米倉柚 第五話 対比の代償 ②

 価値とは誰が決めるものなのだろうか。

 私はダイヤモンドにそんな高価な価値を認めないし、日々支払っているあらゆる物の中には、同様にその価値を疑わしく思う物も多くある。

 気持ちに価値はあるのだろうか、と。

 悔恨と憤怒と悲哀の中にあるヘドロの様な薄汚い気持ちの価値を改めて問う。

 誰かが好きだ、という気持ちは美しいものだ。本来、そうあるべきだ。

 だというのに、目の前の佐々木君が私に向けてくれている好意と、私が今しがた気づいた一葉への好意。

 言葉にすると何一つとして変わらない言葉であるにも関わらず、その価値が同一のものであるとは到底思えない。

 佐々木君の持つ好意は美しく、気高くて、慎ましやかだ。

 一方で私の好意は浅ましく、不義理で、厚かましい。

 少女漫画の様な美しい恋なんてものは、今更本気で望んでなんかいなかったけど。

 それでも、私の目の前に立ち塞がる現実という奴が、これ程までに現実的過ぎるとは——流石の私でも、思わず自嘲してしまう。


 眩しいモノを目にすると、目が眩む様に。

 力強い夏の太陽を睨み続けていると、その力に屈服するようにじんわりと涙が瞳を湿らすのと同じ様に。

 私にとって、佐々木君は眩しすぎた。

 だから、不意に涙が。

 そう、厚かましくも、まるで被害者の様な振りをして、私は彼の勇気を振り絞った告白の返事に汚い涙で答えた。

「……ゴメン、佐々木君」

 彼は私が泣いた理由を察することは出来なかった。当たり前だ、そんなことが出来てしまっていたら、彼は人の心を読むことが出来るのか、と不信感を持ってしまうところだ。

 だから、私の涙にオロオロとし始めた彼に安堵を覚えた。

「いや、その、米倉さん……!泣く程嫌だったら、ごめん!謝るよ」

「ううん……。佐々木君が悪いんじゃ無い。私が悪いの」

「……どっか、落ち着けるところ、行こっか」

 彼が私の手を引く。

 こんなにも優しい彼を、私はいま侮辱している。

 嗜虐的な趣味はないのだけど、私がこれから背負う罪とやらが大きければ大きほど、自身の慰めになるような気がして、そこには申し訳の気持ちすら浮沈する暇なく消え去りつつあった。


 ベンチのある公園、とは言っても、大きくは無く、昼間なら近所の子供数人が遊ぶ程度のものだろう。

 そういう公園に、私達は居た。

「正直言うとね、今日なんとなく、佐々木君から告白される様な、そんな気がしてたんだ」

「まぁ、その通りだから何も言えないけどさ」

 と、無理矢理明るく笑い飛ばす佐々木君は私の横に座ったままバスケ部らしい短めの頭髪を指先で弄りながら落ち着かない様子だった。

「私もね、佐々木君の事が好きなんだと思ってた。だから、今日のデートだって楽しみだったし、楽しかった。でも、気づいたんだよね」

「何に?」

「怒ってくれてもいいよ、何なら怒鳴りつけてくれてもいい。私、デート中に佐々木君をずっと誰かと比較してた」

 本来なら、それはとても失礼な告白だろう。いっそ、言わずに伏せて置いて欲しいとすら思うかもしれない。

 だが、自分のことしか考えられない私は自責の念に囚われた振りをして、彼を傷つけることを厭わない。

「そっか。米倉さん、そいつのこと好きなんだ」

「……うん」

 控えめに頷くと、彼は怒るでも悲しむでも無く。

 彼はまだ、私に気遣う様に反応する。

「マジかー。いやすっげぇ悔しいな。でも、米倉さんがそこまで好きってことは、メチャクチャいい奴なんだろうな」

「こんことをね、佐々木君とのデート中に気付いちゃったんだよ。最低だよね、私」

「……でもさ、俺としては結構嬉しいよ。適当な気持ちで付き合うよりはさ、そうやって思い悩んで、本気で向き合って欲しいから。俺のことを、本気で悩んでくれたんだろ?それは、嬉しい。本当に」

