花弁の群像
カエデ渚
東堂知佳 第一話 悪女のエピローグ ①
——物語に出てくる悪女は、私だった。
負けず嫌いな性格や他人を妬んだり羨んだりする性根が、私を酷く醜くさせていた。
平気で嘘をつく、優越感が得られるのなら他人を落とし入れることだってする、裏表のある性格に真実は一切なく、誰も私の本性なんてものは知らなかった。
でも物語に出てくる悪女は、一切の例外なく裁かれる。天網恢々疎にして漏らさず、などとはよく言ったもので、私も自身の醜い行為の報いを受ける時がやって来た。
もし私の関わる物語に主人公がいたのなら、それはその人にとってハッピーエンドだったに違いない。
だけど、私が報いを受けて、全てが終わるなんて都合の良い事はあるはずもなく。
誰かが幸せになっても、誰かが罰を受けても、それぞれの人生は死が赦すまで続いていくのだ。
——それでも、罪を犯しても、罰を受けても、心の醜さを曝け出されても。
救われる、ということはあるらしい。それを無防備なまでに否定し続けてきた私にとっては、少しばかり卑屈な自分を肯定してくれているような気がしていた。
これは、そんな悪女の、長い長いエピローグだ。
俄かにご近所を震撼させた凄惨なイジメ事件の主犯が私だと判明すると、それまで私に同調して居たはずの友人達は、思わず私も感心してしまう程の危機管理能力を発揮して私の側から離れて行った。
別に彼女達に友情なんてものを期待していた訳じゃない。もし仮に私が彼女達の立場だったなら、同じ対応をしていたに違いない。
ただ、両親の私に向ける態度だけは、私をイラつかせた。元々私に関心なんか無かったはずなのに、世間体かそれとも彼らの自尊心のせいか、まるで私という存在が二人の人生の汚点であるかのように扱った。
「頼むから
「18までなら金の面倒をしてやるから、どこか遠くの高校へ行ってくれ」
子役として人気の出始めている妹にご執心の二人は私を遠ざけることで妹から私を守ろうとした。
私という存在が、きっと彼女の邪魔になると判断したのだろう。
私は何も初めから性格が歪んでいた訳じゃない。悪女には悪女なりの理由があるのだ、と。言い訳する気は無い。
ただ、私はその時冷ややかな視線を二人に向けていた。
(さすが、私みたいな子供を作った親だけあるよ)
と。
進学した高校は、聞いたことはあるけど何が有名で何が特産なのか、さっぱり知らない街にあった。
阿津実という港町だった。温い潮風が少しばかり癪に障るし、高校の場所が山の斜面にあるというのも気に食わない。
些細なことかもしれないが、そんな小さなことにイライラしながら登校する。入学式なだけあって、どこか妙な緊張感が教室内を支配していた。
辺りを見回すと、既に同じ中学出身らしきグループが幾つが出来ている。
昔の私だったなら、躍起になって自分のグループを作ろうと作り笑いと人当たりの良さを装って近づいていたに違いない。
だが、あんなことがあった今は。
(もう、全部面倒くさい……)
と、友人を作ることも、クラスカーストの上に立つことも、何もかもが虚無にしか感じられない。
元来、私はそういう人間なんだろうか。友人とカテゴライズして来たこれまでの人々との間に、友情を感じたことなんて一度も無いし、本当は人間関係そのものが億劫と感じてしまう性格なんだろうか。
幸い、私の席は教室の端だった。身の振り方を考える、なんて殊勝なこころがけは無いが、きっとこの学校では私は何一つとして目立たず、ひっそりと生きていくのだろう。
一度、そういう上辺だけの友情ごっこから距離を離して眺めていると、彼女達の会話や付き合いがどれだけ下らないものなのかと痛感する。
彼女達だって腹の底で何を考えているのか分かったものじゃ無い。特に今日は入学式だ、きっと誰もが目の前の相手を値踏みし、評価し、自分と交流するに値するのかどうかを判断しているだろう。
かつて私もそうだった。そういう人間の一人だった。獰猛な肉食獣のように、自分のナワバリを人間関係の中に構築してしまう性があるのだろう。
