米倉柚 第四話 歩みの距離 ②

 何度目だろうか。

 彼女が楽しそうに笑いかける度に、そんな彼女に微笑み返す度に、痛みを伴わない痛みのような——数秒も経てば直ぐに忘れ去ってしまえる程の言葉に出来ない感覚が胸に走るのは。

 初めは、彼女と比較して女性としての優劣の差が原因だとも思っていた。それは下らない嫉妬で、恥ずべきものだと。

 暫くすると、それは彼女との友情の行く末への不安だと感じた。一見すると、彼女が私にベッタリのように思えるが、実のところ、精神的な部分、いや、それよりももっと奥深い部分では私の方が依存しているのだと思えてならなかった。

 そして今は、この感覚にどんな言い訳を付随させようか。

 少なくとも、それらが原因では無い事くらい、馬鹿な私でも少しは勘づいている。


「柚ちゃーん」

 長期連休が終わって最初の登校日。美涼が含み笑い、と言うにはあまりに隠し切れていない笑みを浮かべて私に近づいてきた。

 というか声がデカい。

 教室にいる生徒の半数は何事かとこっちを見てるじゃないか。

「どう?あの後メッセージとかしたん?」

「美涼……声デカい」

「ほら、一応セッティングした私にも責任あるからさ。で、どう?佐々木君、結構良い子でしょ?」

「……まぁ。悪くはなかったよ。うん。今度の練習試合、応援に行くことになった。美涼も試合でしょ?」

「あー、来週の土曜日かな?良い感じじゃん」

 と、能天気に背中をバシバシ叩く美涼が少しウザったかったが、我慢して素直に感謝を告げる。

 そんなタイミングで、自販機にジュースを買いに行っていた一葉が戻って来る。

「美涼テンション高ー。なんか良いことあったの?」

「聞いてないの?柚ちゃんが今男子といい感じなのさ。ほら、一葉ちゃんも応援しようぜ」

 と明らかに茶化したいのが分かる美涼の言葉に、一葉は一瞬驚いたように目を見開いて、その後少し笑った。

「へぇ、柚が……。あーあ、先越されちゃったなぁ」

 と、残念そうでも無さそうな表情で、ニヤニヤと含み笑いでこちらを見た。

 ああ、まただ。

 またあの痛みにすらならない、チクリとした感覚が、胸の奥に軋む。

 初めてコーヒーを飲んだ時のような、迎合は出来ないけど、別に頭から否定する程でも無い、あの何とも言えない感覚。

「一葉も男子とメッセージのやり取りでいい感じって聞いたけど?」

 ニヤニヤと私をこれから弄り倒そうとしている一葉に反撃する気持ち半分と、胸に走る違和を拭い去りたい気持ち半分が混ざり合う。

 そんな折り合いの付かない気持ちが紡ぎ出した私の言葉にも、一葉なんてことないように応える。

「あー長谷……なんだっけ、長谷川君?だっけ?」

「長谷部なー。てか、その反応、イマイチだった?」

「そうそう長谷部君。顔は良いんだけど、ちょっと性格が好みじゃ無いかもー。取り敢えず女子は褒めときゃいいだろ、みたいなのが透けててねー」

「うへぇ、厳しいなぁ一葉ちゃん」

 美涼の半ば呆れた笑い声を聴きながら、私は何処かホッとしている自分に気付いた。

 何にほっとしているのかわからないが、一葉に彼氏が出来なくて良かった、と思う自分が浅ましいと思ってしまう。

 或いは私の方が先に彼氏ができそうだから?

 恋愛とは競争だったろうか。

 そうじゃないのは明白なのに、一葉より一歩先に居なければならない自負が私を歪ませている気がした。

「柚?」

 孤独や不安に押し潰されそうなのは私で、誰よりも子供なのは私で、依存しているのも、憧れていたのも、理解出来ていなかったのも。

 全部、私の方だ。

 そんな薄汚れた私を、一葉は見る。

 綺麗な瞳だ、ぷっくりとした唇も、少し垂れ気味の目尻も、彼女を構成する全てが。

 やっぱり、マザーグースに出て来る可憐な少女そのものだ。

 砂糖とスパイス、それと素敵な何かで作り上げられた本物の少女だ。

 対する私は、カエルとカタツムリ、それとイヌの尻尾で出来た男の子みたいだ。

 いや、そんな物よりも、もっと本質的に粗雑な存在だ。


 まるで、私が彼女の横に居ること自体が相応しくないのだと、誰かに言われているようだ。


「……ゴメン、私も飲み物買って来るわ」



 そんな自分が嫌になって。

 私は何を考えているのだろう、とか。

 私は何をしているんだろう、とか。

 色んな感情が、初めて湧き上がって来る。

 一葉の親友は私だけど。

 きっとそれは、こんな歪んだ感情が生まれる前までの話だ。

 一葉に対して、こんな後ろ暗い気持ちを持っていると知られると。

「一葉に、嫌われちゃう……」

 渡り廊下の半ばで、そんな結論に至った私は、背筋が冷え固まり、歩みすらも止まってしまった。

 冬の植物が、再び暖かい春を待つ様な、希望のある静止じゃない。

 これ以上歩めば、もう戻れないと分かってしまっている、絶望の塊の様な固着だ。


「……米倉さん?」


 蒼白としていた顔を、声のする方に向き直すと。

 そこに居たのは、佐々木君だった。


 誰でもいいから、私の不安の種を少しでも取り除いて欲しい。

 孤独の青さを、少しでも塗り替えてくれるのなら。


 私は彼に向かって歩き出す。

 その歩みの距離は、僅かであったとしても。

 前進でも、後退でも。

 今いるその場所に、心に、囚われ続けることは、その時の私には選択できなかった。

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