米倉柚 第六話 ほんの少しの勇気 ①
拘泥する気持ちを、そのまま真っ直ぐ受け止めるべきだと。
佐々木君は言う。
どんなに自分が自分を許せなくても、非難しても。
どうしようもなく望んでしまうのなら、それを素直に認めて、欲求のままに動いて仕舞えば良いと。
そう優しく告げる。
「——でも、それは。自分勝手過ぎる、って思うんだよね」
一葉という一人の女性を好きだという気持ちは確かにある。
だが、この気持ちは十中八九、彼女にとっては迷惑な物だ。これまで純粋な友情しかなかった二人の間に、不純物が混ざってしまう。
「一葉がそれを否定してしまうと、私達は以前までの関係には戻れないよ」
お互いにそれを意識しない様にしても、やっぱり何処かでその事実が顕れてしまう。
過去は無かったことに出来ない。でも、気持ちは告げさえしなければ、無かったことにできるのだ。
「だからさ、一葉のことを好きだっていう気持ちは勿論あるよ。でも、それ以上に、怖いんだ」
変わっていくことが怖い。
変わらないままだったら、もっと怖い。
勇気を振り絞って、私に告白してくれた佐々木君にこんな事を言うのは、あまりに愚かな様な気もするけど。
「……じゃあ、このまま湯井さんが他に人と付き合っても、我慢出来る?」
と、佐々木君はアイスコーヒーを飲みながら、諭す様に言う。
彼は是非私の恋を応援したいと言った。曰く、好きな人が哀しむところを見たくないから、とのことだ。
まるで聖人のような考え方だ。
そんな彼が、そう訊くのだ。私は逆に問いてみたい。
君は私が一葉と上手くいくところを間近で見て、我慢出来るのか、と。
一見矛盾するような問いかけだが、その根底にあるのは、私の汚い心と彼の崇高な心の違いだけだろう。
だから、それを問うところで、私が惨めになるだけなので訊かなかった。
代わりに、下手くそな笑顔を浮かべる。
「多分、諦めちゃうかも」
人間関係とはそういうものなのだと。まるで世の中を分かった利口者のフリをして、諦めの心を慰める。
嫌になるくらい、そんな未来が鮮明に思い浮かべる。
「諦めて、泣いて、その先に米倉さんにとっての幸せがあるならさ、俺は別に良いんだけど。でも、そうは思えないんだよね」
「……?」
「俺、米倉さんのこと、本気で好きだった。米倉さんも、湯井さんのこと本気で好きだろ?」
まるでなんて事ない様に、佐々木君は言う。彼にとって、告白が不成功に終わった事実はまだ最近の話で傷は癒えていない筈だ。
だと言うのに、無理して、私に気を利かせて、平気な顔してそんな放言をする彼は、むしろ痛々しく見えてしまう。
「だからこそ、って訳じゃないけど。俺、米倉さんに告白出来て、すげえスッキリしてるんだよ。多分、ビビって告白すら出来なかったら、一生後悔してたと思う。分かるんだよ、本気で好きならさ、仮にダメだったとしても告白して気持ちを伝えなきゃ、気持ちに整理がつけない」
「当たって砕けろ……ってこと?まぁ、それもいいか」
一葉に気持ちを伝えて、駄目だったとして。
気持ちを伝えられないまま、一緒にいるよりも、彼女に拒絶されてしまう方が、幾許かは楽なのかもしれない。
「いやいや、そういう後ろ向きな考え方じゃなくてさ」
「えーっと」
「湯井さんに意識してもらえる様に、今から頑張ってアプローチするんだよ。今はまだ友達としてしか見られてないのかもしれないけど、さ。そこを変えていこうよ」
まるで普通の異性に対してアピールする様に、動けというのか。
(……そんな発想、無かったなぁ)
これは普通の恋じゃないと。初めから許される様な恋心じゃないと。
決めつけていたのは、私だった。私しかいなかった。
まるでそんな事を言われているみたいだ。
「ふふふっ……。佐々木君って、ポジティブだよね」
「ま、それくらいが取り柄だからね」
謙遜する様に彼は言うと、スマホを取り出す。
「取り敢えず、作戦を練ろうぜ。これから米倉さんがどういう風にアプローチするべきか、をさ」
「そうだね。少しくらいは、ポジティブに生きるべきなのかもね」
私は後ろ向きな考え方を反省して、佐々木君の純朴な表情に身を委ねることにした。
『同性 アプローチ方法』、『友達に意識される方法』——そんな感じの検索を二人でかけてみて、スマホのメモに有効そうな方法をまとめていく。
存外、二人でガヤガヤしながら作戦を練るのは楽しい時間だった。
(一葉への気持ちと向き合う時間っていうのは、もっと——)
暗い物だと、陰鬱な物だと。
そう思っていた。
それがどうだろうか、佐々木君が私の気持ちの仲介に入るだけで、こんなにも楽しい。
(もしかしたら)
本当に、一葉と出会えていなければ、私は彼に惚れていたのかもしれないな。
そんな事を思わずにいられなかった。
「で、取り敢えず分かったことと言えば」
時間にして二時間ほどだろうか。二人してスマホを眺めながらアレコレと話し合っていたので、スマホの充電が危うくなり始めた頃に、佐々木君がまとめる様に言う。
「うん」
「相手に意識させる為には、曖昧な言葉とか態度は駄目ってことだ」
「あー書いてあったね、『私はあなたを意識してます』って分かる様な言動をするって」
どこかの個人ブログに書いてあった記述だ。確かその人は心理学だかメンタリストだか分からないが、そういう方面の専門家だった気がする。
「今度二人で出かける時にさ、普段言わない事を言えば良いんじゃない?」
「それって?」
「うーん、例えばそうだなぁ……。服を褒めるとか、思い切って手を繋いでみるとか?」
「うーん、それ結構女子同士なら普通だよ?」
「まじで?えー、じゃあどうするか」
と言ったところで、SNSのアプリが何かを通知する。
どうやら美涼が何か写真をアップしたらしい。
半ば反射的にその写真を見ると、どうやら放課後に何人かであんみつを食べに行ったらしい。
何となくその写真にイイねをつけながら、ふと思う。
「取り敢えず、一回一葉と二人きりで遊んでみるよ」
考えてみれば、最近一葉を避けていた所為で会話すらままならなかった。
であるなら、今二人で出かけるという行為自体が、普段とは逸脱したものになる。
そこで上手く、一葉にアプローチでも出来れば、それが1番良い気がする。
佐々木君もあれこれ悩んだ挙句の結論にしては普通過ぎる私の答えに頷いた。
「そうだね、それが一番いいのかも」
「じゃあ帰ったら、伝えてみる。家、隣だしさ」
「頑張って、米倉さん」
頑張って。
そんな言葉を、これまでの人生で幾度となくかけられてきた。
受験だったり、体育祭だったり、あるいはもっとくだらないことだったり。
それでも、佐々木君の言葉は、それまでのどんな応援よりも一番強いものだった。
だから、私も力強く頷く。
私も佐々木君の様に強くあれたら。
そんな祈りを浮かべて、私は一葉の家へと向かった。
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