長尾蘭 第七話 踏み込んだその先に ②

 芽生えたのは、反骨精神だった。何かに抗う、という事はあまり経験の無い私に、そんな感情が萌芽すること自体が、驚きではあった。

 だからと言って、普段表に出ない自分の一面に驚き戸惑うばかりではいられない。

 いや、驚き戸惑うことすら選択させない強い意志そのものが、私にとっては驚異的であったのだ。

 感情に流されて生きることを愚かだとは思いつつも、憧れていた。

 先行する思考よりも早く、無意味だと断ずるよりも強く、冷静さがその冷たい手を伸ばすよりも遠く。

 そういう生き方が、憧れだった。

 それは一種のユマニスム(人文主義)だ。獣から脱却した人間が手に入れた理性を、手放すことこそ、本物の人間らしく存在するということなのだ。

 そう、私は人間らしく生きていたかった。


 ——だから、彼女を好きになったの?

 冷笑にも似た笑みを浮かべて、東堂さんは言う。

 これは全てが終わった後の会話だ。懺悔にも等しい告白で、終わった後になって思ってみれば、理性を手放すことに憧れていた時点で、私には理性なんてものは備わっていなかったのだと、理解できてしまう。

 うつらうつらと、移ろう季節の中に、私が居て、綾部さんが居て。

 心の中には、全ての情景を私の望むままに染め上げたいという欲望があって。

「誰かを好きになる理由なんてのはさ、多分、理屈じゃ無いんだよね。私も、痛感した。嫌、ってくらいにさ」

「……それは、恋愛として?」

「いいや、友情にも適用されるよ。誰かを嫌いになることに、明確な理由は絶対に存在する。その人がそれを意識していようがしてなかろうが、ね。でも、好きになることに理由は絶対じゃ無い」

「それでも……。それでも、私には理由が必要だったんです」

 そう。

 それを言語化出来ないのなら、本物の気持ちじゃないと、思ってしまっていた。

 人の世の中は、いつだって差別的だ。平等なんてものは無い。その不平等の上澄にいるという罪悪感だけが、いつだって私の心に巣食う痣だった。

 だけど、何か一つくらいは、私にだって望んでも叶わないものがある筈だ、って。

「……そういう、浅ましい気持ちを隠したいから。いつだって理由を探していた」

「随分と贅沢な悩みね」

「そう。贅沢、なんですよ。そりゃ、私だって、叶いっこ無い願いは望まない。それこそ、世界一のセレブになるとか、一国の主になるとか。でも、それでも、私は恵まれていたから。恵まれ過ぎていたから。望めば、欲すれば、多分、大抵のことは叶えられるって思ってしまった」

 でも、それは、間違いだった。

 いや、間違いであって欲しかった。

「決して人は満たされちゃいけない。そう、教えられた。自分の尺度の中で満たされると、それ以上を望んでしまうから」

「そういうもの、なのね。アンタの考え方ってのは」

 東堂さんは不満そうな顔で無理やり納得したように頷いた。

 綾部さんの考え方は、私よりも目の前の東堂さんと近いのだろう。

 価値観というか、人生観というか。

 だからこそ、私は東堂さんにことの顛末を話したのだし、東堂さんは私を弾劾することもなく、そのままでいてくれた。

 これは、そういう話なんだ。



 ◇


 鷺谷さんの言葉が、私の背中を押したような気がする。

 どちらかといえば、私を意固地にさせたというのだろうか。

 どこの学校にでもある文化祭は、どこの学校でも見られる規模の盛り上がりを見せて、二日目になっていた。

 気がつけば、綾部さんとの関係を進めることに何一つ疑うことなく、それが最善だと感じていた。

 要するに、私の気持ちを彼女に伝えようと考えていたのだ。そこに、何も躊躇は無かった。

 ただ一つだけ不安があるとするのなら、彼女は私を受け入れてくれるだろうかという、ごく当たり前の不安だ。


 だから——。

 綾部さんを呼び出して、なんてことない当たり前の男女の恋愛のように。

 私は彼女に好きだと伝えた。

 私には無い何かを持っている貴方に惹かれたのだと。

 そう、伝えた。



「あの……多分、それって違う、と思います」

 どうやら今年は秋が無いみたいですね、と困ったような、少し残念そうな笑顔を浮かべてそんな言葉を交わした綾部さんとの先週の雑談通り、まだ11月も半ばだというのに冬のような様相を露わにしたその日。

 私の想いを告げた綾部さんが、辿々しく言葉を紡ぎながら、やんわりと私の想いを否定した。

「違う……?」

 言葉の真意を理解出来ずに、私は鸚鵡返しで聞き返すと、更に困ったような表情で小さな唇を動かした。

「そのお話を聞くと、多分逆、だと思います」

「……私は綾部さんが好きなんです。逆とか、そういうことじゃなくて……」

 少なくとも、私は勝ち目のない告白をした訳じゃない。何となく、そう、何となくだけど、私に対して少なからずの好意を持っていることは確信していたし、彼女自身、同性愛に拒否反応を示すような性格じゃないことも知っている。

 だからこそ、彼女の否定するかのような言葉が戸惑いを生んでいた。

「私を好きって言ってくれるのは、勿論嬉しいです。凪尾さんみたいな、凄い人に好かれるって、多分私には今後、無いことだと思いますし、出来ることなら、その想いに応えたいって、思います」

「なら……!」

「でも、分かるんです。ここで私が凪尾さんの想いを受け止めても、多分、良い結果にならないってこと」

 だから、こめんなさい、と。

 告白したのは私の方の筈なのに、私よりも悲しそうに目を伏せて頭を下げる。

 そんなことをされれば、本当に可能性の芽が無いようにも思えてしまう。

 初めての欲求だった。

 初めての恋だった。

 初めて心の底から自分以外の人間に渡したく無いと思える、欲望だった。

「ま、待って下さい!その、私の何がダメなんですか?言ってくれるのなら、直しますから!」

「……私を好きになったから淡白な人生から変わったんじゃなくて、何かを渇望するような人生が欲しくて私を好きになったんだと、思います。その、だから……」

 だから、因果が逆、だと言いたいのだろうか。

 誰かを好きになって私は変わったんじゃ無い。変わりたくて誰かのことを好きになったのだ、と綾部さんは指摘する。

 そんなことは無い、と否定するべきだった。

 だが、彼女の鋭い言葉は、私は容易く閉口させる。図星だった訳じゃ無い、それは綾部さんの勘違いだ、と心の中では否定できる。

 それを言葉にすることが出来なかったのは、きっとそう見られてしまった自身の迂闊さを後悔してしまったからだ。


 変わりたい訳じゃ無い。

 満たされたい訳じゃ無い。

 ただ、私という人間を肯定して欲しいだけなんだ。

 渇望しても、熱望しても。

 それでも叶えられることは無い。

 そういう普通の人間だということを、認めて欲しかった。


 ああ。

 そうか。

 私は、好きな人に否定される事を。



 望んでいたのかもしれない。

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