長尾蘭 第七話 踏み込んだその先に ①

 音楽も漫画も、大雑把に一括りにするのなら、それは芸術という分野に属する。

 私は芸術にしようと表現し、彼女は表現しようと芸術にする。

 結果的には変わりはないのだが、その二つに大きな違いがある。

 意識の差、というやつだろうか。もし、私の両親が事業か何かに失敗してヴァイオリンなんて続けられない様な経済状況になったのなら、きっと私は諦められる。

 でも、彼女は。綾部さんは。

 泥水を啜ってでも、どんなにドン底に落ちようとも。

 選んだ道を愚直に進み続けるのだろう。

 それは覚悟だとか、真剣さとか、そういう能動的なものじゃない。

 半ばもう一人の自分に脅迫されるように、その道の上にいることを後悔しながらも突き進む、信念のようなものだ。

 そういう必死さが、私には無かった。

 それに憧れたし、惹かれもした。


 だから。

 私は、その信念が欲しかった。



 学園祭が近づくと、辺りは当たり前のようにお祭りムードが蔓延していた。しばしの間、部活と時短練習となり、加えてあまり真剣じゃないところは準備期間はまるまる休みになってたりする。

 そうして出来た放課後の時間は学園祭の準備に充てられた。

 元々部活動をしていない私からすると、帰宅時間が少々遅くなった程度の変化しか無いが、それでも、それなりに楽しい時間ではあった。

 もう十月も半ばである。

 来週には学園祭があって、同時に11月になってしまう。今年も、もう終わりだ。

 振り返ってみると、私は愚鈍なまでに何も為していない。

 何も変わっていない。

 私の周囲は少しばかり変化があったようだ。米倉さんは何処か元気が無いし、東堂さんも時折表情に翳りが見える。

 何かあった、と訊く勇気もない。彼女達には彼女達の事情があり、そこに踏み込む資格があるのかどうかすら、私には分からないからだ。

「もうすっかり、寒いですね」

 そんな雰囲気が苦手なのか、最近は綾部さんから私の方に来ることが多い。仲の良い東堂さんも最近は元気が無いようだし、鷺谷さんが居なければ、私の方に来る。

 体育終わりに、何か温かい物を飲もうと自動販売機へ行く。その途上で、綾部さんは何か話題を探るように言う。

「ついこの間まで暑かったのに、本当に急に寒くなったよね」

「今年は秋が無いみたいですね」

 と、近所のおばさん達とそう変わりの無い話題で季節の移り目を実感しながら教室へ戻る。

 乾いた風の中で、綾部さんのどこか空元気な態度に気付くことは無かった。

 今にして思えば、まだ彼女は、この間の件を引きずっていたに違いない。そんな簡単なことすら、私は気付かなかったのだ。


 体育終わりの眠気と闘いながら、何とか午後の授業を全て終えると、美涼が音頭をとって学園祭の準備の時間になった。

 とは言っても、たこ焼きを焼くための資材はほとんどレンタルなので、やることと言えばクラスTシャツのデザイン決めとか、設置屋台の組み立てとかなので、学園祭前日でも無ければやることは無い。

 それでも何もせずに帰宅、というのはお祭りムードが許してくれず、何となく教室に残って雑談をしながら過ごしていると、綾部さんと東堂さんの姿が無いことに気づく。

「ね、鷺谷さん、東堂さんは?」

「うん?あれ、居ないね。知佳ったらどこ行ったんだろ」

 と、鷺谷さんは少し不機嫌そうに唇を尖らせた。

 そんな様子に苦笑しながら教室を見渡すと、あまりやる事もないのでチラホラとクラスメイト達が帰宅し始めている。

 あの二人も帰宅してしまったのだろうかと、鞄を背負って私も下校する準備を始める。

 今でも教室に残っているのは祭りの熱に当てられてやる事もないのに何となく居座っている生徒のみだ。

 私の後ろを鷺谷さんが付いてくる。どうやら彼女も帰ることを選択したようで、何も言わずに自然と二人で下校することになった。

「ねぇ、蘭ちゃん。最近どう?」

 と、鷺谷さんはスマホを弄りながら不意に何と返せば良いのか分からない質問を投げる。

 何と答えれば良いのか分からず、苦笑していると、少しだけ低い彼女は私を見上げる。

 角度のせいかも知れないけど、鷺谷さんの視線を鋭く感じた。

「純香はさ」

 と、脈絡もなく綾部さんの名前を出す。

 もしかしたら鷺谷さんは、私の気持ちを知っているのかもしれない。自意識過剰かもしれないが、身構えてしまう自分がいるのは確かだった。

「見ていて辛くなる位に、優しい子なんだ」

「辛くなる……」

「そう。私は予備校が一緒だっただけなんだけどさ、当時は、何でわざわざこんな遠い予備校に通ってるんだろうって、思ってた。でもすぐに分かったよ、純香は中学であんまり良い人間関係が築けていないことに」

「……」

 責めているのだろうか。

 何故同じ学校にいたのに彼女を助けなかったのか、ということを。なぜその勇気がなかったのか、ということを。

「純香には、夢があるんだよ。危ういのはさ、純香の優しさが自分の夢の邪魔になっちゃうんじゃないか、って思っちゃうんだ」

「夢……漫画家になること、ですか?」

「んー、まぁ、それだけじゃないけど。どちらにしてもさ、純香の夢は生半可な努力じゃ掴み取れないものなんだよ。純香は、それを叶えるために、色んなことを切り捨てようとしてる。でもさ、優しいから、多分いつか、限界が来ちゃう」

「ええと…。鷺谷さん、私に何を言いたいのか……」

 鷺谷さんの突然の言葉に戸惑っていると、数歩歩きを早めて鷺谷さんは私の前に出た。

 そこは私と鷺谷さんの帰路の別れ道。バス停に向かうか、駅に向かうか、の別れ道。

 そこで鷺谷さんは振り返っていう。


「純香の夢は純香のものだよ。それを邪魔するんなら、私が許さないから」


 忠告だろうか。

 それとも警告なのだろうか。

 私は綾部さんの夢の邪魔なんて、する気はない。

 と、そう反発したい反骨精神のようなものが湧き上がる。

 でも、私の言葉を待たずに鷺谷さんは付け足すように、そして自慢するように言った。


「だって、純香は。私の親友だから」


 その言葉が私の何かを焚き付けた。

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