木耳のアルバイト

@RGSnemo10110104

木耳のアルバイト 起


 知り合いが鱶鰭を贈ってくれた。

 やはりここは定番のスープがベストだろうと画策しつつ、蓋を開ける。

 鼻を抜けるこの上等な香りは材木がまだ生きている証だ。コーティングなどではない、天然の滑らかさを持った桐箱の中には、湿気保全が入念に行き届いた鱶鰭が鎮座していた。ああ、ワクワクが止まらない。


が、ここで二つの重大な問題に気が付いた。


 先ず一つ。

 私は鱶鰭を調理したことが一度もない。料理自体は常日頃より行っているこの私だが何せ相手はかの高級食材鱶鰭。煮込みや味付けはおろか、戻し方すら見当がつかない。料理人としては右鰭も左鰭も分からぬような無精卵だ。


 そして二つ。私には嫌いな角度というものがある。左上から右下へ、斜めに向かって二十一度。


「これが鱶鰭ですか。調理前のモノを見るのは生まれて初めてですよ、私」


 その角度に前髪を切り揃えた、私のよく知るぱっつん娘がいつの間にやら居座っておった。ひょんなことから知り合って以降、何かつけては私に付きまとってくる、かの忌まわしきぱっつん娘。ちくしょう、見られてしまったか。

 だが、しかし、私は大人で彼奴はまだ小娘だ。ここは癪だが、大人の余裕とやらを示さねばならない場面なのだろう。


「座れ。今から調理方法を調べる」

「本当ですか。いやあ、ありがとうございます」


 この悪食娘、わざとらしくお礼なんぞ言いよって。今の私の神経はそこの桐箱に置かれた鱶鰭そのものだ。潤いを失い渇ききった己が身を、密に押さえ込んでいる。ああ、なんてことだ。あれほど美味そうに見えた鱶鰭が澱んで見える。


 私が木乃伊のように鱶鰭を睨みつけていると、突然小娘が鱶鰭の箱を手に取って妙なことを宣った。


「しかし、信じられませんね。こんなに大きな鱶鰭が、あんな小さく黒く縮むなんて」


「この鱶鰭は乾燥されたものだ。水で戻して大きくなることはあれども、縮むことはない。それに、鱶鰭が黒く変色するという話は聞いたことが無い」


「私も斯様な高級品ではないにせよ市販品の鱶鰭は食したことはあります。あのコリコリとした食感、私は嫌いではありません」

 人の話を聞かない小娘だ。

 だが、この支離滅裂な会話から分かったことがある。恐らくこのぱっつん娘は鱶鰭を、別な食物の名称と違えて覚えているのだろう。そして、その「黒くて縮むコリコリ食感の食べ物」も粗方予想はついている。

「ああ、そうだ、確か八宝菜にも入っていたな」

「八宝菜、私は嘗てあのドロドロが好みではありませんでした」


 やはり

「それは鱶鰭ではない。木耳だ」


 木耳。中華料理などによく使われる食材であり、鱶鰭と同じく乾物となったものの流通が主だ。一方で、九州地方などの一部地域においては生のまま販売しているという話も聞く。

 小娘は私の解説を聞くと口の中で四文字その言葉を唱え、電子端末を弄り出した。


 私が彼奴よりも知識が豊富であるのは当然のことなので、この程度の博識振りを衒らかしたくらいで得意げになるような真似はしないのだが、それでもワオキツネザルのように目を大きくさせてから、すん、と地蔵になったこのぱっつん娘の様は中々に見物であった。一種のエンターテインメントと言っても過言ではなかろう。


「確かに……私が今まで鱶鰭と思っていたものは、実は木耳というクラゲだったようですね」


「何を言っておるか。木耳はクラゲという名だがクラゲではない。キノコだ」


「しかし、このサイトには『木耳は触手で反撃してくることがあるので注意して職務に当たってください』と記載してありますが」

 小娘は端末の画面を私に提示してきた。どうやらアルバイト求人募集サイトのようだ。

 場所・時間・持参物・応募人数など、諸々の手続きが完了していることを示す画面の最後には、ぱっつん娘の発した言葉が一言一句そっくりそのままに、注意書きとして記されていた。


「おい、一寸待て。この『応募人数:二人』というのは」

「はい。折角の鱶鰭なんですから、木耳もとびきり良い物を二人で頑張って手に入れましょうね」


 なんとワオキツネザル地蔵の催した例のエンターテインメント、驚くべきことに観客が主催者と共に参加できるというサプライズが織り交ぜられていたのだ。


 そんなサプライズは要らん。

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