30.12月12「漢字の日」
窮屈となった電車の中で、私は自分のポジションを確保する為に身を捩らせる。ポジションを確保し終え、私はぼーっと上の方を見る。スマホも取り出せない程ひしめき合う状況だったからだ。
ふと、中吊り広告に目が止まる。綺麗なイルミネーションの写真や、雪山を滑る人の写真が並ぶ。私はそれを、賑やかしの顔として見ている。とても不必要なものとして、そしてとても醜いものとして。
私はその広告のおかげで、購買意欲が昂った事など一度も無い。
商売須く、アピールが必要である。しかし私は、大抵のそれを舐めてかかる。
どうしてかと言えば、とても理屈じみた話になるが、本当に必要なものは大凡世に揃い出ているからである。
そして今更、それを著しく塗り替えてくれる様な、新しい生き方を会得させてくれる様なサービスが生まれたとしても、知る事になるのはこの貼られた紙達からでは無い。ワンマイル戦略の紙達やネットの中からである。
だから、この車内に貼られた紙達は、知っている事をつらつらと述べているだけなのだ。
そしてアピール須く、それを売りたいという思惑の要素が、純度の高い利他であるはずもない。もっと切り裂いて言えば、お宅の内から外へ滲み出んとする様な利他では無いという事である。
だから醜いのだ。それは厳格な規制をクリアしたその内容云々では無い、様態の事である。
消費者群はネットであれこれ完結する事が多いのだから、そろそろ物理現実だけでも醜いものを引き下げたらどうだろうか、と、思えたりもする。
代わりに、そう、専用SNSの掲示板などをディスプレイで表示する方が良い。
それは例えば、承認欲求を満たすものになったり、何か愚痴を吐く場所だったり、或いは運命的な出会いのきっかけになったりしてくれるだろう。
もしかしたら、自殺者も減るかも知れないし、何より一様の広告を見るよりかはより刺激的で楽しいものとなるだろう。
そうやって、人々が一纏まりになれば良いのに、どうせ一つ屋根の下に集まっているのだから、袖振り合うもやんとやらだ、などと私は思う。
そんな風になってくれたら嬉しいのに、と思いながら、袖を振れ合わせる中吊り広告を下から見つめる。
そんな中吊りの中に、今年の漢字予想というワードがあった。
一年の出来事を漢字一文字で表現する、というものだった。
今年は、「税」か「翔」だろう。多分、それに近しいものだと予想した。
しかしどうせなら、来年の展望に希望を含ませた漢字にした方が面白いのに、と皮肉を思いつきながら、ぎゅうぎゅうと押される車内の中で深い不快な溜め息を吐く。
電車は、背の低く押され弱い私にとってはどうにもストレスが溜まりやすい乗り物である。
いちいち思考に不満が纏わりついてしまう。
もし、先程の中吊り掲示板があったなら、私はこう書き込むだろう。
押さないで押さないで足踏まないで足踏まないでなんか臭い苦しい熱い体温移してこないで!と。
きっと、多くの方に賛同頂けるだろう。
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