東堂知佳 第七話 こんな夜なら ①

 繰り返していく。

 単調な動きを、単純な思考に染められて、何度も何度も。

 繰り返す度に、新鮮な気持ちになる。鮮明な程に、視界が開けて、眩しい程に、視野が狭くなっていく。

 寒さの中にあって、熱を感じる。それすら、まだ温く感じる。

 もう少し先を求め過ぎて、たった数秒過去のことすら忘却してしまう。

 最奥なんかありはしないのに、それでも概念的にも現実的にも、深みを求める。

 要するに、刹那的だった。

 永遠に思える長さの夜に、何百、何千という刹那を、お互いに積み木の如く積み重ねていく。


 こんな夜なら、私は少しだけ。

 ほんの少しだけ。

 朝日が来なければいいのに、と。心の何処かで思ってしまった。



 夏は嫌いだ。

 そう思うのは、もはや衝動的では無くて、そういう生まれついての苦手意識があるのだと思っていた。

 だが、そうでもないらしいと気付いたのは、今年の夏休みは隣に鷺谷が居たからだった。

 どうやら、私は夏のことを本能的に嫌っている訳ではないらしい。

 春先とは異なり、暑くなるにつれて活動的になってきた鷺谷に誘われて多くの場所へ遊びにいく度に、口では暑いと文句を言いながらも、何処か楽しんでいる自分がいた。

 汗と共に、私の嫌な過去が流れていく。

 鷺谷はやはり詐欺師だ。いつの間にか、あれだけ囚われていた様々なことを、過去のことだと割り切らせてしまう。

 騙されている、絆されている、そういう思い違いをさせている。

 頭ではそう分かっていても、彼女の見せる多くの手品の様な詐欺に私は誘われてその術中にはまり込む。

 多くのことから逃げたとして、それはそれで問題ない。

 多くのことに対して復讐を企てたところで、それが成し遂げられなかったとしても、愉快に暮らせばそれだけで勝ちだと。

 そんな甘い言葉を囁かれている気分になる。

 過去の罪なんか、忘れてしまえ。

 どうせ償う術がないのなら、足掻く必要もない。

 貴女に酷いことをした家族のことなんか忘れてしまえ。

 何もかも忘れて幸せに生きることが、どんな復讐よりも意趣返しになる。


 そう言って、鷺谷は笑う。

 現実に、そんな言葉は口にしていない。だが、彼女に触れる度に、そういう言葉を受け取っている気がしていた。


 夏休みもあと少しで終わる。

 今年の夏休みは、バイトに遊びに——それから恋に。充実していた。

 本当に、今までの私らしくない、そんな一夏だった。


 ◇

「知佳、今日どこ行く?」

 鷺谷は、いつもの様に私の家に来るなり、そんなことを言う。

 買い物なりバイトなりで家にいなかったらどうするつもりなんだろうか、と思う。

 鷺谷はいつも突然に連絡無しに訪れる。

 気まぐれさが彼女の行動原理の多くの部分を担っているようで、雨の日は大抵来なかったりする。

 かと思えば、夜に突然訪っては夕飯を強請ったりする。

 まるで猫の様だと、苦笑しながらも、何となく鷺谷が来る予感のしていた私はアイスコーヒーを注いで彼女に差し出す。

「外、暑かったでしょ?」

「昨日よりはね。それより知佳、純香の様子は?」

 そういえば、昨日メッセージのやり取りの中で綾部がだいぶ気落ちしていたということを伝えたことを思い出した。

 同じ高校生とは思えないくらいに、自分の夢に向かって純粋過ぎるほどの情熱さを持って努力していた綾部だったが、この世に星の数程転がっている理不尽の小石に彼女は躓いてしまった。

(努力不足での挫折や失敗——っていうのは、多分数え切れないほど経験してきたのだろうけど)

 不運や不幸と表現しても尚、慰めにすらならない理不尽さ故の挫折は初めてだったのだろう。

「あんなことで、諦めて欲しくないわね」

「……やっぱ、知佳って優しいよね」

「揶揄わないでよ。それよりアンタの方から連絡は?」

「したけど、痩せ我慢してるね。やっぱり知佳の方が頼り甲斐があるからかな」

 思わず苦笑してしまう程、素直過ぎる。自分より付き合いの浅い私の方を頼ったという事実が面白くない様で、鷺谷は不満顔でチクリとそんな言葉を吐く。

「綾部、誘おうか。少しくらい気を紛らわせないと、あの子どんどん悪い方向に考えちゃうでしょ」

「ん、そうだね。じゃあ、呼び出してみようか」


 綾部を遊びに誘うと、二つ返事で了承した。

 どうにも、一人でいるより誰かと居たかったようで、僅かに声が弾んでいたのを、鷺谷のスマホ越しに聴いた。

 とはいえ、夏の昼下がりはなかなかに辛い。一刻も早く涼しい場所に避難したいと、綾部を待ちながら汗を拭う。

「すいませんお待たせしました」

「よーし、早速店に行こう!」

 どうやら涼みたいと思っていたのは鷺谷も同じようで、綾部が来るのを見るなり間髪入れずに歩き出す。

 兎に角、取り敢えず喫茶店で一息入れようという考えのようで、鷺谷の足は近い喫茶店の方へと向かっていた。


「鷺谷さん、東堂さんから私の話、聞いた?」

「うん、何となくはね。ほんと、腹立つよね。純香は文句言わなかったの?」

「ううん……仕方ないからさ。でも……何か虚しくなって」

 あまり弱音を吐かないイメージだった綾部がここまで弱っているとなると、相当重症だ。

 鷺谷と私は目を合わせて、どうしたものか、と交わし合う。

「少し位休んだって誰も何も言わないよ。純香、今日はパーっと遊ぼう」

「あはは……。分かった。今日だけは、二人に甘えちゃうね」

 力無く笑う綾部を見て、もどかしい思いにはなるが、取り敢えず笑うだけの気力はあってよかったと、ホッとする。

 今まで、私は自儘に過ごしてきた。

 だから、誰かを慰めるとか元気にするような術を知らない。

 そういう点では、鷺谷に助けられた気分だ。

 なんだかんだいって、鷺谷は誰よりも人のことを気にかけているから。


 鷺谷は私のことを優しい人間だと言うけど。

 誰よりも優しい人間は、鷺谷の方じゃないか、と。

 綾部を元気付けようと、あれこれ話しを続ける彼女を眺めながら、そんな事を思って笑った。

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