31.12月13日「大掃除の日」


 「大掃除しましょう!」

 会社に到着したばかりの私に、アルバイトの石鍋さんが張り切った声を向けてくる。

 「ああ、良いですね」

 私は大抵を否定しない。今も笑顔で答えている。けれども本当は面倒だからやりたくない。

 「ほらまた、社長やらないつもりですよね」

 男性社員の加藤さんがデスクで仕事をしながら、顔だけ私に向けて言ってくる。

 加藤さんは私より2歳若くまだ二十代半ば。若いだけあって思考の俊敏さはかなりのものだ。パパになったらきっといいイケメンパパになるだろう。

 今年入社したばかりの加藤さん。最初の頃はとても大人しかった。余計な事は話さず、ただハキハキと物事を制していく。

 そんな加藤さんがもう私の心の内を見破る様になるとは、逞しくなったものだと、加藤さんへ笑みを返した。

 バレてもどうって事ないものを見破られても、私は動じない。

 「そんな事無いですよ、私もやります」

 私はそう言いながら、算段をつけた。自分のデスクをやって、後からアポが入ったと逃げようと思った。

 「いつも逃げるから、今日は業務終了後にやりましょう」

 加藤さんが笑みを返して言ってきた。

 

 とうとう、私のやり口まで理解する様になったとは、と加藤さんの益々の成長に改めて感心し、笑顔を作り直して加藤さんを見つめた。

 

 「あっでも今日は、業務終了後にアポがあるから」

 私は思い出した様な素振りでデスクへ向かう。

 

 「じゃあ今からやりましょう、さあ皆も今からやろう」

 取締役の佐々木さんが脇からすっと出てきて、この大掃除話に侵入してきた。

 佐々木さんは設立以来ずっと歩んできた仲間。

 四十歳の高身長男の、ダンディとクールを携えたザ大人な方。その両刃と甘いマスクで数々の女性を落としてきたらしい。私は興味無いが。

 お互い、手の内知ったる仲ではある、それは仕事において。

 

 そんな佐々木さんに言われたのだから、私はもう、覚悟を決めるしか無かった。

 「そうですね、じゃ今からやりましょう」

 私の言葉と笑顔に反応して、皆も笑顔で準備に取り掛かる。

 

 佐々木さんが割り振りを迅速に指示し、加藤さんが下準備を始める。アルバイトさん達は整理整頓から始めた。

 

 どう見ても、皆は楽しそうにしている風に見える。大掃除って、そんなに楽しいのだろうか、と私は腑に落ちないでいたが、ここは一つ、この勢いにのって私も張り切ってやってみようと思った。

 

 「社長は、外の看板をお願いします」

 佐々木さんは私に、洗剤のスプレーと白い雑巾を差し出して言った。

 

 私は寒い空の下を言い渡された。意気は消沈し、どんどんと温度が下がっていく。私、外、と上手く飲み込めない様なものとして口の中に言葉を含ませたまま、ゆっくりと外へ向かう。

 私はいじけた様に俯きながらとぼとぼと歩いて、動き回る皆の合間を縫い出口へ向かう。

 みんな、楽しそうで、何よりあったかそうで良いなと思った。

 

 こんな寒い中でやったら、指はひび割れて痛ましい様相になるし、風邪なんかひいちゃうかもと、そんな脆弱な思考が私のいじけた行動によって生み出されていく。

 

 「佐々木さん、何で、私は外?」

 精一杯の笑顔が苦笑いとして露わになっている事を最早知りながら、私は佐々木さんに向かって問うた。

 

 「会社の看板は一番大事ですから、社長がビシッと綺麗にして下さい。背が低くても看板小さいから大丈夫ですよね」

 

 身長149センチの私に向かって、堂々とセンチハラスメントをしてくる佐々木さん。

 しかし、看板のくだりは筋が通っていたので、私は何も言えず頷き、出口の方へ踵を返す。

 

 「社長、これ」

 加藤さんが私に何かを差し出してきた。

 それは、ゴムの長手袋とホッカイロ、そして暖かそうなふかふかとしたダウンだった。

 

 「え、良いんですか」

 「はい!」

 キュートな笑みを晒す加藤さん。

 「ありがとうございます!」

 私はコートの上から有り難くダウンに袖を通す。

 羽毛が詰まっている様でとても軽く、そして優しい着心地だった。

 私は、まるで弟から差し出された様な温かみとして、そのダウン自体の温かみを感じ取る。

 

 こんな事ばかり起こるのなら、大掃除も悪くないかも、と私は生まれて初めて思った。そのおかげて、長手袋も何だか可愛く見えてきた。白いだけの雑巾も、その白さが張り切っている表れの様に見えてくる。

 私はその可愛くなった手袋をはめて、張り切った雑巾で私も負けじと頑張って看板を磨く。

 砂埃にまみれた看板は、案外あっさりと綺麗になってくれた。

 私の初の、大掃除は成功した様だった。

 

 綺麗になった看板に笑みを向けていると、加藤さんが私の様子を見に来た。

 「おお、綺麗になりましたね!」

 まるで子供の様になってしまった私は、大層な喜びを感じた。

 

 「社長、ミルクティーどうぞ」

 「お、ありがとう」

 部下の加藤さんに気を遣われて、ミルクティーをご馳走になった。ミルクティーは熱々で、直に持てなかったので長手袋をしながら持つ事にした。

 加藤さんは近くにあった植え込みの縁に腰を下ろし、一息ついていた。

 その加藤さんの目線が、空を見上げているだけな気がしたので、私も腰を下ろし声をかける事にした。

 「この会社はどう?合ってる?」

 「はい。俺は転職して良かったと思ってます」

 加藤さんはゆっくりとそう告げた。何か、心の内に照らし合わせながら吐露している様な感じであった。

 「前職は、大変だったみたいだもんね」

 加藤さんがうちの会社を面接した時、前職の退職理由を聞いていたので、私は加藤さんの内にある都合を知っていた。

 加藤さんは新卒で入った大手金融会社を二年で退職した。

 理由は、お金に疲れたというものだった。それは、単に業務上に限らず、己の生きる道の上においても、との事だった。良い給料、良い成果をくれるお得意様、良い身なり、良い実績を求められるその至上主義、そのどれもに疲れ果てた、と。

 

 「この会社は良い人ばかりで、俺は楽しいです」

 「楽しい事は何よりだよ、本当に」

 

 私の会社について多くは語らないが、少なくとも働いてくれる方がそう思ってくれる事に感謝と敬意を返せる会社ではあるし、これからもそうありたいと思っている。

 「人生においても、大掃除は必要だね」

 「そうかも。本当にそうかも知れないですね」

 加藤さんはそう言って、さっと立ち上がった。

 「じゃあ、もう一踏ん張り、掃除しましょう」

 加藤さんはフットワーク軽く会社の中へ戻っていった。

 

 私も人生の大掃除してみようかな、と、加藤さんの背中を見て思った。

 

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