東堂知佳 第四話 夜の中で影を探す ②

 ゴールデンウィークの最終日は、結局流れで泊まっていった鷺谷の提案で朝から駅前に出ることになった。

 なんでも、観たい映画があるのだという。

「結局、アンタの我が儘を聞いて終わったわね、休みは」

 本当は短期バイトだとかでお金を貯めたかったのだけど、鷺谷と遊んだだけで終わってしまった。

 まぁ、暇するよりはよかったかな、と自分を慰める。

 映画の上映時間までは二時間ほどあったので、適当に街をぶらつきつつ、ファミレスで昼食を取ることにしたが、鷺谷が観たいと言った映画は、全く聞いた事がないタイトルだった。

「これから映画なんだから、ソースとか跳ねない物注文しなさいよ」

「うん、分かったー」

 と、鷺谷は間延びした声で応えると、悩むことなくオムライスを注文した。

 ケチャップが跳ねそうで怖いけど……まぁ、ハンカチは持って来ているし問題ないだろう。

「……で、何の映画なの?」

「んー?普通の恋愛ものだよ。ほら、最近よくテレビで見る若手俳優の……あの、菅谷なんとかってのが出てるんだよね」

 あー、あのオラついた感じの俳優かー。と、私も鷺谷と同様にフルネームまでは思い出せない俳優の顔を浮かべる。

「アンタ、ああいう男がタイプなの?」

 なんというか、ヤンチャしてます、みたいなのがウリの俳優だった気がする。正直私は好みじゃない。

「……んー、どうだろ。でも、悪ぶってる人は好きだよ。可愛くて」

「変な趣味ねぇ……」

 と、相変わらず変わった感性を持つ鷺谷に苦笑していると、注文したメニューが来たのでこの話題は一旦中断された。


 小さな口をしている癖に、その口の大きさに見合わない量をスプーンに載せるから溢すんだ、と呆れながら指摘したくなる鷺谷の不器用な食べ方を見ながら昼食を終えると、ようやく鷺谷が観たいと言った映画の上映時間が差し迫る。

 映画館特有の甘ったるい香りが私はあまり好きじゃない。だが鷺谷はその匂いの原因である、キャラメルポップコーンが好きらしく、昼ごはんを食べたばかりだというのに一番大きなサイズを購入して両手で抱え込んで席に座った。

 映画が終わる頃にはポップコーンが床に散乱している見える気がする。

「……私この映画が始まる前の予告好きなんだよねー」

「アンタ、まだ本編始まってないのに食べ過ぎじゃない?」

「ん?知佳も食べる?」

 私の言葉をどう勘違いしたのか、鷺谷はポップコーンを一粒摘むと私の前に差し出した。

「いいわよ、別に」

「ほら、口開けて」

 拒否したが、鷺谷は無理矢理私の口にポップコーンを押し付けるので仕方なく口を開ける。

 甘い味が広がる。飲み物にコーヒーを選んでおいてよかった、と思う。

「……えへへ」

「何笑ってるのよ?ほら、もう始まるわよ」

 ポップコーンを咀嚼する私の顔を見て、鷺谷は何故だか頬を緩ませていたが、そのタイミングで予告編は終わり、本編が始まる合図である配給会社のロゴが写った。



 映画は良くも悪くも、単調なモノだった。それだけに演者の演技力が試されそうな内容ではあったが、ビジュアルはともかく、配役に於いてはそこら辺をこだわったらしく、最近の映画にしては演技に熱の入った作品だった。

 序盤は、そんな感想を抱いていた。絶賛する程じゃ無いけど、観たことを後悔するほどのものじゃ無い。

 そんな程度の評価を下していたが、中盤になって、私のそんな評価が一変する。

 多分、映画全体からしたら、そんなに出番のないちょい役だったのかも知れない。

 立ち位置は、主人公の妹役だ。だけど、彼女が——私の妹である東堂香苗がスクリーンに映し出された時、私は目眩を覚えた。

 もう、妹は私に何の関係もない存在だと割り切った筈だ。あの家族は私とはもう無縁の存在なのだと、そう誓った筈だ。

 だというのに、吐き気を覚え、背筋の辺りが冷たくなる。

 香苗には何の罪もない。だが、彼女と比較され続けてきた私にとっては、最早、香苗そのものが厄災にも近い存在だ。


「……ゴメン、ちょっとトイレ」

 私はもう耐え切れなくなり、ふらついた足取りのまま、トイレへと向かう。

 幸い、食べたばかりの昼御飯を嘔吐するようなことは無かった。それでも喉の奥から酸っぱい何かが迫り上がって来て、胃酸のようなものを便器の中に吐き出す。

「何なのよ……!!何で、アンタは私の……!!」

 弱さを見せないように、強く見せるために飾り立てた強がりも、香苗の姿を見た瞬間に、虚しく崩れ落ちる。

 もう二年近くもまともに話していない妹。実家にいた頃は、彼女を視界に入れないように過ごしていた。

 姉らしく、大人っぽく育ったな、という感想が浮かぶことすら苦渋の種だ。香苗は敵だ、父親も母親も、等しく私を害する敵だ。

 だから、逃げて来た。

 もう二度と会うものか、と。アイツらはもう私とは関係の無い存在なのだ、と。

 そう誓ったはずなのに。

 情け無くて、悔しくて、涙が出る。



「……知佳?」

 トイレを控えめにノックする音ともに、鷺谷の声が聞こえる。

「……ゴメン、映画、見てていいよ」

「ううん。ついてるよ。大丈夫?」

 鷺谷の声で、私は幾らか落ち着きを取り戻した。

「ゴメン、大丈夫じゃ、無いかも」

 私は初めて他人に弱音を吐いた気がする。

 弱音は、弱い部分は。

 誰かに見せてしまうと、あとは食い物にされるだけだと思っていた。

 私自身、そういう人間だったからだ。弱い人間は、それをネタにいいようにされるのが宿命なのだと、信じて来た。

 だから、私は精一杯、強い人間であるということを嘯いていた。

 だというのに。


「……ね、知佳。私が傍にいるから。泣いてもいいんだよ」


 鷺谷は、本当に詐欺師なのかも知れない。

 彼女に見せた弱い部分は。

 いつの間にか、彼女と私を繋ぐ、強いものになろうとしていた。


 だけど私は。

 鷺谷がこんなにも私に優しくあろうとしてくれる理由を、まだ知らずにいた。

 それは、夜の中で影を探すように困難なことだということもまだ、理解すらしていなかったのである。

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