溢しが多々あるそうです」


 嫌々とはいえ賃金を貰う契約の上での労働だ。その辺りの注意深さは確と心得ている。

 だが、未だそれらしきものは見つけられていない。落葉。枯れ枝。蕨。落葉。落葉。発条。枯れ枝。落葉。

 山菜がちらほらと生えているのが見受けられる。これは予想していなかった。摘みたい。

 かわいらしく渦を巻いた新芽にこんにちはと顔を寄せれば、お隣の幹の根元に見慣れない、うねうねとした黒い襞のようなものを見つけた。

 もしや

「これが木耳か……」

 こうして木に生えているものを写真や映像ではなく、実際にお目にかかるのは生まれて初めてかもしれない。自然の中に食用植物が生っているのを見つけるだけで自ずと気分は上がるものだ。


「危ないッ」


 小娘の叫び声と伸ばした指に激痛が走るのは同時だった。

「しまった、虫に刺された」

 蜂か蜘蛛か百足か、山であれば刺す虫、咬む虫はそこら中に潜んでいる。迂闊だった。山菜を見つけたことで気が弛んでいたのかもしれない。

 加えて、生憎なことに私は消毒液や虫刺され薬などを所持していない。ばばっちいが、ダエキノール民間療法の出番だろう。

 指を咥えようと己の手を見ると、そこには信じがたいものが付着していた。


「なッ、なんだこれは⁉」

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