「本当、君っていい奴なんだね。私には、勿体無いよ」

 そればかりは、本当の気持ちだ。

 私のどこを好きになったんだろうか。一葉から自己評価が低い、とは良く言われるが、私からしてみれば、正当で真っ当な評価としか思えない。

「……米倉さんのさ、好きな奴って誰?俺の知ってる奴かな」

 ここのところ、バスケ部によく顔を出していたので、もしかしたら彼は同じバスケ部の誰かなのかと疑っているのかもしれない。

 本来なら、ここで濁すのが一番の得策だろう。

 だけど、私は誰かにこの気持ちを聞いて欲しかった。良く犯罪者が刑を終えた後に回顧録とか自伝とかを出版するが、そういう気持ちに近いのかも知れない。

 即ち、自己弁明と自己憐憫と、そして僅かな自己愛の塊の様な。

 そういう混ざり物の気持ち達だ。

「幼馴染のね、一葉が好きだって気付いたんだ。笑ってもいいよ、気持ち悪いって思ってもいい。私は、幼馴染の女の子を好きになったんだ。いや、ずっと好きだったことに、ようやく気付いた」

 私の予想外の答えに、佐々木君は一瞬固まった。その表情は、私に対して何か偏見だとか気持ち悪さを感じ取っている様なものでは無い。

 どちらかというと、何と答えれば私を傷付けずに済むだろうか、と思い悩んでいる慈愛が見て取れる。

「ええと……なんつーかさ、そういう人もいるってのは分かる。一葉さん……って、湯井さんだろ?何回か見たことある。めっちゃ可愛いよな。まぁ、なんて言うかさ、その気持ちは分かるよ」

「無理しなくていいよ。慰める言葉が浮かばないならさ。でも、佐々木君のそういうところ、私は好きだよ。本当に、一葉がいなかったら、私は君のこと好きになってたと思う」

「……そりゃ、勝ち目ないわな」

 そもそも土台が違い過ぎるのだ。佐々木君は、諦めるというよりも、何処か納得がいったように軽く笑う。

「だからさ、私は一生、恋人なんてものが出来ないんだと思う」

「……え?何で?」

 自嘲する様に言うと、彼は本気でそう思っているかの様に訊き返した。

「だって、同性愛だよ?それも、幼馴染に対して抱く様な気持ちじゃない。気持ち悪いものなんだよ、爪弾きにされるべきものなんだよ」

「いや、そんなことないだろ。ほら、ここ最近はそういうのに対して理解が深まってきてるって言うしさ、湯井さんの恋愛対象が異性だけとは限らないし」

 佐々木君はその場限りの慰めでも何でも無く、むしろ私を説き伏せるくらいの熱量で、そう告げる。

 果たしてそんな都合の良い事があるのだろうか。そんな疑問に首を捻る暇なく、彼は続けた。

「俺、応援するよ。米倉さんの恋を。俺、努力する余地があるのに諦めるのって、嫌なんだよね」

「……何で、そこまで」

「そりゃ、好きな人だからだよ。俺を振ったんだからさ、米倉さんには好きな人と結ばれて欲しい——こういう考えって、変かな?」

「変だよ……。おかしいよ……。でも、すごい嬉しい。本当に、私には勿体無いよ、君はさ」


 こんなに優しい彼の恋を終わらせて、私は自分の汚い恋心の為に彼の気持ちを踏み躙ろうとしている。

 卑怯者、と罵られる時がいつかは来るのだろうか。

 断罪される時は来るのだろうか。

 せめて、その時彼だけは、幸せであって欲しいと、純粋にそう思うのであった。

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