凪尾蘭 第一話 幸福者の憂鬱 ②
我ながらストーカーみたいだな。
と、思う。
綾部さんは阿津実高校へ進学しても、大人しいままだった。幸運なことに、同じクラスになったのだから幾らでも声を掛ける機会はあった筈なのに、声を掛けようとすると、声が出ない。
情けないことに、緊張してしまう。
彼女の眼鏡の奥にある瞳の美しさを、彼女の胸の奥に潜む心の強さを、彼女の仕草に現れる艶やかな色気を。
もしクラスの男子に知られでもしたら——。彼女に恋人なんて存在が出来てしまったら、どうしようかと、焦るばかりだ。
少しばかり安心する材料があるとすれば、このクラスは一葉ちゃんという、一目見てモテそうだなと分かる生徒がいることに加えて、一際騒がしい生徒が集まっているので、大人しい綾部さんは一層目立たずにいることくらいだろうか。
「蘭ちゃーん。ご飯行こ」
その騒がしい生徒筆頭の美涼が昼休みになった途端に大きな声で私を呼んだ。
クラスの端から対角線上の端にいる私に向かって呼びかけた声なので、当然クラス中に響くような大声だ。
その声に驚いて、教室の前方にいる綾部さんが少しビクッと体を硬直させた。小動物みたいで可愛い。
「柚ちゃんが中庭でご飯食べたいって。蘭ちゃん、今日は弁当?」
「いえ、購買か何かで買ってこようかなって」
「ふーん?そんなら一葉ちゃんと柚ちゃんも今日は購買らしいから、先に行ってベンチ確保しとくね」
と言いながら教室を出ていく。相変わらず慌ただしい人だ。
チラリ、と綾部さんの方を見る。どうやら彼女は入学して最初の頃は何人かの友人とご飯を食べていたが、最近は専ら一人で食べているようだ。
(もしかして……上手くグループに入れなかったのかな)
と、心配になる。
いや、今日こそチャンスじゃないか。
私は自分を奮い立たせて席を立つが、ひと足先に彼女に声を掛ける人がいた。
鷺谷さんだ。
数日前、一緒にご飯を食べた東堂さんと鷺谷さんの二人が彼女の席まで行って昼食に誘っている。
(……あの二人と、仲が良かったんだ)
奮い立たせた勇気は何処へやら、私は短くため息を吐いて、購買へ向かった。
「三人はゴールデンウィークなにするの?」
「あ、来週からだっけ?」
柚ちゃんはアウトドア派の様で、こうして定期的に外で食べることを提案する。
確かに今日は気持ちの良い風が吹いていて、中庭には多くの生徒が昼食を食べていた。
紙パックのコーヒー牛乳を飲みながら美涼は思い出した様に口にした話題は、入学してからそろそろひと月近く経とうとしていることを実感させた。
「私は予定無いなぁ。多分一葉と遊んでる気がする」
と、柚ちゃんが笑いながら話す。
白い歯が見える笑顔は、なんというか爽やか美少年って感じの印象に近い。女子校にいたら、間違いなくモテてただろうなぁ。
「美涼は部活無いの?」
と訊くと、どうやら練習試合で一日埋まるだけで、あとは休みらしい。
「ウチはそこまでガチな部活じゃないからさ。で、蘭ちゃんは?」
「んー、ほぼ毎日午前中はレッスンあるけど午後は暇かなぁ。あ、夏のコンクールに向けて、自主練してるかもだけど」
とはいえ、今はそこまでモチベーションは無い。国内の音大に入学するのなら、自惚れでは無く今のままであれば確実に入学は出来るだろうし。
ヴァイオリンで食べていくなんて、そんなの一握りの人間しかできないので、私もどこかで折り合いをつけなければいけない、とも考えている。
「で、そー言うこと訊くってことは、美涼、どっか遊び行きたいんだ」
「お、流石一葉ちゃん。その通り。てな訳で、どっかで日程合わせて遊び行かない?街の方まで出てさ」
「おーいいねぇ。女子高生っぽいことしたい。ほら、ウィンドウショッピングとか、タピオカ飲んだりとか」
「その発言、田舎者っぽくて恥ずかしいから控えようね一葉」
「田舎だよ、ここは」
と相変わらず小気味良いテンポの柚ちゃんと一葉ちゃんの会話を聞きながら、少しだけゴールデンウィークのことを考える。
もし、この三人に迷惑じゃなければ。
綾部さんを、誘ってみようかな。
絶対2人きりだと緊張して会話にならないし、この三人がいるなら心強いし。
しかし、そもそも誘えるのだろうか。ゴールデンウィークまであと四日しか学校に来る日も無い。
むむむ……と、黙りこくって考えていると、どうやろ相当に難しい顔をしていたらしく、柚ちゃんは顔を覗き込んだ。
「大丈夫?」
「——……ううん。何でもない」
普段は一葉ちゃんのちょっと世間離れした発言に呆れながらも突っ込んでいる印象の強い柚ちゃんだけど、やっぱり整った顔でそうやって心配されると、思わずドキッとしてしまう。
「あ、そうだ、折角だし東堂さん達も呼ぼうよ。人数多い方が楽しいしね」
と、話題を逸らす様に提案してみる。もし本当に、綾部さんが東堂さん達と仲が良いのなら、一緒に連れ立って来てくれるかもしれない。
なんて、都合の良いことを考える。
——これじゃあ、本当に。
私は自分の無聊さに、辟易する。なんて自分は退屈な人間なのだろうと、思い改める。
きっと、真正面から向き合う勇気のない私なんかに、彼女が私を好いてくれる筈なんか無いだろうに。
僅かな期待はすぐに、自分を慰める刃に転じて仄かな自嘲を引き出した。
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