米倉柚 第五話 対比の代償 ①
少なくとも、私の中心は彼では無かった。だというのに、傍にいると安心するというのは、やはりどこかで彼に惹かれているという証明になり得るのだろうか。
私は親友に対して、嫉妬とも羨望ともとれる感情を抱いてしまっている。
彼女の親友だという、誇りのようなものと、同じ女性としての優劣の差という、妬みのようなものが、混ざり合っている。
その中にほんの少しだけ、いずれ親友は私の元を離れていってしまうという焦燥感が加わって、私は身に覚えのない影のようなものを心の中に飼い始めていた。
恐らく、それは思い付きではなかったのだろう。美涼もいるという安心さが、油断と愉悦を僅かに刺激していた。
「ねぇ、米倉さん。今度、映画行かない?」
何度目かのバスケ部の練習試合の見学の後、美涼と談笑していた私の元に佐々木君がおずおずと近づき徐にそんな言葉を伝えた。
誘い、とうよりもそういう一つの意味を持たない言葉のようだ。どうにも彼なりに緊張していたようで、その言葉の意味に気づくのに私は少しの時間を要した。
美涼はそんな佐々木君を見て、ニヤニヤと私と彼を交互に見た。
何となく、佐々木君が私に好意を持ってくれているのは分かる。それは今まで感じたことのないようなくすぐったさで、一葉がこれまでこんな気分を私から奪って来たと思うと、少し憎たらしく思えた。
とはいえ、私が彼に惹かれているかと言えば、正直なところ分からない、と答えるのが今の心境だ。
良い人だとは思う、優しいし気遣いの出来る人だと思う。男子らしい粗暴さは少なくて、それでいて私では持ち得ることの出来ない、男子特有のしっかりとした頼り甲斐のようなものを感じる。
だが、彼の好意に気付きながら、彼に対して何も与えることの出来ない私はもしかしたら酷い人間なのかもしれない。
少しだけでいい、時間が欲しい、と思って来たが、私は彼の好意に甘えて私から明確な態度を向けないことに罪悪感を感じた。
だから、ゆっくりと賛意を示した。
僅かに紅潮した顔を、純粋なまでに綻ばせて喜ぶ彼を見て、私はまた、言いようのない罪深さのようなものを感じ取ってしまった。
そういう経緯で私と佐々木君はその日、駅前で待ち合わせをしていた。
高校生なのだから少しは分かっているつもりだ。まさか、映画を観て、はい解散、とはならないだろう。
となるなら、これは純粋なデートというやつなのではないだろうか。前日の夜はどんな服装をしようかと迷い、隣家の一葉に相談しようかと悩んだが、結局何も言わなかった。
「誘ったはいいけど、今何の映画やってるんだろ」
と、照れたように笑う佐々木君はスマホで映画を調べた。
「誘ったのに、何観るか決めてないの?」
「い、いや……、米倉さんと遊ぶ口実に映画使っただけだからさ」
と、正直に懺悔する彼に微笑を誘われながらも、身体を寄せて彼のスマホを覗き込む。
なんというか、ピンと来る映画はあまりなかった。話題になってる大作映画も前作を見てないし、ホラーものはどうにも気が進まない。
「じゃあ、これにしようか」
と、彼が指し示したのはコテコテの恋愛映画だった。
「別にいいけど、佐々木君、こういうの観るの?」
「いや、あんまりかなぁ」
やはり、佐々木君は的外れな気遣いで恋愛映画を選んだらしい。
女子は大体恋愛映画が好きだと思い込んでるのだろうか。ちなみに私はそんなに好きじゃない。
「私たちが観たいのにしようよ、せっかく二人で来てるんだからさ」
そんなやりとりがあって、選んだのは結局大味なアクション映画となった。
なんというか、リードしてくれようとする佐々木君は可愛らしいが、私は彼をリードする方がしっくりする気がしていた。
まぁ、いつも一葉をリードしていたのは私だしなぁ……。と考えながら有名なハリウッド俳優が、アホみたいな爆発の中から飛び出してくるシーンを眺めていた。
そういうほうが、自然なんだろうな、と。
結局私は一葉から受け取った影響が多すぎるらしい、今見てる映画にしたって、一葉だったら大興奮してスクリーンに釘付けなんだろうな、とか、唐突に差し込まれたヒロインとのキスシーンも疑問すら浮かばず内心盛り上がってるんだろうな、とか。
そんな事が逐次頭に浮かび上がる。
せっかく佐々木君と過ごしているのに、一葉のことばかり考えてしまうことに申し訳なさを感じた。
そう自戒しても、その後に行ったランチとかカラオケとかでも、一葉だったらこうしていたなぁ、とか、一葉ならこれ歌いたいだろう、とか。
そういう事が頭に浮かぶ自分が恨めしかった。
なんというか、もはや呪いの類だ。
「やっぱ、米倉さんと居ると、楽しいな」
ポツリ、と呟くように佐々木君は言った。
夕暮れが支配する時間は終わり、辺りは宵闇と街灯のコントラストが広がっている。
「私も、結構楽しかったよ」
と、社交辞令的に伝える。とはいえ、楽しかったことは事実だ。しかし心のどこかでは、一葉と出掛けていた方が楽しかっただろうな、という考えも過っている。
それがどれだけ失礼な考えなのか。と、またもや自戒したタイミングでふと気付く。
私は何故、佐々木君と親友である一葉を同じ天秤に乗せて比較してしまっているのだろう、かと。
それは佐々木君がどうしたって友人以上には見られないという裏付けなのだろうか。
そんな予測も浮かんだが、これをデートだと仮定してしまっている以上、その考えには無理がある。
(もしかして、私は)
佐々木君と同じように、私は一葉を——親友で幼馴染である一葉を恋愛対象として捉えていたということなのだろうか。
(だから、一葉に恋人が出来るのが嫌だった?)
だから、妙な焦燥感があったのだろうか。
(だから、一葉のいない未来を悲観していた?)
だから、慰めの役として恋人を欲していたのだろうか。
ドクン、と脈打つ胸に、否定したい気持ちを紐解いていく。
佐々木君が、何かを伝えようとしている。
だが、内心の私はそれどころではなかった。
浅ましい、卑しい。
そんな言葉以外で何と表せるのだろうか。
そんな自分を認めたくない気持ちが、私を混乱させている。
だが、佐々木君もまた彼なりに、私の気持ちを察する余裕は無かった。
何故なら震える唇を力強く動かして、私に気持ちを伝えたからだ。
生まれて初めて恋心に気づいた時、
私は生まれて初めて告白されたのだった。
我ながら最悪のタイミングであった、と。自嘲する余裕すら私に無かったのであった。
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