東堂知佳 第六話 変わらぬ君に祝福を ②


 昔は純粋だった。

 そう言い訳するつもりはない。

 今にして振り返ると、姉妹仲が良かった頃から私にはいじめっ子の素質はあった。

 だが、それをイジメだと認識してもなお悪意の刃を振り続けていたのは、明らかに妹が両親のお気に入りとなり、対照的に私が妹と比較されることに辛くなり素っ気なくなった頃だろう。

 オーディションに彼女が合格してから、ゴールデンタイムのドラマに出て脚光を浴びるまでの二年間かそこらの期間はまだそれなりに仲が良かったと思っている。

 勝ち気な私は、どこか引っ込み思案の妹を守らなければと躍起になっていたのかもしれない。

 そんな期間の間に、妹の香苗と仲の良かった子役仲間に秋山詩乃がいた。


 知佳ねぇ、知佳ねぇ。

 と、私の事も慕ってくれたことは覚えている。

 香苗が撮影の為に家を空けている時も、電車を幾つか乗り継いで私の家に遊びに来た事もあった。



 その、秋山詩乃が。

 いや、今は鷺谷詩乃が。

 私の目の前にいる。私は勝手に香苗と同い年と思っていたが、まさか同い年だったとは思わなかった。

 それ以上に、あれだけ元気の塊みたいな子が、ここまで無気力な人間になっている事も驚いた。

「もしかして、本当に分からなかったの?あはは、酷いなぁ、知佳姉さんは」

 身体を擦り寄せる様に彼女は私の背中に手を回す。

 彼女の家の洗剤はラベンダーの香りがするのだろう。そんな馬鹿な感想すら浮かんでしまうほどの距離だ。

「アンタ……東京に住んでたんじゃ?」

「香苗ちゃんから聞いてない?私、子役を辞めて引っ越したんだよ?」

「……香苗とはもう何年も話してないわよ」

「うん。なんとなくそんな気はしてた。本当に、知佳姉さんが、私の知る人かどうか確かめる為に、一緒に映画行った時に、ね」

 そうか。わざわざゴールデンウィークに映画を見に行きたがったのは、その為なのか。

「直接訊けば良かったのに」

「同姓同名の別人だと思うでしょ?普通。まさか、子供の頃好きだった人が高校で隣の席にいるなんて、思わないよ」

「好きだったって……」

 子供ながらの感覚をこの歳になって口にされると気恥ずかしい。

 臆面も無く子供の頃の感情をそのまま言葉に出来る鷺谷はやっぱり少し変わっている。

「しかも、こんなに捻くれちゃってさ。昔はカッコいいお姉ちゃんだったのにね」

「色々あったのよ、色々ね」

「大丈夫、これからは私が知佳姉さんを守るから」

 回した腕の力が強くなった気がした。

 脈絡の得ない言葉に、私は苦笑する。

 いや、したつもりだった。

 だが、心は、本能は。

 そんな達観的な脳内の所作を無視して、鷺谷の腕に縋り付く。

 不意に、いつかの湯井の言葉が思い出される。

 曰く、私は鷺谷に対して何かを期待しているらしい、と。

(そうか、私が鷺谷に期待していたことって——)

 私を守って欲しい。私を信頼して欲しい。

 親からも自分からも愛されない私を、救って欲しい。

 だから、鷺谷の面倒をあれこれ見ていたのだろう。

 だから、鷺谷の言葉を無責任に訝しむことすらしなかったのだろう。

(私って……)

 相変わらず最低な人間だ。

 結局、自分の期待の裏返しを彼女に押し付けていた。

 それでも、鷺谷は私を守ると言ってくれている。

 私の心の弱い部分がずっと欲しがっていた言葉だ。それを一笑するなんて、土台無理な話だったのだ。


「……本当に?」

「信用ないなー、ま、無理もないか」

 と、彼女は笑う。

 鷺谷自身、自分が怠惰な人間であることを理解しているのだろう。

 眠た気な瞳は、その奥に僅かな妖艶さを秘めている。

「これで、信用してもらえるかな」

 と、鷺谷は顔を近づけた。

 唇が重なる。先程まで彼女が飲んでいたコーヒーの味が広がる。

 唇が重なる瞬間、私はそういう関係を鷺谷に求めていなかった。だから、拒絶するものだと、どこか他人事のように思っていた。

 だが、自分自身の感情ほど御し難いものは無く。

 私は彼女の唇を受け入れてしまった。


 長い、時間だった。

 もしかしたら、長く思うだけで数秒も経っていないのかもしれない。

 鷺谷が唇を離すと、私と彼女の間にはどちらの物とも分からない唾液が糸を引いていた。

「好きだよ、知佳姉さんのこと」

「……まさか本当に、そういう好きだったとはね」

 そんな事を言うと、鷺谷は悪戯が成功したような子供の笑みを浮かべる。

「ね、知佳姉さん。私はね、こう思うんだ」

 相変わらず顔は近いままだ。

 照れた様子も無く、普段と変わらない鷺谷は普段と変わらない口調で、口を開く。

「嫌な事なら、逃げちゃえばいいんだよ」

「……ま、アンタはそういう性格でしょうね」

「だからさ、知佳姉さんも、もう昔には拘らないでよ。あの映画館の時みたいな、辛そうな知佳姉さんは、見たくない」

 鷺谷はどこまで予想しているのだろうか。

 少なくとも、私にとって香苗の存在はタブーでありトラウマそのものである事位は、何となく予想はついているのだろう。


「……そうね、それが一番、楽なんだろうけど」


 だが、それが出来ているのなら、私は多分ここに来るまでもなく、屈折した感情を心の中で飼い殺しながら今も実家にいたのだろう。

 それは、これまで犯した罪を肯定してしまう位に、受け入れ難いことだった。

 それは、両親に愛されず、ただ何者にもなれず、世の中に居ても居なくても変わりのない無易な存在と変わらないからだ。幸福とは程遠い、負け犬そのものだ。

 勝ち気な私は、負けず嫌いな私は。

 そういう現実を受け入れられずに、抗う。その手段が間違いでも、過ちでも。

 それでも抗わずにいられない性格なんだ。


「でも、逃げ続けるのって、性格に合わないのよね」

「……知佳姉さんらしいよ」


 鷺谷は笑う。

 相変わらず眠た気な瞳のままで、私を見据えて。

 この日、私と鷺谷の関係は少しだけ変わった。

 それを恋人と呼ぶのに、躊躇がいるのだけど、それでも他に表現することの出来ないような。

 そんな、不思議な関係に変わっていた。

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