東堂知佳 第五話 変わっていくモノ ①

 初めてだと思った。

 何かを吐露するという行為を、人に見られたのは。

 というよりも、吐き出したものを、心の内奥から湧き上がるものを、誰かに託したというのは。

 こういう弱い部分は、誰かに見せるべきでは無い。

 それは心の根っこを掴まれているようなものだ。例えば私だったらそんな弱い部分を見ようものなら、自分の都合の良い様にコントロールしたり、或いは何かの機会に使える情報程度に心に留めておいただろう。

 誰かを好きだとか、誰が嫌いだとか。

 何にトラウマを持っていて、どんなことに罪悪感を抱いていて、どういうものに忌避を示すのか。

 そういう類の情報は、かつての私にとっては恰好の餌だった。自分がより安全な地位を得るための、そしてそれを保持し続けるための、とても大切な情報。

 そう捉えていたからこそ、私はそれを人に見せない様に生きてきた。

 弱い者が淘汰される世の中だということは常識だ。誰もが皆、その程度のことを理解している筈なのに、それでも弱さを見せる迂闊さは理解すらできなかった程だ。


 だが、私はそれを、最も避けるべきことだと思っていたことを。

 鷺谷の前で無様にも披露してしまった。

 それが、どう転ぶのか。

 少なくとも、私の弱い部分を鷺谷は知ってしまった。その点において、警戒することは無駄では無いだろう。



「……東堂さん。えと、どうしたの?」

 ゴールデンウィークの一件以来、鷺谷と何となく顔を合わせ難い私は、一人で昼食を食べる気にもなれず、珍しく米倉と別行動していた湯井の席に近づく。

「一緒にご飯食べない?」

「あはは、なんかいきなりだねー。まぁいいよ、購買でご飯買ってくるね」

「私もお茶欲しいし付き合うよ」

 と、弁当というには少々不恰好なサンドイッチの入ったランチボックスを手に、私は湯井の後ろについていく。

 普段は弁当の湯井だったが、今日はどうやら用意されていなかったらしく、財布片手に購買で買い物する湯井を眺めていたが、彼女はどうにも偏食らしい。

 多分甘いものが好きなんだろうけど、それにしたって昼ごはんに甘いパン二つと大福を選ぶなんて。

「よくパンと大福一緒に食べられるわね」

 半ば呆れながら言うと、むしろこっちが変な事を口走ったかの様に首を傾げる湯井。

「そうかな?全然普通だよ」

 見てるだけで胃もたれしそうな光景から私は視線を移す。

 教室には戻らず、グラウンドの端にあるベンチに腰掛けていた。そこからは、少し高台にある学校の特権とも言うべき景色が広がっていた。

 目を凝らせば、多分私のアパートと思われる建物も視認できた。

「それにしても珍しいね。鷺谷さん達とご飯食べないの?」

「そりゃこっちのセリフ。そっちこそ米倉と砂川といつも一緒にいるのにさ」

「あの二人は昼練してる男子バスケ部の応援だよ」

 と、のほほんと大福をコーヒー牛乳で流し込みながら湯井は答えた。

「男バス?砂川は分かるけど、なんで米倉も?」

「……なんか柚、最近男バスの男の子と良い感じみたい。もしかしたら、もう付き合ってたりしてね」

「……」

 湯井の言葉から感情は読み取れない。湯井は無防備に見えて、どこかでしっかりと自分を守る為の感情のコントロールが出来ている。

 何となく、米倉に彼氏が出来そうなことに対して面白く思っていない、と感じ取れてしまうのは、私が他人のそういう感情の機微に対して敏感だからなのだろう。

 それにしたって、私の勘違いかもしれない、と思い起こさせる様なポーカーフェイスっぷりだ。

「ありゃ、意外と興味無い感じ?」

 ふぅん、と私の気の無い返事に湯井は少し驚いた様にこちらを見た。

「誰が誰と付き合っているって話、別にそこまで興味は無いよ」

「あはは。珍しい。こういう恋バナ、みんな好きだと思ってた」

「そういう湯井こそ」

「うん。正直ね、私もそんなに興味無い。誰が誰を好きだとか、さ。別にそんなの人の勝手じゃん。むしろ、嫌いかな。告ったり告られたりって、片側の一方的な決断なのに、それで嫉妬されたり変な噂立てられたりするの、良くあったから」

「何それ、自慢?」

 と茶化す様に言うと、湯井は大きく笑い出した。

「東堂さんって変な人。こういう話して、そんな反応されると思ってなかった」

 と、本当に心の底から楽しそうに笑った。

「そっちこそ。米倉といる時と、随分キャラ違うじゃない」

 何というか、そういうマイナス感情を持っている様な仕草は無かった。

 世の中全てに対して、祝福されている様な。

 嫌なことなどこれまで一つも経験していないかの様な無垢さを、持っていたイメージだ。

「こういうのあんまり他人に見せたりしないんだよ?ほら、私ってちょっと天然だけど、前向きなキャラって感じでいってるからさ。柚にも見せたことないよ」

「じゃあ、アンタのそういう本性を見れた私はラッキーだ」

「本質は東堂さんに近いから、油断しちゃうのかもね。東堂さんも、結構壁作るタイプでしょ。しかも、それを他人に壁だと悟られないように、さ」

 なんと、まぁ。

 バッチリ私の本質を当ててみせた湯井に私は思わず微笑を浮かべた。

 なるほど、似た者同士なのか。

 彼女は私ほど、悪辣ではないのだろうけど。

 それでも、世の中に対して、人の営む社会に対して、何一つとして信頼をしていないという点は似ているかもしれない。

「で、どんな気分?」

「え?」

「今まで人に見せたことない自分を、見られた感想」

「ん?んー、そこまで、特別な感じじゃないよ。そりゃ勿論、柚とかに知られると、また別の感想になると思うけどさ」

「そりゃ、そうか」

 ふっ、と肩の力が抜ける。

 焦燥感、というか。

 危機感の無い自分に危機感があった理由が分かった。

 要するに知られるべきてば無い人間と、別に知られても構わない人間の二種類がいるのだ。

 私は鷺谷に弱い部分を見られてしまった。

 普段の、これまでの自分だったら。

 その事実に危機感があったのだろう。

 だが、警戒程度に留まり、何も手を打とうともしなかったのは。

 何も私が弱い人間になってしまった、という訳ではなさそうだ。

 鷺谷になら弱い部分を知られても良い、と心の何処かで思ってしまったのだろう。

 それは、

(湯井の様に、私に仲間意識を感じていたからか)

 或いは——。


「なんか不良仲間出来たみたいで、嬉しい」

 と、可愛らしく微笑む湯井が、粉砂糖がたっぷり降りかかったパンを食べる姿に目を奪われる。

 周りが求める様な無垢さが無かったとしても、純粋さや麗かさが彼女の仮面だとしても。

 それでも、彼女の笑顔だけは、今まで見てきた笑顔と寸分変わらず、可憐なままだ。

「憎たらしい位に、美人なのね。アンタ」

「羨ましいでしょ?」


 私だけだろうか。

 今の湯井の方が、何処か魅力的だと思うのは。

 何にせよ、鷺谷と綾部以外の友人と呼べる存在が——彼女達と同じカテゴリーの友人とは言い難いのかも知れないが——その日、新しく出来てしまった。


「よろしくね、知佳」

 にひひ、と笑う湯井一葉の下手くそな悪戯っぽい笑顔が、私を愉快にさせる。

 もしかしたら、彼女にも。

 私の弱い部分を見せてしまっても良いのかも知れない。

 そんな事を思いながら、最後のサンドイッチを咀嚼した。

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