東堂知佳 第六話 変わらぬ君に祝福を ①

 季節が過ぎるのは早い。と思うのは、それだけ日々が充実しているということの証左なのだろうか。

 それとも、何かをしなくてはという焦燥が日々を早めているのだろうか。

 多分そのどちらの要因も当てはまる。

 私には手に入らないと思っていた、打算のない付き合いの友人との日々は、それなりに充実していて。

 それを当たり前の様に享受している自身の節操の無さに辟易しながらも、このまま時間が過ぎ去っていくことを恐れている自分がいて。

 変わっていけない部分は変わってしまい、変わらなくてはならない部分は変わらずに。

 湯井はそれが生きるということなのだと、説明していた。同時に、変わらない部分は、一生変わらない物なのだとも言った。

 一見、妥協と諦観にも見える彼女の生き方は、正直言って羨ましい。

 だけど、それ以上に。

 私は鷺谷の生き方の方が気になって仕方がなかった。


 制服が夏服になって一週間。

 うんざりする様な梅雨の時期を超えて、手に入った物と言えば、湯井との友情くらいだろうか。今ではすっかり鷺谷の世話係なんていう不名誉な役割も薄れ、代わりに米倉から湯井の親友という立場を奪ってしまった様な気がする。

 六月から始めたバイトもそれなりに仕事を分かってきて、個人的にはここでの生活が安定してきたな、と思っていた時期でもある。

 それは精神的な意味も含まれているが。

「知佳」

「うん?」

 とはいっても、特段鷺谷と仲違いした訳ではない。教室で話すこともあるし、なんとなく一つのグループになってしまったゴールデンウィークで遊んだメンバーで出掛ける時もある。

 ただ何となく。

 あの日、鷺谷の前で泣き出してしまったことは話題に出さなかった。

 互いに、あの日のことを忘れてしまった様に、口に出すことはない。

 そんな関係になった鷺谷が、珍しく私の席までトコトコ歩いてくる。

 休み時間に自席から立つのだけでも珍しい。午前中は殆ど寝入っているし。

「今日、知佳の家行っていい?」

「——別に構わないけど、どうしたの急に」

 以前までだったら私に了承すら取らずに着いてきて上がり込んできたのだが。

 互いの距離感が僅かに開いた事実に、少しだけ寂寥感が訪れる。

(そうか)

 一時的とは言え、彼女は立派な私にとっての仲の良い友人だったのか。

 それを思うと、鷺谷と過ごす時間を懐かしく思う。

 まだ二ヶ月も経ってないのだけど。

「知佳のご飯、久しぶりに食べたくなって」

「……あはは。何その理由」

「……知佳は明るくなったね」

「それなりに楽しんでるからね、今の生活を」

「……そう」

 薄く鷺谷は笑うと、そのまま席に戻る。

 その背中を見送ると、視界の端で湯井と米倉が話しているのを見かける。恐らく、米倉に彼氏が出来たというのが専らの噂だが、その噂が出た頃からだろうか。

 あの二人の関係は以前の様な自然な物ではなくなっていた。今も、何処かぎこちない会話を重ねている。

 でもそれは、米倉が一方的に意識している様だ。

(湯井の奴、露骨に不機嫌そう)

 多分、そんな彼女の贄切らない態度が湯井には不満の種なのだろう。

 ま、幼馴染とはいえ高校生にもなればいつまでも仲良しこよしという訳にはいかないのだろう。

 そういうことの積み重ねが、時間を過ごすということなのだから。


 住み始めて三ヶ月以上経つ我が家は、それなりに物が増えてきた。

 特に湯井が私の家に持ち込んできた漫画雑誌や、ゲームセンターで撮ってきた知らないキャラクターのぬいぐるみが場所を持っている。

 そんな家に鷺谷を上げると、早速そのぬいぐるみをクッション代わりに寝転んだ。

「ご飯作るのはいいけど、夕飯まで時間あるわよ」

「……それまで何しようか」

「知ってると思うけど、ウチには何もないわよ。湯井の置いてった漫画ならあるけど」

「……最近、一葉ちゃんと仲良いよね」

「気が合うのよ。考え方とか、そういうのが合うのかな?」

「最近明るくなったの、一葉ちゃんのお陰?」

「……どうだろ。分かんない」

「ね、知佳。我儘、言っていいかな」

「……なんかいつも我儘言ってる気がするけど……。で、何?」

 珍しい殊勝な彼女の態度に苦笑しながら、寝転んだ鷺谷の横に座る。左膝に鷺谷の頭頂部が当たり、視線を下げると彼女の顔がはっきりと見える位置だ。

 鷺谷は私の顔を見ながら静かに言った。

「甘えてもいい?」

「……はぁ?」

「香苗ちゃんのお姉さんだから、私、諦めてたんだよ。でも、その香苗ちゃんが知佳を捨てたんだから、いいよね?」

 妹の名前が出て来て、私の心臓が跳ねる。鷺谷は何を言っているのか。

 それを理解出来ずに、それでも何か言わなければと口をパクパクさせる。言葉が出てこない。

 忘れ去ろうとした忌まわしい名前だ。

 私を歪ませた人間の名前だ。

 それが鷺谷の口から出ること自体、おかしな話だ。

「最初、久しぶりに会った時、全然気づかなかったよ。すっかり雰囲気変わってたから。でも、やっぱり全然変わってなかった。知佳は私の大好きなお姉ちゃんだよ」

「アンタ……何言ってんのよ……」

「だから宣戦布告した。香苗ちゃんに。貴方のお姉さんは、私が貰うからって。だから、知佳、私のものになって」

 微動だにしない鷺谷の視線に貫かれて、私の身体まで動きを止めたみたいだった。

「ね、知佳。ううん、知佳姉さん。私のこと忘れても、私は知佳姉さんのこと、忘れてなかったよ」

 知佳姉さん——。

 幼い頃の香苗すら、そんな呼び方はしなかった。だというのに、何故懐かしさを感じるのか。

 幼稚園の頃に仲の良かった名前の思い出せない友達、或いは一度しか会ったことのない親戚。

 ぼんやりと想い出せるが、霧がかかったように輪郭しか思い出せない人々の影の中に、その名前が結びついて徐々に記憶が受肉されていく。

 ああ、そうか。


 思い出した。


 鷺谷詩乃は。

 秋山詩乃は。

 確かに過去会ったことのある人間だ。



 ◇

 姉妹仲というのは、良かったと思う。

 少なくとも、香苗が子役として人気になるまでは香苗は私にベッタリだった。

 人前に出るのが苦手で、人見知りで。その癖、テレビで見るアイドルとか女優とかに憧れていた。

 そんな中、とある子供向け番組で子役オーディションがあるという番宣を見た香苗が珍しく我儘を言い出した。

 母は始め渋っていたが、そういうことを体験させるのもいいだろうということで、そのオーディションに連れて行ったはずだ。

 元々才能があったのか、それとも運が良かったのか。香苗はオーディションに合格して、毎週収録に参加することになった。

 だが、香苗は人見知りを全然克服出来ていなくて、収録の度に私がついていってあげた。

 そんなことを何回か繰り返し、いつしか香苗にも友人が出来た。


 そう、その子の名前が秋山詩乃。

 確か、そう言う名前だったはずだ——。

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