長尾蘭 第六話 哀哭 ②

 子供っぽい、と思われるかも知れないが。

 高校生になったな、大人に一歩近づいたな、と思うタイミングは多くあるが、私個人が一番それを強く感じるのは、友人と晩御飯に行く時だ。

 中学の頃は親も煩く、友人と夜に外食するなんてそれこそ一大イベントのようなものだった。

 それが、軽く親に一報を入れるだけで、特に強く咎められることは無くなった。

 年齢を重ねて、親からの信頼を勝ち得た、と思うと同時に、それを当たり前の権利として行使出来るほど、私自身成長を実感出来ていないという奇妙な感覚が底にあった。

 自動的に、年は重なっていく。

 だが、成長とは自発的でなければいけない。

 それを当たり前だと思えない程度には、私は私の成長を信じていなかった。

 ほら、また私は、過去と同じ過ちを繰り返そうとしてる。

 なんら、成長なんてしちゃいなかった。


 心地よい満腹感は、そのまま帰宅するという選択肢を奪っていた。

 何処かに座って、ゆっくりとしたい気分になった私達は、夜風の涼しい公園のベンチに腰掛けていた。

 頼り無い街灯の灯りに照らされた公園のベンチは、切れかかった電球の明滅に晒されて公園の中でも妙に存在感を放っていた。

 コンクールや旅行で東京に何度も足を運んだことのある私は、今更ながらLED化されていない電灯を見て、この街の田舎っぷりを感じていた。

「……食べ過ぎましたね」

 苦笑しながら綾部さんは言う。口直しに自動販売機で購入したウーロン茶を小さな口に含みながら、彼女は静かに息を吐いた。

 少食のイメージだったが、彼女は殊の外、しゃぶしゃぶを胃袋に収めていた。

 とはいえ、それはイメージの話で、実際は高校生男子ならペロリと食べてしまえる量程度ではあったが。

「このあと、どうしましょうか」

 続けて綾部さんは言う。

 もう8時過ぎだ。何となく、綾部さんは夜遊びをしない印象ではあった。だというのに、当たり前にそんなことを言う。

 まだ帰りたくないのだろうか、と邪推する。今の私には門限はないとはいえ、流石にこれから何かをするとなると、それなりに親に説明が必要になる。

 何で答えようか、と考えあぐねていると、綾部さんのスマホが僅かに鳴った。

 彼女らしい控えめな音量の着信音だ。

「あ、東堂さん、バイト終わったみたいです」

「え?東堂さんも誘ってたの?」

「はい。バイト後なら合流できるって言っていたので」

 となると、初めから夜遊びする気があったということか。

 一瞬、親のことが頭に浮かんだが、それ以上に綾部さんともっと一緒にいたいという気持ちが沸いていた。

 少し遅くなる、という旨のメッセージを手早く親に送る。もしかしたら、友達の家に泊まるかも、と。

 怒られるかな、と、思いもしたが、どうやら夏休みということもあり、以外に二つ返事で了承された。

 取り敢えず、東堂さんを待つということで、私達は適当な話題で時間を過ごすことにした。



「暑い」

 額に汗の玉を作りながら、東堂さんは公園に着くなり不機嫌そうに呟いた。

「あ、ごめんなさい、こんな時間に」

「別に私は一人暮らしだからいいのよ。それよりアンタ達は?親から怒られるんじゃないの?」

「それは、大丈夫です。綾部さんは?」

「私も言ってきましたから」

「ふぅん……。結構放任主義なのね。ま、いいわ、それより綾部、なんかあったの?」

「え?……私、ですか?」

「顔見りゃ分かるわよ。慰めて欲しい、って顔に書いてあるわ。だから、こんな時間でも帰りたくないんでしょ?」

 改めて綾部さんの顔を見る。

 今日一日観ていたはずなのに、そんなことが分からなかった。それをさも当たり前のように指摘する東堂さんは、得意気な様子すら無く、それどころか何処か苦笑するように、綾部さんを観ていた。

「…あはは、やっぱり、隠し事出来ないですね」

「……それに、アンタ今週いっぱいは仕事で忙しいんでしょ?それなのに、こんな夜に誘うんだから、誰だって何かあったなって思うわよ。ね、凪尾さん」

「……ええと、あの」

 まるで、微塵も気付かなかった私を責めているようだ。

 それは被害妄想だと分かっている、だが、あまりにも惨めだ。ここまで私は自分勝手な人間だったのかと、改めて思い知らされる。

 単純すぎる。幼稚すぎる。

「あ……、あの。私、駄目でした……。詩乃ちゃんにも、東堂さんにも沢山手伝って貰ったのに……。駄目だったんです」

「何があったの?」

「連載、決まったって言ったじゃないですか……。でも、他誌で人気だった作家さんの移籍が決まって、私の連載、流れちゃったんです」

「……やり切れないわね、それは」

 入り込めない、と思ってしまった。

 優しく問い掛ける東堂さんと、頼りきりになって心情を吐露する綾部さんの間に。

 それが悔しくて、妬ましくて。

 今にも泣きそうな綾部さんを観て、そんなことを考えてしまう自分が、本当に嫌で。

 どこまで自分本位なんだ、と。責め立てて欲しいくらいだった。

 東堂さんが、涙を目に溜めた綾部さんの頭を撫でると、堰を切ったように、綾部さんの感情が流れ出た。


 慟哭。哀叫。或いは単純に、悲哀。

 作曲者の意図に乗っかって表現する私のヴァイオリンとは違う。

 純粋さ、リアルさ。真剣さとか、狂おしさ。

 模倣では決して表現できない生の感情。もしかしたら、一流と呼ばれる人々は、それを表現できるのかも知れない。

 だけど私には遠く及ばない技術だ。

 私には一生かかっても表現のできない、会得のできない技術である。

 何故なら、そんな感情の洪水を、体験したことなど、ないのだから。

 そして同時に、それは私にとってヴァイオリンを極めるために必要な素養の一つなのだとも、遠い昔から理解していた。


 二人が酷く遠くに感じる。

 これは、私には関与出来ない世界なのだと。幸福に包まれた人間には到達出来ない世界なのだと、拒否されている。

 初めて意識した時も、綾部さんは涙で瞳を濡らしていた。

 その時、私は彼女に一目惚れした。人が人に惹かれる要因は、自分に無いものを持っているからだ。そういう風に、生物は出来ている。

 だから、私には無い物を持っている彼女が羨ましかった。

 そうやって、本気で泣ける綾部さんが羨ましくて、好きだった。


 改めて、私は酷い人間だと、思ってしまう。

 何故なら、悲しみに暮れて、泣き叫ぶ彼女を観て、やっぱり私は綾部さんが好きなのだと、再確認出来てしまったからだ。

 それでも、やはり。

 あの日と同じで、私は彼女を慰める術など、一つも持っていなかった。

 やはり私は、成長なんてひとつもしていないようだ。

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