東堂知佳 第一話 悪女のエピローグ ②

 その先に何があるのかと問われると、きっと何も無かった、とまるで見て来たかのように答えるのだろう。

 実際に、その先には何も無いように感じてしまったのだ。

 だから歩みを止めた。だけどもう引き返せない。その先に待ち受けるのは、寂寞だと知っても尚、進むか戻るかの選択肢の前に戸惑う私は、情けなくも、何かを待つしか方法は無いのだった。


 わざわざ遠い千葉から一人、地方都市の変哲も無い高校に進学したのには、何か理由があるに違いない。

 会話の受け答えはするが、どこか余所余所しい態度の私に対するクラスメイト達は、一週間経ってそんな感じの解釈をしているようだ。

 存外、露骨に無視したり、陰口が叩かれている様子が無いのは、クラスメイト達がお人好しなのか、それとも——。

(私よりクラスに馴染む気の無い人がいるからなのかしらね)

 私と違って、愛想笑いすら浮かべない隣の鷺谷は、早くもクラスの中で浮き始めている。

 気怠げな態度と眠たげな双眸は、そもそも話しかけることすら躊躇させてしまう。それでも何人かの勇気ある女子が話しかけていたが、酷く小さな声で、短く返事をするだけで会話のキャッチボールは成立していないようだった。

 人当たりが良いとか悪いとか、そういう判断の天秤にすら載らないような状況だ。

 だが、隣の席だというだけで——或いは、何となく私とだけは二、三の言葉のやり取りが可能だという点だけで、半ば私は彼女の世話役のような役目になっていた。


 果たして高校生にもなって世話とはどうなのだろう。とも思うだろう。

 だが、鷺谷という女性は、どうやら常人のそれと比較すると度を越したマイペース屋らしい。

 体育の時間になっていつまでも来ないと思えば教室で熟睡していたり、昼休みになっても起きず昼ご飯を食べ逃し午後の授業でお腹を鳴らしたり。

 そんな訳で、彼女を手助けする義理もないのだが、移動教室や昼休みの度に起こすのが私の役目になっていた。


 こんな自堕落な子が、よくこの高校に合格できたな。

 彼女の生活態度からいよいよ学力方面にまで疑念を持ち始めた頃、相変わらずウトウトしている鷺谷を横目にそんなことを考えていると、不意に彼女が教師に指された。

 田舎といえど、この阿津実高校はそれなりの進学校だ。県内からそれなりの優等生が集まる高校らしい。

 そんな高校なので当然授業のレベルはそれなりに高い。更に言えば、今しがた教師が鷺谷に対して当てた問題は、中学生の知識云々でどうにかなる問題じゃ無い。

 というか、古文なので授業を聞いていなかった鷺谷は教科書のどこを進めていたのかすら知らないので、仮に全て暗記でもしていなければ土台答えられない質問だった。

 そう、その筈だった。

「えーっと……朽ち果てもしないこの川中の柱が残らなかったら、昔の長者の屋敷跡をどうして知るかしら、知るよしもないことだ……です」

 更級日記の口語訳をさらりと言ってのけた鷺谷に教師は満足したようで、すぐに黒板の方に向き直り授業を進める。

 私は開いた口が塞がらなかった。

 もしかして寝たふりして授業を聞いているんじゃなかろうか、なんていう突飛もない妄想すらしてしまう。

 そんな驚いた様子の私に気づいたのか、鷺谷はこちらを一瞥した後、

「……」

 白い歯を見せて、得意気に、そしてやはり何処か眠た気に、笑った。



「……ほら、昼休みだから、起きなよ」

 果たして、頭が良いと言っても本人がこれでは社会に貢献することはなさそうだ。

 無駄な才能を神様は与えてしまったなぁ、なんて心のどこかで苦笑しながら彼女を揺さぶる。

「ん……」

 と、起こす私をどこか鬱陶しそうに見る。

 私だって好きでやってるんじゃ無い、と少し苛立ち荒っぽく再度揺らすと、ゆっくりと頭を上げた。

「連れてって」

「え?どこに?」

「食堂。お弁当、忘れちゃった」

「はぁ?何で私が……」

 これまで猫をかぶっていたが、思わず地の口調が出てしまう。それを聞いた鷺谷はニンマリと口角を上げて笑みを浮かべる。

「そういう言葉遣いの方が私、好きだな」

「……折角大人しく過ごすつもりだったのに。アンタのせいだからね」

 よく人から図々しいとか勝気だと思われる私の言葉遣いを、彼女は好きだと言った。

(……でも、この子の前だけなら、まぁ、いいか)

 彼女がそれを望んだのだから、別に無理する必要はない。

 都合良く解釈して、私は鷺谷の手を引いた。

「ほら、食堂行くんでしょ?さっさと行くわよ」

 鷺谷は何が面白いのか、私の手を握り返して微笑んでいた。



 鷺谷の鷺という字は、本当は詐欺という感じが相応しいんじゃ無いか、と思う。

 黙っていれば容姿端麗で、深窓の令嬢の様な、そういう勘違いを引き起こさせる容貌をしているのだが、今目の前でミートソースパスタを食べている彼女を見れば例え100年の恋だって冷めるに違いない。

 恐らく、彼女自身はソースが跳ねないように気をつけているつもりらしいが、それでも不器用なのか新学期が始まったばかりだというのに早速白いポロシャツにソースを派手に付けている。

「アンタは幼児か……」

 全く、ハンカチを持ってきて良かった。

 本当にまだ幼児だった頃の妹を思い出しながら、跳ねたソースを拭ってやると、意外そうな顔をして、鷺谷は私を見た。

「——知佳って、お姉ちゃんみたい」

「——……っ!」

 自分でも分かるほどに赤面したのは、妹と重ねて見て世話を焼いてしまったことでも、不意打ち的に下の名前を呼ばれたからでも、無い。

 ただ、屈託無く笑った鷺谷の笑みが、理由無く私の心臓を鷲掴みにしていたからに違いない。


 平穏に高校三年間を過ごす?

 どうやら平穏という言葉とは無縁の三年間になりそうだ。


 そんな予感が、何となく心の中で嘯いていた。

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