米倉柚 第一話 いつかの嫉み ①


 湯井一葉ゆいかずはは、まさにマザーグースに出てくる様な少女だった。

 砂糖とスパイスで出来ているような、少女らしい少女だ。言動も趣味嗜好も、およそ普通の人が少女らしさを想像する時に思い浮かぶ要素の殆どを彼女は持っていた。

 だから、必然だったのだろうか。

 そんな彼女と幼馴染だった私は、すっかりそんな乙女とは相反する人間になってしまった。

 中学に入学するまでは自分のことを、『僕』なんて言っていたし、今でも油断すると僕、と自称してしまう。趣味嗜好も男の子の様だったし、今でも服装はボーイッシュなままだ。

 それは、決して女性として勝ち目のない存在が常に隣にいたから、私は逃げていたのだろう。

 或いは、本能的に彼女の持つ庇護欲を掻き立てる何かが、私をそうさせたのかもしれない。

 おかげさまで、他の友人達には某歌劇団の男装令嬢かのように揶揄われる始末だ。

 男兄弟に囲まれて育ったから——なんて言い訳も出来ない家庭環境にいる私は、素直にこれを、湯井一葉の所為だと、半ば恨みながら、半ば楽し気に、責任をなすりつけていた。


 家も隣同士で親同士も仲が良く、旅行も毎年の様に一緒に行ってた様な関係だったので、何故か同じ高校に進学するのも当たり前の様な気がしていた。

 一葉は最近ハマっているミュージシャンの曲を口ずさみながら、私の隣を歩いている。

 私より15センチも背が低いので、肩越しに彼女を眺めても頭頂部しか見えなかった。

「ねぇ、柚。同じクラスになれるかな」

 と、言うものの、一葉に不安の色は見られない。

 どうせ違うクラスになっても、休みの度に遊びに来るのだろう。事実、中学の三年間はそうだった。

 振り返ると、同じクラスになったことは二回しか無い。

「ま、どーせ今年も違うクラスじゃない?」

「むー、柚って冷たいよね」

 と、言外に同じクラスになりたく無いのか、と責める一葉に苦笑する。どうせ今年も四六時中一緒にいるんだ、授業中くらい離れてたって何も問題はないだろう。

 それに——。

「一葉に近づこうとする男子の相手するの面倒だし」

 一葉はモテる。そりゃ、理想の女性を具現化した様な存在だもんな。

 一方で彼女と仲の良い私は、男子からすると話し掛けやすいらしい。見た目も性格も、男子寄りだからなぁ。

 そんな訳で、毎年新学期の時期は、そういう手合いの男子に馴れ馴れしく話しかけられることが多い。

「それは、私の台詞だけどねー」

 と、一葉は戯けた様に言う。

 はて、私は男子にモテた記憶は無いのだけど。

 むしろ新学期は、そんな男子の相手ばかりして、すぐに同性の友人を作ってしまう一葉の方が羨ましかった位だが。

 まぁ、長く付き合えば思うところもそれなりにあるだろう。

 私は深く追求せず、これから三年間通うことになる阿津実高校の通学路にある急勾配の坂に早くも辟易しながら、そんなことを思った。


 珍しく、今年は同じクラスだった。

 となると、自然、出席番号の近い私達は席も前後だった。

 一葉の自己紹介に色めき立つ男子達を尻目に、「米倉柚よねくらゆずです。趣味はバスケとスノボーです。ええと……気軽に話しかけて下さい、よろしくお願いします」

 と、無難な自己紹介を終えて席に着く。まぁ、初めはこんなもんだろう。人見知りはしない性格なのだが、それでもやはりどこか緊張していた様で、我ながら少し情けない声色だった様な気もする。