そして、それに不感症だったり無関心だったり、或いは自身のテリトリーを確立出来なかった者は、弱者扱いや変わり者扱いされ、排除される宿命にある。
(ま……それでも構わないのだけどね)
息を吐く。
必要最低限のコミュニケーションだけ取っていれば、変わり者扱いはされても排除まではいかないだろう。
波風たてずに、私はここで生きていかなくてはならないのだ。
(そして……)
と、私はこの教室での自分の取るべき立ち位置というものを考えていると、不意に隣の席に誰かが座る。
それまで何を考えていたんだっけ。
双眸も、思考も、一瞬にして彼女に奪われた。
特別目を引く、というような相貌では無い。だが、何故だか、私の意識は突然隣に現れた女性を捉えて放さなかった。
随分と華奢な体躯だ。
きっと運動なんてしたことないのだろう。青い血管を探せば見つけ出せてしまいそうな程に、白く透明な肌を持っている。
眠たげ、いや、何処か気怠そうな瞳で隣に座った女子は私を見た。
「あ……えーと、どうも……」
「え?あ、うん。よろしく」
挨拶する気があるのか無いのか分からない言葉を掛けられ、私も思わず中途半端な言葉を返してしまった。
それきり、会話は途切れた。
どうやら隣の女子も同じクラスに知り合いは居ないらしく、ボーッと焦点の合わない視線で、前方を見ているだけだ。
もしかしたら、眠っているのかもしれない。そんな推測さえさせてしまう程に、マイペースな人柄のようである。
(ちょっと変わった子……なのかな)
仕方無いので、私もスマホを弄って時間を潰すことにした。
どうやら、
入学初日の恒例行事としてそれぞれ一人ずつ自己紹介をしていくのだが、大抵の人は名乗るだけでは無く、趣味や特技、或いは自分がどんな人間なのかを簡単に説明する。
だが、彼女には一切そういう言葉は無かった。テンションの低そうな、小さな声で名前を呟くようにして口にしただけで彼女の自己紹介は終わった。
人の良さそうな、白髪混じりの初老の担任教師が少し困ったような笑顔を浮かべていたが、意に介さず席に座ってしまったので、隣の私が妙な空気の中で自己紹介をするハメになってしまった。
「
とはいえ私としても特別伝えるべき情報は無い。まぁ、ここら辺の出身では無いことくらいは伝えても良いだろう。
中国地方の片田舎なだけあって、千葉という地名を出すと僅かにどよめいたが、それでも関心を惹くには今ひとつ物足りない情報なので、丁度良い塩梅の自己紹介だった、と自賛していると、誰の自己紹介に対しても興味無さ気にしていた鷺谷が不思議な色をした瞳で私を見ていた。
戸惑ったのは、これまでの印象とは異なる、何か強い感情の籠った視線を受けたからではない。
むしろ、その逆で、何を考えているのか分からない瞳が、逸らすことなくジィッと長い時間見つめ続けて来たことにあった。
「……ええと、鷺谷、さん?」
自己紹介の時間も終わり、入学式の為に体育館へと向かう中で、私のことを見続ける鷺谷に痺れを切らして訊ねることにした。
「私の顔に何かついている?」
「……ううん。何も」
短く否定する割には、視線を外さない。むしろ気まずくなったのは私の方で、一体何を考えているのだろう、という疑問を抱きつつも歩幅を大きくして彼女から距離をとった。
何か、妙な感じだ。私が彼女の関心を引くようなことをしただろうか。
或いは……。
と、考えていると、いつの間にか入学式は終わりを迎えていた。
その後も会話する事は無く、両親が用意した狭苦しいワンルームのアパートの部屋の片付けも残っているので、私は足早に帰宅した。
鷺谷に関しては相変わらず、変な子だな、という印象はそのまま変わらず高校生としての初日を終えた。
夜になって、ふと気づく。
不思議な色に感じていた彼女の瞳は、真っ暗な何も無い部屋の寂寞にも似ていた。
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