長尾蘭 第四話 花一匁 ①
自覚したのは、我ながらかなり幼い頃だったと思う。
薄らと記憶にあるのは、小学校低学年の頃のものだ。なんてことない、取り立てて何か事件があったわけじゃ無い。
ただ、単純に、正月にどれくらいお年玉を貰ったのかという話題が出ただけだ。
その時、私は恵まれている存在なのだと知った。一度自覚すると、友人達との間に溝が出来たように、多くの差異が浮き彫りになっていった。
同情という訳でも、優越感があった訳でも無い。
ただ、心苦しかったのだ。例えるのなら、文系なのに理系コースを選んでしまった哀れな学生のような、居心地の悪さ。
それが胸中にあって、それが嫌だった。
花一匁、という遊びがあった。
私はそれに選ばれない様な存在よりも、選ばれ過ぎてしまうという存在になってしまうことを恐れていたのだ。
だから、あの時の泣き顔に、私は惹かれた。
◇
あれから綾部さんと親しくなれた、と思っていたのに。
休み時間になる度に、綾部さんはそのちっちゃい体躯を生徒達の山の中に隠しながら、鷺谷さんと東堂さんのところへと向かう。
別に彼女は私を嫌っている訳じゃ無いだろう。だが、既に出来上がってしまった。きっと綾部さんの中にある、安心出来る空間の様な、そういうものが。
だから私はどこまでいっても彼女の中では異物なのだ。
(あんなに柔い笑顔……)
きっとあの場に私がいたら、出来ないのだろう。
笑っていても、やはりどこか硬い。
深く出るのは、溜息だけでは無い。醜い嫉妬にも似た、鈍痛が首の辺りを彷徨いながら気紛れに鋭くなる。
それが、恋の痛みだというのなら。
得難く、それであって渇望する程に欲することの出来る恋という概念はなんと平等なのだろうと思う。
少なくとも、恋は私を普遍たらしめる。選びもせず、選ばれもしない。
そこにあるのは自発的な欲求ただそれだけなのだから。
「……凪尾さぁ」
悲しむものは幸いである。
なんて、聖書の言葉を引っ張り出してまで、心を慰めることにも飽きた私は渡り廊下の自販機まで飲み物を買いに向かうと、東堂さんも飲み物を買いに来たのか不意に言葉をかけた。
「はい?」
「自分から入ってこないと、進展も何もないわよ」
「……目ざといですね、東堂さんは」
嫉妬も手伝って、少し棘のある言葉をすんなりと出すと、東堂さんはミネラルウォーターのボタンを押しながら、フン、と鼻で笑う。
「あれだけ羨ましそうに見られりゃ、誰だって気づくわよ。で、まだ上手く話しかけられない?」
「……えぇ、まぁ」
認めたくは無いが、事実ではあるので不満気な態度を隠さずに答える。
「……仕方ないわね。昼休み、アンタも誘ってあげるから、今度はしっかり喋れる様になりなさいよ」
「……」
私は思いがけない提案に、思わず東堂を見つめ返してしまう。
「何よ」
「あ……いえ、東堂さんって、優しいんですね」
「乗りかかった船ってやつね。……まぁ、ちょっとした心境の変化ってのもあるけど」
私の八つ当たりの様な態度にも、表情を崩さなかった東堂さんだったが、何故か今度は少しばかり頬を赤らめた。
何か、良いことでもあったのだろうか。
そんなことを思っていると、言い訳の様に彼女は言葉を継ぎ足した。
「恥ずかしいことだけど、まぁ、なんていうか、自己反省したのよ。それだけ。ほら、授業始まるからさっさと戻るわよ」
どうやら、本当に何か良いことがあったみたいだ。
それすら羨んでしまう自分が憎たらしい。
だが、同時に。
そういう負の感情すら、こうも容易く産んでしまう恋そのものを寿いでしまいたくなるほどに、浮かれてもいた。
「今日も純香の手作り?」
もはや断りもせずに慣れた手つきでひょい、と綾部さんの弁当箱からおかずをくすねて咀嚼した鷺谷さんを見て、私はそっと目を伏せた。
「うん、そうだよ」
「へぇ……朝から立派ね。私なんか全部冷食だけど」
「たまには千佳の手作り弁当食べたいなぁ」
「はいはい。今度ね。凪尾は、今日はパンなのね」
鷺谷さんをあしらいながら東堂さんは自然に私へと会話をパスする。当然彼女なりのアシストだと分かったが、そこからどう繋げばいいのか分からずに曖昧に肯定するのみで終わる。
「……そうだ、綾部さ、今度はいつ漫画描くの?」
「え?ええと……、一応夏前に読み切りを描こうかな、って」
「へぇ、それなら今度は凪尾も誘いなさいよ。凪尾、そういう作業得意らしいわよ。ね?」
どうやら痺れを切らしたらしい東堂さんがとうとう、直接的な機会を作り出した。
漫画なんて一切描いたことすらないけど、兎に角今は合わせるしかない、と頷く。
「え?本当ですか?……やっぱり凪尾さんはなんでも出来るんですね。凄いなぁ……私なんかとは大違い」
「……いえ、そんなことないと思いますよ。ほら、この間少しだけ見せてもらった、綾部さんの作品、凄い上手だったし、私なんかじゃとても真似できないと思いますよ」
与えられた環境が良過ぎただけなのだ。もし私が彼女の立場だったとして、あそこまで直向きに夢に向かって努力ができるのかと問われれば、答えは否、だ。
「それに、私は料理も出来ませんし……。私よりも綾部さんの方が、凄いと思います」
「私のは……必要だったから、出来るようになっただけですよ。両親二人とも、共働きで帰るのが遅いですから」
「……そうだったんですね。でも、立派じゃないですか」
「あはは。そう、ですかね」
乾いた笑みを浮かべて、少し言葉を詰まらせながらも、有耶無耶に濁す綾部さん。
まただ。
また、溝が浮き彫りになってしまった。
(これをなんとしてでも飛び越える、そう決めたのに)
深いのか浅いのか、広いのか狭いのか。
それすら分からない、ただそこに存在していることだけは理解できる溝を前に、私は立ち止まってしまう。
私は五万円で、彼女は五千円なのだ。
あの頃のお年玉の違いだ。
何故平等では無いのだろう。
注がれる愛なのに、公平性を欠くのは、この世界の欠陥だ。
この社会の根本的な設計ミスだ。
だというのに、五千円ぽっちしか貰えなかったというのに。
何故彼女達はあんなにも綺麗なのだろう。
何故私はこんなにも五千円しか貰えない彼女達をこんなにも羨んでしまうのだろう。
不平さえ羨んでしまう私は、なんで傲慢な存在なのだろう。
でも。傲慢だというのなら。
(そんな溝くらい飛び越えなさいよ)
まるで、そう言いたげな東堂さんの視線が私を突き動かす。
手を伸ばすように、喉が動く。
いや、言葉を伸ばすように、手が動いた。
「綾部さんの料理、今度ご馳走になってもいいですか?」
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