 前の席の一葉がうなじ程まで伸びた髪を僅かに揺らしながら振り向いて、そんな私を揶揄う様に笑っている。

 一通りの自己紹介が終わり思ったことは、私達のクラスには、変わった人が多いみたいだ。

 わざわざこんな僻地に千葉県から来た生徒もいれば、バイオリンで国際的な賞を取る様な才能に恵まれた生徒もいるみたいだ。

 あとはまぁ、初日だというのにずっと寝ている子も居たりする。


「ねぇ、バスケが趣味って言ってたけど、バスケ部入るの?」

 入学式も終わり、さて一葉と一緒に下校するかと思った矢先に、同じクラスの女子に話しかけられる。

「ええと、砂川さん、だっけ?」

「そうそう、砂川美涼すなかわみすず。美涼でいいよ。私も女バスに入部する予定なんだけど、一緒に体験入部行かない?」

 あー、そうか趣味でバスケと言ってしまったから勘違いした訳か。

 なんて断ろうかと考えていると、ひと足先に鞄に荷物を仕舞い終えた一葉が代わりに答える。

「美涼さん、柚はバスケは見る専だから。それに海外の……何だっけ、何とかっていうやつしか見ないよ」

「NBAね。そういう訳だから、ごめんね美涼さん」

「え、そうなの?そんなに背が高いんだからさ、高校からでも十分通用するよー」

 と、カラカラ笑う。

「ま、しょうがないか。米倉さん、湯井さん、これから帰るんでしょ?途中まで一緒に帰ろうか」

 竹を割ったような性格らしく、バスケ部に勧誘することと一緒に帰ることのどちらが目的だったのか分からないくらいに、美涼さん——翌日には私も一葉も美涼、と呼び捨てにしていたが——は人当たりの良い笑顔で自然と一緒に帰宅した。


「二人は中学が同じだったの?」

 登校時には辟易しつつあった坂だが、上りよりも下りの方が存外に足に来る。

 雨なんか降って地面が濡れていたら、簡単に足を取られてしまいそうな勾配に気を遣いながら三人で歩いていると美涼さんはそんなことを訊いてきた。

「というよりも幼馴染かな。家も隣なんだ」

「昔のラブコメみたい」

 一葉は美涼さんの一風変わった返答が面白かった様でクスクス笑う。

「でもモテてたでしょ?」

「一葉は男子からモテてたねぇ。チャットアプリのID、何回男子から教えてくれと頼まれたか」

 と答える。

 しかしどうやら美涼さんは、一葉のことを指していた訳では無いらしい。

「一葉ちゃんは可愛いけどさ、そうじゃなくて、柚ちゃんの方。背は高いし、顔もイケメンだし、女子からモテてたんじゃないの?」

「そりゃモテモテだったよー。柚だって色んな女の子からキャーキャー言われてたもんねぇ」

 ふふん、と何故か自慢気に一葉は答えるが、あれはモテてだと言えないだろう。私だって、カッコイイ男子に向かって黄色い声援を掛ける位の、可愛らしい女の子の筈だ。

「演劇部とかいいんじゃない?男装の令嬢って感じで。下手したらファンクラブとか出来るんじゃない?」

「もぅ、揶揄わないでよ……。一葉も適当なこと言わないで」

「えー?柚が知らないだけで、本当に女の子から人気があったんだけどなぁ」

 一葉は時々訳の分からない冗談を言う。

 仮に本当だったとしても、私としては女の子からいくらモテようと、虚しいだけだ。

「はぁ……トーマ君みたいな彼氏欲しい」

 その虚しさが、何となく年頃の女子高生らしい半ば本気で半ば口だけの憧れを言葉にして口を撞いた。

「おお?柚ちゃんって、あーいう可愛らしい系の男の子が好きなんだ。なになに、母性本能強め?」

「別にいいでしょ?」

「柚はねー、昔からああいう可愛い系の男性アイドルが好きなんだよね」

「まさかとは思うけど、柚ちゃんって……ショタコン?」

「違いますー。大体トーマ君だって私と1コしか違わないし」

 なんてことを話しながら、下校した私達だったが、坂を下りたところで美涼さんはバス通学のようで、バス停で別れることになった。


「初日で仲良くなれそうな人出来て良かったね」

 どうやら美涼さんのことを一葉も気に入ったみたいで機嫌が良い。

 私としては高校デビュー早々に好きなアイドルの傾向がバレたことが少し痛手だったり。

「……ま、何にせよ、一葉と同じクラスで良かったよ」

「柚にしては素直だね。私も柚が一緒で安心したよ」

 と、一葉は笑う。

 狡いなぁ。相変わらず、私は彼女を羨んでしまう。

 だって、一葉が笑うだけで、彼女の隣に立つ自分が、少し誇らしく感じてしまうのだから。


 まるで、一葉の笑顔が曇ることは、この世界でのタブーかのように可憐なのだから。

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