凪尾蘭 第二話 例えばそこに私がいたならば
知りたいことは星の数程あるというのに、知っていることは片手で数えられる程に少ない。
知れば知る程、堕ちていくのだろうか。それとも、知らないでいられたのなら、私はまともでいられたのだろうか。
当たり前から外れた私に、もはや『まとも』という単語になんら価値は感じられなかった。
親睦会——と、美涼は言った。
私からしたら鷺谷さんと東堂さんは、そこまで親しく無いし、逆もまた一度昼を一緒にした程度の仲だった。
それでも、美涼は気にしないタチらしい。
人類皆友人とでも言わんばかりの彼女の性格に、私は救われたようだ。
何せ、集合場所だった駅前の広場には、綾部さんが何処かオドオドした様子で、そこに立っていたのだから。
「純香、緊張し過ぎー」
と、俯いていた綾部さんを鷺谷さんはニヤニヤと揶揄うように小突いた。
「だ、だって……、よく知らない人と遊ぶの……あんまり経験無いから」
「鷺谷、アンタ休日だと元気なのね」
そんな二人、というよりも鷺谷さんを見て東堂さんが呆れた様にボヤく。
「三人は、仲、良いんですね」
柚ちゃんと一葉ちゃんがまだ来ないので、手持ち無沙汰に待っていたが、三人の掛け合いがすっかり板についた様子だったので、思わず訊いてみる。
「そうかしら?まぁ、鷺谷も綾部も最近はウチに入り浸ってるしね」
「純香の作る料理が美味しくてねぇ。そりゃもうここ数日は、純香の作るご飯で生きてるって感じ」
「……ふ、二人には漫画の手伝いしてもらってるので、それ位は。それに、料理の腕も、普通、ですよ……」
「それは知佳に対する嫌味?」
「アンタのその発言が嫌味なのよ」
どうにも、私が思ってた以上に仲が良くなったらしい。そこに安心する自分もいるし、嫉妬してしまう自分もいる。
「へぇ……。綾部さん、漫画描くんですね。今度私も見せてもらっても良いですか?」
それでもこれはまたとない機会だ、と思い、私は素知らぬフリで一歩近づく。
「えっ!?い、いや、あの、凪尾さんのお目汚しになっちゃいます……」
「いいんじゃないの?ほら、あのイケメンがヒロイン口説くシーンとか、ドラマみたいだったし」
「ちょっ!鷺谷さん!は、恥ずかしいから言わないで……!」
鷺谷さんと東堂さんは、私の知らない綾部さんを沢山知っている。
本当は私がそこにいても良いはずだ。彼女達の居場所に私が居れば、もっと綾部さんに笑顔を届けられていた筈だ。
そんな、八つ当たりにも似た妬みが、二人にでは無く、自分への怒りになって心をざわつかせる。
思えば。
いつも私は対人関係というものに関して受け身だった。自然と、誰かに声を掛けられるのを待っていた。
幸いなことに、私を取り巻く環境は、そんな受け身の私を許してくれていた。
それを当然だと考えていた自分の甘さが嫌になるし、それが当然となってしまっていた自分の恵まれた環境すらも今となっては恨めしい。
本当は。
本当は、綾部さんに話しかけたい。
二人の様に、彼女を下の名前で呼びたい。
彼女達の様に特別な用事が無くとも一緒に過ごせる様な間柄になりたい。
だけど、それらを得る為には。それだけの欲しいものを勝ち取る為には。
私が一歩踏み出さなくてはならないということを知っていた。嫌というほど、知らされていた。
「……」
そんな歯痒い思いと今まで感じたことの無い自分への苛立ちに胸が締め付けられていた私を、酷く冷たく感じる視線で東堂さんは一瞥した。
「……っ!」
そんな目で見られてしまうと、私の汚い心の中が見透かされているような気がしてしまい、思わず視線を逸らした。
「ねぇ、凪尾さん——」
そんな様子を見た東堂さんが、何かを言いかける。その言葉の続きが、何故だか私にとっては怖い何かに思えて、身体が硬直した。
果たして、東堂さんには気づかれてしまったのだろうか——。
疑念というよりは諦念に近い心境だった。
「お、ようやく来た!二人とも、ゆっくりし過ぎ!」
瞬間、美涼の大きな声が、東堂さんの言葉を遮った。
東堂さんの唇が、続きの言葉を紡ぐかどうかの刹那。半ば私は救われた様な気持ちで、柚ちゃんと一葉ちゃんが歩いて来る方向に目を逸らした。
「お、随分オシャレしてるなぁ」
美涼がカラカラと笑いながら一葉ちゃんの服を見た。フリルネックの可愛らしい白いブラウスにデニムパンツを履いている。
「いーでしょ。昨日柚と買いに行ったんだ」
服そのものよりも、柚ちゃんと買い物に行った事を自慢する様な言葉に思わず微笑してしまうが、当の柚ちゃんは愚痴る様な口調で呟いた。
「結局五時間も連れ回されたけどね……」
「一葉ちゃんの買い物に付き合うのは大変そうだもんね。でもそのブラウス可愛いなぁ、どこで買ったの?」
「ここら辺だよ?お店回る?」
と、上機嫌にその場でくるりと回ってブラウスを見せびらかしながら一葉ちゃんは提案してみる。
「それもいいけど……今日は親睦会だしね。予定通りカラオケとボーリングに行こっか。あ、東堂さん達もそれでいいよね?」
「ん、わかった。アンタ達もいいでしょ?」
普段からボーッとしている鷺谷さんと、人前が苦手らしい綾部さんの代わりに東堂さんは返事を返した。
彼女は面倒見が良いようで、鷺谷さんは別としても、綾部さんは彼女の言葉に静かに頷くだけだった。
何というか——仕方のないことなのだけど——人見知りの綾部さんは、この集まりにおいて完全に東堂さんに頼り切りのようだ。
メガネの奥に光る瞳が、あちこちに揺れながらもいつも最終的には東堂さんや鷺谷さんの方に向いて落ち着くのを見る度に、悔しさにも似た、見当違いな妬みが心を捉える。
人間不信という訳ではないだろう。
単純に彼女の生粋の人見知りの性格がそうさせているに違いないと、私は思うが、それでも今すぐにでも私は二人に問い質してみたい。
綾部純香という人間の信頼を、どの様にして勝ち得たのか。
その方法だけを、私は知りたかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます